30回の銀行強盗を繰り返した「エリート技術者」、その人生を狂わせたもの

<ボーイングのデザイナーだった私が転落するきっかけになったのは医師に処方された鎮痛剤。オピオイドのとりこになり何もかも失った>
1990年、21歳の時に、私はテクニカルデザイナーとしてボーイングに採用された。2年後には結婚して子供も生まれ、家も建てた。まさに順風満帆だった。

2003年に仕事仲間とローラーホッケーをしていて転んだのが原因だろう。腰痛に悩まされ、MRI検査で椎間板損傷と診断された。手術を受けたが、術後に痛みが再発。05年にオピオイド系鎮痛剤オキシコンチンを処方された。
最初は少なめの量。だが1年足らずで処方できる限度まで必要になり、それでも足りず違法の処方箋を出す医者の元に通いだし、ついにはヤミの売人から買うようになった。
あるとき同病者から薬が速攻で効く裏技を教わった。錠剤のコーティングを削り取るか、錠剤を粉々に砕くのだ。私もその方法に味をしめた。
だが製造元のパーデュー・ファーマが製法を変え、コーティングを削ることも錠剤を砕くこともできなくなった。そのため多くの使用者がヘロインに走った。

私が初めてヘロインに手を出したのは11年初め。その年の6月、既に依存症になっていた息子と共に銀行強盗を企てヘマをして逮捕された。私はボーイングをクビになった。
その後、母と暮らすようになった。収入は母の年金のみ。ヘロイン欲しさだけでなく、家族を養うためにも銀行強盗をしようと思い立った。クスリ漬けの私にはまともに働くという選択肢はなかった。

数行に目星を付け、最初の標的を選んだ。決行日は13年2月5日。グレーのニット帽をかぶって銀行に入った。
監視カメラに写らないよううつむき、窓口に向かいながら帽子の縁を引き下げて顔を隠す。編み目の間から前方は見える。窓口係に「金を出せ」と言い、金を受け取ると、さっさとその場を後にした。窓口係は抵抗せずに金を出すよう指示されているのだ。帽子を引き上げて銀行を後にすれば、通行人に怪しまれる心配もない。犯行の数分後、まんまと金を手に入れた私は車を走らせながら売人に電話をかけていた。

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