“戦う哲学者”中島義道氏が見つめる現代社会「コロナ禍は精神衛生上、とても良い」(日刊ゲンダイDIGITAL)
https://news.yahoo.co.jp/articles/298025d17b59cec5bd2d3b07fbf15afcaec9f2c2

新型コロナ禍は平和だったはずの日常をかき乱し、人の抱える「生きづらさ」や「孤独」を浮き彫りにした。「哲学は反社会的な営みである」と公言してはばからない“戦う哲学者”は、現代社会をどう見つめているのか。

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電気通信大教授の在任中、2008年から私塾「哲学塾カント」を主宰。教職を辞した後も現在に至るまで塾を開講し、常時100人ほどの塾生を抱えている。

「哲学塾では大学院でも扱わないようなレベルを扱っています。哲学科には行きたくないが、哲学をしたい人が集まっています。コロナ禍がとても良いという人が多いですね。コロナ禍前は対面授業でしたが、今は画面越し。面と向かって話すのが苦手な生徒も多いから、みんなにとって楽みたいですね」

コロナ禍はいや応なく、人と人との物理的距離を引き離し、勝手気ままに出歩ける日常を一変させたが、そのような制限はむしろ、プラスに作用したという。

「コロナ禍で、みんな病的になったでしょう? 一番困るのは、誰もが健康で、どこにでも旅行できる状態。ある生徒は『なんで、みんな外出したいんでしょうね』と(笑)。引きこもりの人にしてみれば、そもそも外が怖いし、一緒に出かける相手がいないから、外出自粛や接近してはいけない状況は精神衛生上、とても良い」

こうした受け止め方の違いにうかがえるのは、社会からの圧力だ。

「日本社会は暗い子に対し、とても冷たい。『子どもや若者は明るくなくてはいけない』という圧力がある。しかし、男女問わず、性格の暗い子はいますよね。若い時分は圧力に対する抵抗力がないから、『僕の趣味は哲学』なんて言えないし、オカシイ奴だと思われる。そんな子にとって就職や結婚はハードルが高い一方、あらゆることを自分で決められなければ、人間的に無価値だとみなされるのが現代の価値観です。そうして全部ダメだとなると、人生そのものを考え始めます。『なんで生きているんだろう』とか。これは哲学をやる時のプラスです」

■品行方正に生きたら何もできない

自身も悩みに悩んだ青春時代を送った。東大に12年間在籍。単身ウィーンへと飛び立ったのは33歳の時だ。

「ウィーンに行ってダメだったら、完全にアウトですよね。結局うまくいったから、何か貴重なことを捨てることはある意味、財産であると言えます。東大在学中に法学部を捨てて哲学科へ移ったり、日本の生活を捨てたりした経験がなかったら、他人に語れません。もう誰かを励ますことはやめましたが、経験上言えるとすれば、品行方正に生きたら何もできないということ。自分にやりたいことがあった場合には、犯罪に手を染めないギリギリのところで、自分の持っているモノや他人をすべて利用する。大学に12年在籍した後、ウィーンに行けたのも、すべて親という出資者に頼ったからです。姉が割と大きな企業の秘書だったから、親が破産してもよいと思っていた。親を捨てるか、親を救うために哲学を諦めるかを突き付けられた時に、親が死んでも構わないと思ったほどです」

■哲学はある種の虚像

一方、哲学に人生の“救い”を見いだせるかどうかは別問題だ。

「哲学はある種の虚像であり、いわば幻の城。哲学をしていれば、人間的境地の高みに至り、周囲を軽蔑できるという錯覚を抱く人もいます。かつて哲学塾の生徒に、ラテン語に堪能な自らを偉いと勘違いし、目上の人に敬語を使う理由を見いだせずにアルバイトを辞めさせられた子もいました。哲学に自らの人生を付託しない“余裕派”の人や、『人類が一番の難問である』ということに触れるだけでもよい人は、哲学に向いているかもしれません。健全なのは、箔だとかを期待しないことですね」

▽中島義道(なかじま・よしみち) 1946年生まれ。東大法学部卒。同大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士)。電気通信大教授を経て、現在は哲学塾主宰。「哲学の教科書」(講談社学術文庫)、「不在の哲学」(ちくま学芸文庫)、「てってい的にキルケゴール」(ぷねうま舎)など著書多数。