佐渡島には鉱山がある. 江戸時代初期から採掘してきた日本を代表する金鉱だ。銅など他の鉱物も出る。1931年の満州事変、その後の日中戦争で金の需要が大きく増えると、三菱鉱業は国策に従って事業を拡大した。1939年からは朝鮮人を動員し始めた。日本人の珪肺症患者が多く、生産実績が低迷したためだ。

 1940年2月、論山(ノンサン)出身の98人をはじめとし1943年まで1005人の朝鮮人がここにやってきた。労働条件は過酷で、食費と寝具台、作業着購入費を除いて実際に手に入れる賃金は極小額だった。当初2〜3年の契約条件で募集したが、強制的に契約を延長した。珪肺症にかかる人も出てきた。鉱業所の記録には、朝鮮人労働者のうち10人が死に、148人が苦痛のため、逃亡したと記されている。(広瀬貞三「佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939〜1945)」)、佐渡鉱山には朝鮮人だけが動員されたが、中国人を動員した他の鉱山もあった。

 日本政府が「佐渡島の金山」を2023年に世界文化遺産に登録するために、ユネスコ世界遺産センターに推薦書を出した。日本の植民地時代のことは消し、江戸時代に限って日本固有の伝統的手工業を活用した類例のない鉱山だと意味づけた。恥も外聞もない試みが、トキの復帰に向けた協力の現場だった佐渡島を歴史対立の島にしてしまっている。https://news.yahoo.co.jp/articles/eaa5d17a5aa9717e3b7266bfacb3b86d264e9392