男余りの激しかった江戸時代の「弱者男性」って何を生きがいにしてたの? [377482965]
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強者が処刑されるのを見てケンモメンみたいに喜んでた
江戸モメンの唯一の楽しみは処刑や晒し首の見物だったらしいよ
吉原は店入らないで現物指名みたいなのを外から見てるだけなら無料だったから
嫌儲でやってる品評会をリアルでやってた
春画って本当に抜くためのものなのか?
あんなブサイクな絵で抜けるの?
性的弱者男性以前に
徳川時代の弱者身分は男女共に平均寿命30代前半だけど
>>20 大昔はインベーダーゲームでも熱中したんだよ
感覚と価値観は時代と共に変わる
未亡人がたくさんいたんでセックスには困らなかったし
何より平均寿命が短いから寂しさを感じる前に死ぬ
まあ極端に早死とかじゃないがそのまま死んでいってるぞ
あんだけ多産で人口増えてない時代だからな
>>18 昔タイでそんな感じで楽しんでたわ
ゴーゴーの女の子が踊ってるの眼に焼き付けて帰ってシコシコ
>>5 芝浜の下げをこっちに使ったら夢がなさ過ぎて駄目か
ちょっと良い話すぎる気がするよ
江戸時代じゃなくて江戸でしょ
まぁ衛生も悪いからバンバン死んでも田舎からまた人がながれてきた
人間の体や脳って現代より遥かになんにもない生活を耐えられるように出来てるわけで
まして指先1つで明かりがついて水が出て火が出て娯楽にアクセスできて
ノミやシラミに悩まされることもなければ遥かに美味いものを食べてるわけで
弱者男性なのではなく他の奴らが前進してるだけだ。
実際には吉原とかじゃないもっと気楽で安いケンモ御用達風俗とかあったんだろうな
今で言うピンサロみたいな
>>3 同人誌と風俗か
今の弱者男性と変わらないな
>>37 吉原→銭湯(ソープ)→飯盛り女→夜鷹(立ちんぼ)
と
男が余ってたのは江戸初期だけらしいやん
後期にはほぼ同数だったとか
まあ未婚が多かったのにはかわりはないが
>>29 大阪も名古屋も博多も京都も新潟も仙台も広島も一緒
ホモ
若い頃は女装して売春
大人になって稼げるようになれば買う側に回る
今ほど「個人」とか「自分」の意識がないから
「自分の人生」とか「生きがい」とかを問題にすることも少なかったんでないかね
鬼平犯科帳等の時代劇を見る限り
今と同じくイキって泥棒になってるようだな
春画(エロ本)
茶屋娘(コンカフェ嬢)
花魁(風俗嬢)
夜鷹(立ちんぼ)
まあ弱者男性のすがるものなんて今も昔も変わらんわな
江戸時代は子供屋という大人の女よりも安価に買える男児専門の売春宿があって幼い弱者男性が体を売ってた
言うて当時の大都市って江戸、大坂、京、金沢、駿府くらいだろ?
それ以外のクソ田舎の弱者男性なんて目も当てられないだろ
落語のくまさんはっつぁんだろ
ケンモメンと変わらん
だいたいその日暮らしだし
外との比較もしないから
今より生きやすいと思うよ
>>9 合わせ鏡みたいだ。春画でシコってる春画のなかにさらに春画でシコってる春画があり…
弱者男性ってフェミニズムが生み出したものだろ
江戸時代にそんなもん存在しない
>>62 春画でシコってる春画でシコれるってホモじゃん
あの頃は町中に板を吊るしてレス書き込む形式だったなw
板が新しくなるのを待ってゐる弐下駄なんて輩も居てな
>>64 弱い男って女の一種だからホモの対象にはならないよ
だから弱いノンケ同士はお互いを女だと思ってやれるんじゃね
>>57 クソ田舎だとそれこそ人権も何もない女子供も山ほどいたからなぁ
臭くて汚くてもいいならセックス自体はできたんじゃね?
