東京都江東区の夢の島には東京23区の7割,毎日9千トンのゴミが持ち込まれていた。そのためにハエの大量発生だけでなく,江東区の一部では悪臭が漂い,自然発火による火災が発生し,煙と灰が江東区民頭上を流れ生活をおびやかた。これらの被害を受けた江東区民は,他の区から持ち込まれていたゴミを断固拒否する声明をだした.「江東区だけがゴミ公害の吹き溜まりにされるのは御免」と声明を出したのである.
 ほとんどの区では江東区の要請を受け区内にゴミ処理場を建設する計画を進めることになった.ところが夢の島から約20 km離れた杉並区だけはゴミ処理場の建設計画を進めずにいた.昭和48年,ここに東京ゴミ戦争がはじまることになる.東京ゴミ戦争という物騒な言葉がマスコミをにぎわした.

 昭和48年5月18日,東京都は杉並区でミ処理場建設の説明会を開いたが,建設反対派の杉並区民が乱入し説明会を中断させる事件がおきた。これを「杉並の住民エゴ」と怒った江東区議会は全会一致で杉並区からのゴミの受け入れを拒否することを決定した.そしてヘルメット,防災服姿で身を固めた区長、区議、町会役員ら180人が道路に並び,杉並区からのゴミ運搬車の立ち入りを実力で阻止した。このため5月22日から杉並区ではゴミの回収が中止されることになった.杉並区はゴミを出さないように各家庭に通知したが,杉並区の住民は路上にゴミを捨て,5月の陽気で生ゴミは悪臭をはなった.杉並区は消毒車出動させ,路上のゴミに消毒液をまくことになった.これでは「杉並エゴ」といわれても仕方がなかった.

 江東区と杉並区はゴミ処理をめぐって対立したが,孤立した杉並区は区長がゴミ処理場建設を約束して収集がついた.杉並区ではゴミの回収が再開されたが3日間放置された2000トンのゴミを処理するのに10日以上かかったほどであった.

Yumblr —  東京都江東区の夢の島には東京23区の7割,毎日9千トンのゴミが持ち込まれていた。そのためにハエの大量...
https://yamarena.tumblr.com/post/7859619031


https://i.imgur.com/PHWl042.jpg