また、江戸時代には、町民や農民など庶民層においては、性に対する認識はさらに大らかに、肯定的になっていきました。それは、世界的にも有名な春画をみても、明らかです。男女の結合部が、じつにリアルな描写で、より大きく、強調される構図で生き生きと描かれ、自由で明るい性を楽しんでいる様子が伝わってきます。



 実際に、セックスは、祭りの際には乱交やスワッピングという形で、享楽的なイベントとしても楽しまれていました。大人に限らず、二次性徴を迎えた農村の男子は、同じ村に住む年上の女性に「筆おろし」という形で、初めてのセックスを教えてもらっていました。



 筆おろしを通じて、男子たちはセックスのやり方をはじめ、やっていいこと、やってはいけないことなどのマナーを厳しく教え込まれていました。つまり、超リアルな性教育をしてもらっていたわけです。



 一方、厳格な倫理を重んじる武家では、性に関しては強く制御されており、オナニーさえ禁じられていたといいます。それが、当時の儒学者・貝原益軒の健康に関する書物『養生訓』での「接して漏らさず(セックスはしても射精をしてはいけない)」にも表れています。



 性にリベラルな江戸時代の庶民層は、当然ながらオナニーに対しても非常に肯定的で、会津藩の国学者・沢田名垂が記した『阿奈遠可志(あなをかし)』には、オナニーに対する賛辞が次のように記されています。



《かはつるみといかいうおの子の手わざこそ、たぐいなきいみじきものなれ。名をたてず身をそこなはず、世のわらひとなりしためしもきかねば、これも又もとは聖ほとけのみをしへにもやあるらん》



(オナニーはすばらしいものである。なぜなら健康を損なうことも、世間に迷惑をかけることもない仏の教えだから)



 このように、一昔前の日本の庶民層においては、オナニーに対する宗教的なタブーも罪悪感の意識もなく、男性が当たり前に行うものとして認識されていたわけです。

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