「素粒子」の驚くべき自己矛盾 元東京大学史料編纂所教授・酒井信彦

1日、石原慎太郎氏が亡くなった。石原氏はその率直な発言で、いわゆる「リベラル」側から、否定的評価が多かった。2日の朝日新聞の紙面でも、「改憲 こだわり続けた末」とか「尖閣国有化を推進 反日感情招く」といった見出しが躍っている。

私が特に印象に残っている過去の記事がある。ただし夕刊1面に連載されている、極小コラム「素粒子」である。今から9年前、平成25(2013)年4月5日には、次のようにあった。

「年ふりてなお青嵐(せいらん)の威勢あり。弁舌には。日本を軍事国家にと石原慎太郎氏。もはや戦争には行かない特殊兵器。」「いまどき敷島の大和心でもあるまい。見渡せば桜も終わり新芽をつけた柳が揺れる。週末は爆弾低気圧の恐れと。」

では、ここで批判されている「敷島の大和心」とは何なのか。これは明らかに本居宣長の有名な和歌である、「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」に由来している。
この和歌こそ、日本の民族主義を端的に表現したものとして、最も知られたものである。大和心は一般に知られている「大和魂」を、より柔らかく言ったものである。
つまりこの筆者は、憲法改正を熱心に主張する、石原氏の国家主義的な思想を、まったく時代遅れだと、揶揄(やゆ)し批判しているわけである。

このコラムの最大の特徴は、単なる石原氏への誹謗(ひぼう)中傷にとどまらず、批判の矛先は朝日新聞自身にも突き刺さっていることである。
素粒子が掲載されているのは、「朝日新聞」というタイトルの下の、最も目につきやすい場所である。

朝日新聞の題字の背景は、西日本版では難波の葦(あし)だが、東日本版では山桜である。つまり朝日新聞のタイトルは、紛れもなく本居宣長の例の和歌をそのまま視覚化したものなのである。
つまり「敷島の大和心」をタイトルで歌いながら、その下のコラムで、それを否定しているのだから、完全な自己矛盾である。

https://www.sankei.com/article/20220213-DBBTQLU6QFJZ7NKNU42MRUVRQM/