殺人犯を死刑に処すのは当たり前…そんな考え方に幸福学者が「不幸になるだけ」と反論するワケ

凶悪な殺人犯にはどんな刑罰を与えるべきなのか。

慶應義塾大学の前野隆司教授は
「人は死んだらなにも残らない。ならば、加害者を許し、罪を償わせるべきだ。
 報復手段としての死刑は、社会の平和につながらない」
という――。

■存続、廃止について答えが出ない死刑制度

誰もが最後は死ぬのなら、いま生きている期間は、
いずれやってくる死を恐れながら監獄で待つのと大差ないのではないか。
誰だって、今日明日にも死ぬかもしれない。
わたしたちは、いつ死刑執行されるかもわからない毎日を暮らす虚(むな)しい存在なのではないか――。
死について考えるとき、関連する問題として、社会制度としての死刑の存在がある。
存続・廃止をめぐって世界中でいろいろな議論があり、日本でも世論が大きく分かれがちな問題、それが死刑制度だ。

■死刑の最大の目的は「犯罪抑止」
死刑が求刑されるような事件のニュースに触れて、感情的に「許せない」と感じる人は多いと思う。
卑劣な犯罪が行われ、なんの瑕疵(かし)もない被害者やその家族らの映像が出てくると、
なおさら「犯人を早く死刑にしたほうがいい」「こんな人間は生きている価値がない」という感情を掻(か)き立てられる。
しかし現代法では、死刑は「目には目を、歯には歯を」という復讐(ふくしゅう)のために行うのではない。
犯罪抑止効果を最大化するのが刑罰の最大の目的である。
だから、死刑が求刑されるような犯罪が起きたときに、
テレビの視聴者が「死んで償ってほしい」「犯人を殺してやりたい」というのを聞くとき、
わたしは人類全体に対するいたたまれない悲しみと虚しさを感じる。
なぜなら、復讐心は怒りの連鎖を生むだけだからだ。

<以下項目だけ抜き出し省略>
■人間が生まれながらに持つふたつの本能
■20万年前から人間は進化していない
■「死」は誰にでも等しく訪れる
■多くの国で「復讐」が禁止になった理由
■言い分と報復だらけの世界に平和は訪れない
■復讐はダメなのに死刑は存続する日本
■「死刑にしろ」という人に足りないもの

https://news.yahoo.co.jp/articles/77ef4fb9ff4d2c70022981c0f3c2b55a35dfdcf3