髪の毛が一本もない人はハゲである(前提1)ハゲの人に髪の毛を一本足してもハゲである(前提2)よって全ての人はハゲである(結論) [804298528]
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砂山のパラドックスの起源は、一般に古代ギリシャの哲学者ミレトスのエウブリデスが作ったとされるハゲ頭のパラドックス (paradox of the bald man) に帰せられる。
ハゲ頭のパラドックス
「髪の毛が一本もない人はハゲである」(前提1)
「ハゲの人に髪の毛を一本足してもハゲである」(前提2)
ここで前提1に前提2を繰り返し適用していく(つまりツルッパゲの人に髪の毛を一本ずつ足していく)。そして次の結論を得る。
「よって全ての人はハゲである」(結論)
http://sick/early/say.com
>>37
ひろゆきは座り込みの定義を自分だけで固定したから雑魚 ハゲの人に髪の毛を一本足すとハゲではなくなるよ
例えば波平はハゲではなく「波平」という独立したカテゴリがある
>>42
yogiboーっていうビーズクッション知ってる?
あれのせいで最近腰やばい
整体行く金ないんだよ、なんぼなん 一本ずつ足していってどこかでハゲとハゲじゃない境界が生まれんのかね?すごく不思議だが
>>44
いや僕の定義じゃなくて辞書に書いてあるんで~ これ数学的帰納法的になにか不備があるか?
人類みんなハゲが証明されてしまったが 本数や密度、ハゲてる箇所によっても変わるから定義は実に難しい >>45
ヨギボー有名だよね
あれで腰悪化させたのか?
体に合ってないんだろう フサから一本抜いてもフサ?じゃあハゲはフサ?
フサはハゲでハゲはフサ?
>>51
これが言語哲学 本数の問題じゃないんだよな
ハゲかどうかは定量的に測れるものではなくて直感的にハゲと認識されたらハゲなんだよ >>49
髪の毛が10万本ある人はハゲではない
1本抜けてもハゲではない
つまり >>49
数学的にはハゲの定義がないからP(n)がハゲでもP(n+1)がハゲか分からない。 >>60
10万本全てが極細の産毛相当だったらハゲ扱いされんじゃね
>>61
正解
でも俺たち人間は感覚だよね 単位面積あたりの毛の本数で部分的なハゲを定義する
ハゲ部分が頭皮全体の何%を占めるかでハゲか否かを決定する 一本もないのはハゲチャビンね
普通のハゲとはレヴェルが違う お日様の当たる場所に行って頭がピカッと光ればハゲなんだよ
ぐだぐだ言ってんじゃねぇよハゲ この場合の1本というのは現実の1本ではなく概念的な1本なのではなかろうか 愛の年始回り、愛の節分、愛の春分、愛のエイプリルフール、愛の憲法記念日、愛の時の記念日、愛の七夕祭り、愛のお盆、愛の敬老の日、愛のスポーツの日、愛の勤労感謝の日、愛の討ち入り ちょんまげの起源は誇り高き武士が禿げを誤魔化す為
ちょんまげの起源説は色々あるけど俺はこの起源を独自に提唱している
で、禿げにちょんまげを足した場合これは禿げと言えるのか?
禿げと言えないとしても明智光秀のように禿げと言われるケースもある
だから禿げか?禿げじゃないか?の定義は頭の表面積における
ちょんまげの太さと長さの割合を導き出す事により明確になる
のではないか?と俺は考えている これ、古代ギリシアのハゲ哲学者が必死で考え出した言い訳やろ 頭に毛が生えているタイプの人間は原始的な名残が強い個体である DD論の発展形がこんな昔に完成されていたなんて…(`・ω・´) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています