荒川和久/「結婚滅亡」著者

最近では、メディアは「5組に1組がマッチングアプリ婚だ」とかうかれて報道しているが…この割合が増えているという数字の罠という意味では同じ間違いなのである。

さも、マッチングアプリがこれからの婚姻増の救世主かのようなもてはやし方だが、そんなことはない。何度もいうように、マッチングアプリでの結婚が増えたところで全体の婚姻数は増えていない。婚姻数が増えていないからマッチングアプリでの比率が高まっているだけにすぎない。

そもそも、マッチングアプリ婚が増えたところで全体の婚姻数が底上げされることなど一切ない。なぜなら、アプリがなくても恋愛できる者同士が単にアプリというツールを使って出会ったにすぎないからだ。アプリがあってもなくてもそういう恋愛強者は勝手に出会って、勝手に結婚する。

むしろアプリとは、「恋愛弱者が自分が恋愛相手として選ばれないことを否応なく思い知らされる残酷なツール」でしかなく、かつて社会のお膳立てによってかろうじて結婚できた弱者たちを「こんな嫌な思いするまらいなら婚活なんてしなくていい」と選択非婚者に鞍替えさせる機能でしかない。

しかし、こういうことを書くと「ちょっとそういう記事は出せません」などと言ってくるメディアもあるそうだ。なぜなら自分達の広告主の中にアプリ業者がいるからだ。

アホかと。明らかなデマに基づく誹謗中傷ならともかく、そうでないファクトの提示を忖度によってなきものにして、自分らがもっとも大事にしなければならない「言論の自由」を粗末に扱うくらいならジャーナリズムなんてやめろと言いたい。幸い、そういうメディアとは個人的に遭遇していないが、もし来たら、おもしろいコンテンツにできそうなのですべて晒してやろうと考えている。

とはいえ、大人の事情で、いろいろ忖度せざるを得ない場合もあるだろう。広告主のためにいやいややらされている場合も過去にはあったろう。しかし、今ではそれはステルス・マーケティングといって禁止されている。やるのであれば、記事ならば「広告・PR」という表記をしないといけないし、テレビなら「これは広告です」という断りが必要なはずだ。

広告とは関係なく、思想によって偏った報道もたくさんある。過去にもそういうものに対して「違うよ」といってきてはいるが、なかなかなくならないのは、これがミスや思い違いや無知によるものではなく、確固たる信念による切り取りや印象操作の意志に基づくものもあるからだ。メディアにいる人全員がそうではない。が、そういう人もいる。

我々はニュースや記事などを受け取る場合には、鵜呑みにせず、そのニュースのソースとなっている一次情報統計などにアクセスして、「本当にその解釈は正しいのか」と疑う姿勢が必要だろう。特に、短文系のツイッターなどで流れてくるものは、悪意でなくとも勘違いを誘発しかねない。受け取り側の個人のリテラシーが求められてくる。

個人のリテラシーがあがれば、適当な切り取りや間違った解釈や偏った思想による言論は呆れられて相手にされなくなるだろう。

ちなみに、偏っていようといまいと自分の思想を述べるのは自由なので、それを否定するつもりもない。が、メディアという立場で発信する場合には正確性と客観性が不可欠だと思う。思想を述べたければ個人の記事で思う存分書けばいいだけだ。

https://comemo.nikkei.com/n/n676b1ef7a163