>>67 ありがとうございます
でも僕は「マインドコントロールしてきそうだなこの女」と思いました
まぁ20歳の女にならされてもいいか
半分も結婚してなかったんだろ
結婚したやつだけ沢山子供いる感じで
次男以下は丁稚で飛ばされるか小作人で子孫残せないとか
江戸に流入してくるのなんて出自が被差別や犯罪だったり没落したりみたいなあれなのばかり
>>29 都市部は地方から流れてきてそのまま家持ちにならないで当代で断絶が大半だからな
何か令和と変わらない
江戸は独身天国
「独り身大国」江戸と現代の知られざる共通点
コスプレに熱中、食事はデリバリーを頼む
2017年06月21日
荒川 和久: 独身研究家、コラムニスト
荒川和久(以下、荒川):現在、未婚化が大きな社会問題になっています。直近の2015年では、男性の生涯未婚率が23.4%、女性が14.1%と、過去最高を更新(国立社会保障・人口問題研究所調べ)。
2035年には人口の5割が独身になるともいわれています。
しかも、未婚男性の数が未婚女性よりも大幅に多い、「男余り」の状況があります。
これは現代社会特有の現象ではなく、江戸にも同様な状況がありましたよね。そもそも、江戸という都市は男性の都市だった。
享保6年(1721年)の江戸の町人人口は約50万人でしたが、男性32万人、女性18万人と圧倒的に男性人口が多かったわけです(南和男『江戸の社会構造』塙書房)。
堀口茉純(以下、堀口):
確かに、江戸時代の江戸は異常な男性過多でした。
ほぼ何もない状態から100万人が暮らす大都市をつくるということで、極端な説明の仕方をすれば、
江戸の住民の半分は都市づくりの担い手である男性、そしてもう半分は、単身赴任で地方からやってくる武士。
男性の都市といっても過言ではありません
荒川:そうでしたね。
しかも、明らかに独身男性が多かった。幕末慶応年間(1865~68年)の史料では、町人16~60歳の男性の有配偶率は、麹町地区で47.3%、渋谷宮益町地区でも46.5%と半分にも達していない状況でした。
https://toyokeizai.net/articles/-/176709 >>57 まあ婿養子要員で上手く収まるか家に財産があれば分家作ってもらえるけどそうでなければ部屋住みのまま
江戸時代の人口(享保時代)
男性 32万人
女性 16万人
そのうち↓
安原眞琴
1600年代初頭、急速に発展していく江戸の街に作られた幕府公認の遊郭です。
元々は人形町のあたりにあった「元吉原」が、明暦3年(1657年)に起きた明暦の大火(振袖火事)により、浅草方面に移転し「新吉原」と呼ばれるようになりました。
吉原は、独自の規制を持った治外法権的な町でした。広さ2万760坪(東京ドーム1.4個分)に、ピーク時の総人口は約9千人(遊女約5千人+遊女屋で働く人々+町で働く人々)。
他に娯楽のない時代、全国から多くの人々が集まる日本最大の盛り場でした。
今でいうとテーマパークのような場所ですね。吉原草創期の遊客は、経済的にも余裕があり、教養もある大名や旗本や豪商たちでしたが、1700年代半ばを過ぎると、高利貸しなどを営む裕福な町人層へ。
その後は一般大衆化していきました。
しかし、昭和33年の売春防止法により、遊郭としての吉原は幕を閉じました。
https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/gogocafe/d4NXItTOEG.html でも、そんな奴らが、どんな人生を送ったかなんて現代の誰も知らないし知る由もないんだよな、だから俺等も適当に生きててもよくね?
長屋の賃料が6000円から10000円ぐらいだから
一日くらい働けば部屋代は何とかなった
マジでケンモメンにオススメの時代
鎖国せずに海外に奴隷としてうっぱらえばよかったのにな
男余りが激しかったのは「江戸時代」じゃなくて「江戸」でしょ?
