徴用の場合、納得のうえというのでは、なかなか予定数に達しない。そこで郡とか面(村)とかの朝鮮人書記係に引きつれられた人狩り隊が、深夜や早暁に突如、男手のある家の寝込みを襲う。あるいは田畑で働いているさいちゅうに、トラックを回して何げなく農民たちを乗せ、それで集団を編成して、北海道や九州の炭坑に送りこむ。こんな荒っぽい人狩り作戦は、末端官吏がやってのけたことではあるが、こうした蛮行を知ってて見逃し、あるいは何げなくすすめる日本総督の狡猾な意志が作用していたことも事実であろう。この徴用がたいへんな失策であったことはいうまでもない。
 生き地獄みたいな“タコ部屋”にとじこめて、骨と皮ばかりになるまでこき使ったあげく、朝鮮人の労務者がその命脈をつきさせてしまうと、その遺骨を粗雑な小包にして故郷に送りつける。玄関口にポンと放りなげられた包みがほどけて、骨がちらばっている光景を私は目にしたことがある。人間を人間あつかいしなかったこうした日本人に対し、朝鮮人が執拗な憎悪をいだいたとしても、いっこうにフシギはない。
(出典:雑誌『潮』1971年9月号 特別企画「日本人の朝鮮人に対する虐待と差別」−「日本人100人の証言と告白」)