訳註 八二* ペリは、イギリス人牧師。一六九八年から十五年間ピョートル大帝のもとで土木事業を行う。その著書は仏訳され、『大ロシアの現状』(État présent de la Grande Russia)と題され、一七一七年にハーグで出版された。Mが用いたのはこの書であろう(Bによる)。 p.414訳註
凡例 訳註の作成にあたっては、Pléiade 版(編者Caillois)の註、Brethe de la Gressaye の註、Derathé の註を参照し、特にその註によったときは、それぞれP、B、Dの略号によってこれを示した。 Mとはモンテスキューの略号。 岩波文庫法の精神(上)p.9凡例 0412番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 8b8f-xFlQ)2022/10/29(土) 09:01:26.48ID:HOsF5eEp0 君主政の国々における教育が心を高めることにしか努力しないように、専制的な国々においては、教育は心を低めることしか求めない。ここでは、教育は奴隷的でなければならない。指揮命令においてさえ、このような教育を受けていたことは利益になるであろう。ここでは、誰も同時に奴隷たることなしに暴君たりえないのであるから。 極端な服従は服従する者における無知を前提とするが、それは命令する者においてすらも前提となる。彼は熟考したり、疑ったり、推論したりする必要は全くない。彼はただ欲しさえすればよいのである。 専制的な国々においては、それぞれの家が別個の帝国である。したがって、他人と共に生活することを本旨とする教育は、ここでは極めて制限される。それは、心の中に恐怖を植えつけ、精神にいくつかの非常に単純な宗教原理についての知識を与えるにとどまる。ここでは、知ることは危険であり、競争は有害であろう。さらに、徳については、アリストテレスによれば、奴隷に特有な徳が一つでもあるなどとは信じられていない(1)。だとすれば、このことはこの政体における教育を大いに制限するであろう。 それゆえ、教育はここではある意味で無である。なにものかを与えるためには、すべてを奪わねばならず、良い奴隷を作るためには、悪い臣民を作ることから始めなければならないのである。 いやはや。どういう理由で教育は公共の不幸を共にするような良い公民をここで作ろうと腐心するのであろうか。仮に彼が国家を愛したとするならば、彼はこの政体のバネをゆるめたいと思うであろう。もし彼が成功しなかったなら、彼は身を滅ぼすであろう。成功したなら、自分も君公も、また帝国をも滅ぼす危険をおかすことになるであろう。 (1)『政治学』第一巻[第三章]〔第十三章、一二六〇A、山本光雄訳、岩波文庫、六三ページ〕。