>>79 農家の一族の大半は都市へ奴隷出荷されてたけど
未婚が多いのに江戸に世界トップクラスで人口密集してたのか
>>93 そもそも武士階級だけで50万とかいるしな
封建制度やってんのに各藩から単身赴任で住まわせてたり男だらけになる要素は多い
>>1 またしょうもない記事を基にスレ立ててからにw
>>20 今の2次元のエロアニメだって100年後どんな評価されてることか
江戸しぐさと言うものを身に付けていたから不平不満を漏らすことは無かったらしい
>>98 まあ農業とか必要なところはめっちゃ必要だったしなあ
俺たちケンモメンにも、男余りの時代に生存競争に勝ったご先祖様がいるのが信じられれん
覗き機会というのがあったらしいぞ
今でいうアニメだな
ときには、見せ物の「覗き機械(のぞきからくり)」で興奮して自慰することもあったそう。
この覗き機械というのは、お金を払って箱の中を覗くと、中に色付きの絵が次々と展開して、
その絵を楽しむというものですが…色模様の絵を見せる機械もあったそう。これを見ると、自慰したくなる男も少なくなかったとか。
おれ江戸の町人だったら何やってたんだろうなあ
きっと貧乏だったのは確かだ
大名行列とかほとんど派遣でまかなってたんだっけ
今と変わらんやってる感社会だったんだな
>>104 それ重要だわな
なんだかんだいっても子孫を残せた
東北とかガチ貧乏な地域は別にして 農家でも裕福な家の娘は若くして地元で結婚して子供を作れたけど
貧乏な家の娘は一度江戸とかに奉公に行ってから結婚を考えるみたいになるから晩婚で子供をあまり残せなかったんだよね
>>86 いいなあ こういうのレプリカでいいから一枚ほしいわ
昔から男女大体同じくらいの数が生まれて
江戸にそれだけ集中してたのなら
逆に女の数が多い地域もあったのかな?
>>107 経済効果はかなりないか?
全国の街道に金が落ちていくから
賢いやり方
ホモぉ!してた。東海道中膝栗毛に書いてある。
蕎麦食って長屋の前で将棋したり相撲取ったりしてたんだろ
時代劇だと美化しまくりだけど
実際は昼間から泥酔してるのが普通に転がってたりでなかなかの町並みだったからな
>>107 行列の人数や規模は決まってるけど実際に普段から抱える金はねーよ
→参勤交代のときだけ日雇いを各宿場で調達
現代と発想なんにも変わってねーよなこれw
>>104 徳川前期農村の農家下半分は徳川末期までに98%断絶して
再上位層の分家で埋め尽くされてるからね
>>121 これ聞いたときたまげたわ
まあそらそうか…
>>45 ヲタは遊女よりかわいいとか言い張ってたらしいし
コンカフェって感じだな
江戸の男女比が極端だっただけだから江戸以外はむしろ女が余ってたんじゃね
揚げ足取りのようで申し訳ないが、生きがいなんて大仰な言葉は近代以降じゃないの
現代より生きるために人と関わらなきゃいけないって強制されるからあんまり孤独じゃなくてやり過ごせてたんじゃね
ガチで村八分にされてたらそもそも長く生きられないから淘汰されていく
長屋でホモセックス教養があれば男色ものを読んだりしたんだよ
>>1 マジレスすると子育て
どんなに貧乏でも結婚して子供作ったからな
食わせるために、朝から晩まで働いた
娯楽は、たまにやる河原乞食がやる芝居を見ること
>>121 現代日本人は誰でも皇族の血入ってるって話あるしな
>>132 男余り激しくて生涯独身率高かったのに?他人の子供育てたのか?
なんだよ俺の勝手だろ!ほっといてくれよ!つったら貧乏旗本の冷や飯食いに頬殴られた事ある
男色っていうと蔭間茶屋が有名だけど、普通の商店とか職人の所で丁稚奉公してる小僧も小遣い稼ぎでケツ売ってたらしい
人類史で一番ホモ文化が栄えたのが古代ギリシアのアテナイと江戸時代の日本と言われている
>>128 当時は一夫多妻制なので問題なし
今の中東の上位クラスみたいな
>>121 つまりみんな先祖が武士ってのもあながち間違いじゃないってことかね
家を継ぐわけでもない部屋住みの次男や三男は本当に家に居場所が無くて辛かったみたいだぞ
運良く金持ちの女捕まえて婿養子に行ければ勝ち組ルートだけど大抵はそんなことなく
生きる事だろ
寝てても銭が無くなって長家追い出されてそこらで野垂れ死ぬだけだぞ?ナマポとか無いんだから
飢饉と極限までの取り立てがほぼ常態化していて、上しか生き残れないのが江戸時代だから
>>104 言うて今の自由な恋愛競争とはまるで違うやろ
ただただ家を残したいという闘争の果てが俺らなだけ
江戸の長屋は冬はクソ寒く
火事が多いから夜は火鉢も使えず
布団は高級品なので貧乏人には買えない
だから男同士で裸で抱き合って寝る事も多かった
すると何も起きない訳もなく…
>>144 飢饉関係無く普通に今と一緒で超重税だし
地元も上層農家の汚職や不法三昧が酷いから
(汚職は当然の権利くらいにしか思ってないし殺人や強盗やっても放置)
必然下層農家が没落して最上位氏族の分家だらけに
>>107 大名行列に仕事としてついて行って吉原で遊ぶのが田舎者の最大の楽しみ
>>151 江戸以前の日本においては奉公も結婚もほとんど人身売買と同義だよ
仕事に限定される指示命令系統ではなく、「家」に仕えていたわけだしね
欧米に置ける奴隷と同じ状態
唯一の違いは市民とか奴隷とかそういうものを日本ではきちんと定義しなかったこと(奈良時代除く)
レイプだろ
当時なんて山でも川でも捨てちまえばバレるわけないからな
>>153 江戸時代だと拷問裁判で無理やり出した自白で死刑な
>>156 今と変わらなくてワロタ
さすが中世ジャップランド
>>86 マジだった
美人画は吉原に行けない男の欲望が生んだ?
