<ブタを奪われ、復讐の旅......。「あの映画をパクったB級映画?」と思わせながらも、実は人間の実存的危機を描き切り、批評家大絶賛&映画賞総なめの話題の映画『PIG /ピッグ』>

https://www.newsweekjapan.jp/stories/assets_c/2022/07/220726p51_pgn01-thumb-720xauto-478854.jpg

「あのニコラス・ケイジが愛するブタを奪われて取り戻しに行く」。そんなストーリーを聞けば、いやでもある種の予感を抱いてしまう。予告編を見た多くの人が思ったはずだ。ああ、キアヌ・リーブスが愛犬の敵を討つためにロシアの悪党どもを殺しまくる復讐アクション映画『ジョン・ウィック』(2014年)のブタ版か、と。

だが、『PIG/ピッグ』は違う(日本では新宿シネマカリテで7月15日から期間限定上映)。もちろん殺しの場面はあるが、それが見せ場ではない。監督のマイケル・サルノスキが本作で描くのは人間の実存的危機だ。

主人公のロブ(ニコラス・ケイジ)は、高価なトリュフを探し当てる貴重なブタと一緒に暮らしていた。ほかに伴侶はいない。米オレゴン州ポートランドの外れにある森に入り、ブタに助けられてキノコを採集し、粗末な小屋に持ち帰るだけの日々。

元料理人のロブは、ブタの餌も丁寧に用意する。何かのトラウマを抱えているに違いないが、表面上は穏やかに暮らしており、訪ねてくるのはトリュフ販売業者のアミール(アレックス・ウルフ)だけだ。

アミールとロブは対照的だ。アミールは商売上手で、言ってみればドラマ『メディア王~華麗なる一族~』に出てくるローマンとケンダルを足して2で割ったような人物。しかし、ロブには彼しかいない。だから2人でブタを救い出す旅に出る。

満腹よりは腹八分目で
もちろん流血のシーンも1つはある。だが『ジョン・ウィック』と似ているのはそこまで。監督はポートランドの美食シーンの裏にある醜悪な迷路を克明に描く。この映画は先が読めない。ストーリーは単純かつ明快だが、私たちの予想を次々と裏切る。

ロブは誰にも止められない嵐のような男だが、『ジョン・ウィック』のリーブスのような格闘はしないし、鉛筆で人を殺したりもしない。

その代わり、ロブの過去がゆっくりと、つまびらかに描かれていく。そしてたいていの人が怖くて下せないような決断を彼が下せる理由が明らかになる。派手さはないが、心理描写が抜群だ。

誰だって失敗はしたくない。だから人通りの少ない道に足を踏み入れるのは危険だと思い、別の道を探したくなる。そういう選択に直面したときの人は弱いものだ。

この映画は味覚や嗅覚による記憶という不思議な領域にも踏み込んでいる。トリュフの微妙な香りが人々の記憶や感情を呼び起こし、それぞれの過去をよみがえらせる。ここまでくると、もう復讐映画を超えている。素敵なサプライズもあるが、詳しくは書けない。こういう映画は先入観なしで見てほしい。

ニコラス・ケイジという役者は、いつも100%以上の仕事をする。声優を務めた『スパイダーマン:スパイダーバース』のようなアメコミ系の作品にも全力でぶつかる。

そして、あの眉間のしわ。あれは戦う意欲よりも思慮深さを、そして傷つきやすさを感じさせる。やられてもやり返さず、心の傷を奥に抱え込む表情。タフガイのイメージには合わないが、それが『ピッグ』では生きている。

『ピッグ』は救いであり、呪いでもある。続編やスピンオフを想定していないのは救いであり、あまりに簡潔なのは惜しい気もする。でも満腹よりは腹八分目。少し食い足りないくらいがベストだ。

©2022 The Slate Group

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/07/post-99158_2.php