フランシス・キャサリーン・オルダム・ケルシー(英: Frances Kathleen Oldham Kelsey、Ph.D., M.D., 1914年7月24日 - 2015年8月7日)は、アメリカ合衆国内におけるサリドマイド薬害を最小限に食い止めたことで知られるアメリカ人の薬理学者、医師である。彼女はアメリカ食品医薬品局 (FDA) の審査官(reviewer)として担当した、睡眠薬のサリドマイドの米国内における市販認可を、その安全性についての疑念に基づき、様々な圧力に屈することなく、約1年間に渡り拒絶した。彼女の当初の懸念は、約1年後にサリドマイドが深刻な催奇性を有することが判明したため、正当であることが立証された。ケルシーの功績は、製薬業界に対するFDAの監督強化を行う法律の成立に影響を与えている。
1960年に、ケルシーはワシントンD.C.のFDAに雇われた。この時点で、彼女はFDAのために「医薬品審査を行う、たった7人のフルタイム勤務および4人のパートタイム勤務の医師の内の一人」であった[2]。
FDAにおいて彼女に最初に割り当てられた業務の1つが、Richardson Merrell社から申請のあった、精神安定剤、および、特に妊婦のつわり(morning sickness)への適用を指示した鎮痛剤であるサリドマイド(商品名 ケバドン(Kevadon))の審査であった。これは既にヨーロッパとアフリカの20カ国で認可されていたが[6]、彼女は申請書に記載された治験の内容において、妊娠動物を用いた胎児への安全性の確認が一切行われていなかった事を理由に、シカゴ大学での研究の経験から胎児への影響を排除できないとしてこの薬物の認可を保留し、さらなる治験を要求した。
サリドマイド製造業者からの圧力にもかかわらず、ケルシーは神経系への副作用を記述したイギリスにおける研究について説明する追加情報を要求し続けた[2]。また、FDAは組織としてケルシーを支持し、製造業者からの圧力から彼女を守った。
医薬品は認可の前に完全な治験を受ける必要があるというケルシーの主張は、ヨーロッパにおける奇形のある子供の出産が、母親が妊娠中に服用したサリドマイドと関係付けられるに及んで、劇的な形でその正当性が立証されることになった[7]。研究者たちはサリドマイドが胎盤血液関門を通過して、胎児に深刻な奇形を引き起こすことを突き止めた[5]。
彼女はワシントン・ポスト紙の第一面で、米国における同様の悲劇を防いだヒロインとして賞賛された[8][9]。
民衆の憤慨は急速であり、1962年には治験の改革を目指す「食品、医薬品および化粧品についての連邦法」への改正法である Kefauver Harris Amendment が異例の速さで議会で可決された[7]。この治験の改革は、同様の問題の発生を避けるため、「新薬の治験と配布におけるより厳格な制限」を求めるものであった[5]。
またこの改正法は初めて、「有効性は、市販化に先立って確立される必要がある」ことを指摘した[7]。
ケルシーの米国におけるサリドマイド認可阻止の功績に対して、ジョン・F・ケネディ大統領から彼女に「顕著な連邦文民功労への大統領賞」(President's Award for Distinguished Federal Civilian Service)が授与された[10]。これは女性としては史上2人目のことである[11]。
この賞を受賞後も、ケルシーはFDAの職を続けた。1962年改正法の具体化と強化において彼女は鍵となる役割を演じている[9]。彼女はまた、FDAにおける治験調査の監督の責任を負うようになっていった[1]。ケルシーは 2005年を最後に、45年にも渡る業務を果たし、90歳でFDAを退職した[6]。