堀口:浮世絵といえば、美人画を鑑賞するのは疑似恋愛ですよね。実際に吉原に行けない人のために美人を描いたものが最初なので、独身男性の欲望がベースにあるんです。
そういえば、コスプレも江戸時代にすごくはやっているんですよ。
荒川:そうなんですか!
堀口:仮装ができるかできないかで盛り場での人気度が違うので、頑張っていたみたいですよ。歌舞伎役者や、有名な歴史上の英雄などの仮装をしていたようです。男性も女性も。
いちばん大きな仮装のイベントは、吉原で1カ月間仮装パレードをする「吉原俄(よしわらにわか)」というイベントでした。そのときは花魁(おいらん)ではなく、吉原の裏方で働いている芸者たちが出し物をするんですよ。仮装をして踊ってと、まさにハロウィンのパレードみたいな感じです。
荒川:まさにハロウィンですね。
堀口:お花見でも仮装をやっていたみたいです。イベントの日に一生懸命仮装で趣向を凝らすというのはあの当時からすでにやっていたんですね。
荒川:歌舞伎役者のデフォルメされた浮世絵も、今でいうパロディ画ですよね。黄表紙も、今でいうラノベ(ライトノベル)やマンガですね。そうした芸術がどんどん生み出されたのは、やはり江戸中期以降のあの時代じゃないですか。
堀口:平和で戦争に行く必要がないから、文化面にやたらと力が行くんです。今を充実させるために貪欲な人たちだったので、今を楽しくしたいということでさまざまな芸術が発達したんです。
https://toyokeizai.net/articles/-/176709 まさに俺らと同じ
子孫を残せないところまで同じ
江戸の食文化は独身男が支えた
堀口:それから、食文化も栄えました。独身男性が多い江戸。しかも、みんな働いているため自炊するのは大変です。そこで食べ物の行商がはやるんですよ。お総菜やおつゆとかですね。
しかも、仕事前に食べられるように、完成したご飯のデリバリーが家にまで来ていたんです。
荒川:そんなサービスがすでに江戸時代にあったんですね。
堀口:和食は江戸時代に発達しましたが、要因は外食産業なんですよ。
食事を家で食べられない男性に向けたサービスとして、仕事に出ていった先で軽食を取るために屋台が発達したり、行商があったりと、コンビニエンスな食べ物が発達していきました。
荒川:江戸時代の男性はまったく自炊をしなかったのですか?
