太平洋戦争末期、特攻に志願した少年たち。
飛行機で敵の戦艦に体当たりする特攻攻撃。
当時、少年たちは、国を、家族を、大切な人たちを守るため”特攻隊”は、最高の栄誉だと信じていました。
しかし、目の当たりにしたのはベニヤのボートに、竹竿と重さ約80キロの潜水服。
敵の戦艦に体当たりするための飛行機もなくなり、特攻に志願した少年たちはこれらの道具で、自らが兵器になることを強いられました。
死を覚悟した少年たちは、戦争の現実を思い知らされます。
戦争とは、何だったのか?
兵器になった少年たちの声を聞きました。
https://www.youtube.com/watch?v=GwgCQELL-A8

参考
終戦翌日に全滅した第128震洋隊の概要
8月16日の爆発の前兆=最初の爆発が起こる半時間ほど前、三浦清重少年兵が一隻の震洋艇のテスト用タンクからガソリンが漏れていることを発見、
整備員に報告したが「何を生意気なことを言うか!」と一蹴された。

一回目の爆発=上記艇の燃料に引火して炎上、横田、又場、国田隊員らが消火作業にあたったが、タンクが爆発、三人は火達磨となり、井戸に飛び込んだ。

但し、国田隊員は地面を転げ回っていたところ、青野少尉に担がれ、井戸へ浸けられている。

その十数分後、再びその艇の艇首炸薬が爆発、次々と他の艇も誘爆し、搭乗員全員と青野少尉を含む111名が一瞬にして爆死した。

敵艦発見の誤報について=第23突撃隊司令本部にもたらされた「土佐沖に敵艦群見ゆ」の報については、今日に至るまで、発信源や発信者等、一切判明していない。

一説には漁業を再開した漁船を見間違ったとか、横須賀に向う米国艦隊だったとか、諸説あるが、推測の域を出ない。
https://ameblo.jp/kochi-romp/entry-10988333261.html