宗教学2

12/23からの出題の内容は以下のとおり。
提出期限は 2023/1/15〔日曜日〕23:55と設定。

内容は予告していたとおりのものであったため、掲示の開始が年を越しました。
以下が課題 :

従前から問題となっていた「政教分離」に関して各自の見解をまとめる。その際 次の事項をそれぞれ盛り込む必要がある。
・Reichskonkordat(政教条約)〔とりわけ独・伊〔バチカン〕の間で結ばれたもの〕
・ライシテ〔とりわけ現在の仏、第五共和政におけるもの、としての政教分離〕(イスラームとカトリックとの摩擦を含む)
・国家
・民主主義
・戦争
以上の五項。
これらの論題に関して、前年度の講義の録画(上記の問題を解説したもの)の視聴経路がコースコンテンツに設置済み(全四本)。(視聴は任意。未視聴で考えるのであれば各自で詳細に文献などを繙く必要がある)。

概説 :
これまで見てきたように、「理性」( logos, ratio, verbum)が宗教的な教義に登場するのはキリスト教からの新たな伝統となる(ユダヤ教的には理性は疎遠な言葉であった)。主として「ヨハネの福音書」から「ニカイア公会議」へといたる路線において、その議論の骨子が定められ、その後千年以上にわたり、教義体系が構築されていく(いわゆるスコラ哲学)。

この「理性」と「人間」との関係をめぐって、キリスト教神学とイスラーム神学のそれぞれの側において詳細な議論がある(この論題に先に取り組んだのは、実はイスラーム神学である〔アヴィケンナなど〕)。この問題(神の理性と人間の理性との関係や如何に、という問題)への取り組みが大きく変動したのが、近代(西洋近代〔つまりキリスト教の近代〕)である。すなわち「神的な理性」と「人間の理性」との関係を考えるにあたって、後者が前者に無限に接近可能である、とする議論が展開されるのが近代(とりわけドイツ観念論)であり、その指標(そして現場)とされるのが、ヒューマニズムないし啓蒙思想ないし近代国家という理念である。

ここにおいて(近代西洋に形成される諸国家群において)、従来からのキリスト教独自の概念である〈「聖」と「俗」〉の意味合いは大きく変転する。人間的な秩序としての地上から、神的秩序としての天界への接合は、(救世主の御業というよりも)人間の理性に即して(人間自身により)遂行されえるし、遂行せねばならない、という確信が表明されることになる。
言葉を換えて言えば、近代において、「救世主イエスに従う」ということの意味が、信仰の問題から、実践の問題へと推移した(自然と身体とを、理性的なものが支配するという課題へと変容した)と表現することもできる。

この理念の下に展開されたのが近代国家において構築された西洋のテクノロジー(自然への理性の適用)でありポリティーク(地上に善を実現する政治制度)であるのだか‥。このような意味での人間の理性による地上の支配を、教義の上からして肯定できないのが、ほかならぬイスラームである。地上の事柄に関して、人間的な知が無際限に適用可能であると考えることは、人間の理性に関する傲岸な自己解釈であるとして、世界に向き合う態度を、固く神の命法の枠内に収めようとする傾向が、近代以降においてもイスラームに一貫して流れていた。

ここからの一つの結果として、「頑迷固陋で教義(宗教/信仰)に呪縛されたイスラーム」と「理性の自由な行使により発展(神の国の実現)へと邁進する西洋(キリスト教国)」という図式が生まれ、しかも後者が前者を覇権的な意味において圧倒することになる。この構図は、ここ二百年くらいの動向である。
付言すると、この流れの中で戦後に生じた新生国家イスラエルはほぼ西洋化(キリスト教化)した国家運営にいそしむことになる。

以上のような 教義/信仰/思想/科学/政治/法/覇権(紛争/戦争)、これらが絡み合った問題である「政教分離」は、当然ながら簡単に整理できる問題ではないのであるが、限られた時間内で(提出期間のうちに)自分なりに理解の方向を定めて、それから先は各自でこれからの時間において継続して思考を続けるものとする。

受付開始日時 2023-01-03 12:00:00
受付終了日時 2023-01-15 23:55:00
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