堀口:おコメくらいは炊くんですけど、それ以外の物は安い値段で買えてしまえるので、作る必要がなかったんですね。
ただ、江戸時代も260年間あるので、後半になると料理男子が出てくるんですよ。趣味として料理をする男子ですね。すると、レシピ集も出版されるようになって。
荒川:その流れってすごく今と似ていますね。今も外食産業はソロ男たちが支えていて、1人で1家族以上に外食費をかけています。
堀口:本当だ、すごく似ていますね。
荒川:男余りだったこと、オタクがいたこと、独身男性たちによって食文化が栄えたこと。今の日本と江戸時代の江戸は共通点がたくさんありますね。
結婚しない独身男性に対して「結婚して子どもを残してこそ一人前だ」と説教する人がいるんですが、
江戸時代のソロ男たちって、「子孫は残せなかったけど、今に続く文化や産業を残した」と思うんですよ。←←←←
未婚化や非婚化は決してマイナス部分だけではなく、そうした力もあるんじゃないかと思います。
https://toyokeizai.net/articles/-/176709 東京では昭和中ごろまで庶民は借家が当たり前だったし
借地借家法の前身である借地法が最初に制定されたのは1921(大正10)年。
借地人さんの権利を明確にした法律であり、時代の情勢も反映しながら幾度もの改正を経て今日に至っています。
戦前は土地の値段が安く、土地を所有したいというニーズや権利意識が薄かったため、日本の都市部では借地、借家の利用が一般的でした。
また、借地に自分が住む家を建てたり、建てた家を人に貸すということもありました。地主さんと家主さんが別々に存在する借家もあったほどです。
1941(昭和16)年に、最初の借地法の改正が行われました。「法定更新制度」といって、住むところがないなどの正当な理由がない限り、借地・借家の契約更新が法律で認められることになりました。
つまり地主さんは、借地人さんや借家人さんからの更新希望を拒絶することは事実上困難になったのです。
この改正の背景には、日本が国を挙げて戦争に邁進していた社会情勢がありました。
多くの成年男子を徴兵し戦地に送り出すにあたり、一家の大黒柱が留守の間に借家に住む家族が家を追い出されることのないよう、国策としてその権利を保護したのです。
借家と同じく借地が対象になったのは、当時の借家は借地の上に建てられていることが多かったため、借家人さんの住む権利を守るには、その大家さんの借地権も同時に保護する必要があったからです。
戦後、高度経済成長に伴って都市部に住む人口が飛躍的に増えたため、狭くても手頃な家賃の賃貸物件が借家として供給されていきました。
一方、物価上昇率をはるかに超えて高騰していたのが地価です。
「土地神話」といって、土地を持つことで資産になるという都市伝説が生まれたのもこの時期でした。
https://www.needs-p.jp/history/#:~:text=%E6%88%A6%E5%89%8D%E3%81%AF%E5%9C%9F%E5%9C%B0%E3%81%AE%E5%80%A4%E6%AE%B5,%E3%82%82%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%BB%E3%81%A9%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82
借家の理由
振り返ってみると戦前から1950年代くらいまで、都市部では昔からの地主など一部のお金持ち以外は借家(賃貸住宅)に住むのが一般的でした。
東京都区部、大阪市内、名古屋市内、神戸・京都・福岡といった都市では、文化住宅(アパート)、長屋、間借り、といった形態に違いはあれども、普通の暮らしをする多くの方々(=いわゆる庶民)は借家に住んでいました。
一方、同じころ、地方都市では、持ち家に大世帯で住むことが通常でした。
農業・漁業・家内制手工業などが主たる産業だったから、持ち家(=自宅)で商売を行う、自宅に隣する農地を耕作する等、職住接近の暮らしでした。
しかし、60年代70年代の高度経済成長期に大きく変化します。都市部で工業・商業が急拡大し、その担い手(労働者)として、地方都市からの多くの方々が都市部に移動します。
おもに、農業・漁業・林業といった一次産業を営む家の後継ぎでない男性(次男・三男・・)の方々です。中学、あるいは高校を卒業して、大都市にやってきた方々が、10年くらい経つと家庭を持ちます。
彼らの多くは、もともと「持ち家」で育っていますから、「いまは給与が少ないから借家だけど、いつかは自分の家を持ちたい」という「持ち家志向」なわけです。
こうした方々が所帯を持ちます。
その住まいとして、60年代後半~70年代にかけて、公的賃貸住宅つまり公団住宅、県営住宅、市営住宅が多く供給されます。
「まず賃貸」という状況です。そして、それからしばらくすると、つまり70年代後半から80年にかけて、こうした方々が、「次は持ち家」と考え、都市の郊外において戸建て住宅供給が増えます。
こうした流れのピークは、1980年代半ばから後半に起こる不動産バブルの時に起こります。
https://43up.jp/navi/trend/vol06.html http://kakeizunotobira.denshishosekidaio.com/2016/06/11/post-957/
美人絵や春画が売れまくった
>>21 それ新生児死亡率が高いせいで平均が下がってるだけ
中央値はもっと上
>>31 そのうち電子考古学みたいな学問ジャンルが出来て、平成末期~令和のアイドル・コンカフェ文化もTwitterのサーバーとかから発掘されて、未来モメンこうやって笑われるんだろうな
>>57 田舎は夜這いしまくり
祭りは乱交パーティー会場だったんじゃないの?
江戸時代ではないが津山事件の弱者男性犯人だって結核?になって断られるまでは夜這いしまくってたらしいし
テキトーな知識なので本当のところは知らんが
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