【嫌儲読書部】GWに読むべき本や漫画を教え合うスレ [592984511]
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新旧聖書とクルアーンとアヴェスター
真に国際人として文化の深層を理解するには必須や思うんよ。 カップルや家族連れがお出かけの中、俺たちは家に籠って萩原朔太郎を読まなくてはいけないことになっている
『月に吠える』(1917)、『青猫』(1923)
https://i.imgur.com/YwbY3NC.jpg >>11
ショーペンハウアー先生は自殺について、読書についても必読
全部読んだら意志と表象としての世界にチャレンジ。
いまジム・トンプソンの内なる殺人者読み始めた >>16
おわああ、このケンモメンは病気です
最近のだと「ガーンズバック変換」しゅき
chatgptとか言い出す何年も前の話ってのがまた素敵 前スレ?で何回か蜜柑ってレスみたから読んでみたけどよかったな
あれくらいの短編だと読みやすい kindle unlimitedで寿司漫画の音やん
結構面白い
何故か途中で絵柄が浦沢直樹にそっくりになるが 山本周五郎を青空文庫で読んでる
酒飲みながら読むのにちょうどいい 岸信介について知る本とかある?
とりあえず2年前に買った満鉄全史って本を読むわ 米FBI、岸信介や笹川良一と統一教会の関係が記された文書を公開
http://poligion.wpblog.jp/archives/5452
岸・笹川・児玉と統一教会の繋がりを暴いた「フレーザー委員会」の報告書がウェブに公開される | | 政教ノート
http://poligion.wpblog.jp/archives/5370 >>29
95年か
2012年-2022年なら出せなかったんだろうな 傲慢と善良
スマホ脳
とりあえず話題作ってだけだが 先週の日曜日からドストエフスキーと太宰治読みっぱなしだけどさすがに疲れたわ
明日は休もう ところで、家庭内の夫婦の会話や圧倒的上位の人の目下への日本語には聞くに堪えないものがしばしばある。日本人の言葉は自分の手のうちに入った弱者には別人のように乱暴で過酷になる嫌いがある。「聴き手としての世間」がいないところからだろうか。とすれば外国人の褒める「日本人の親切」も外国人が「客人」ゆえであろうか。
(中井久夫「私の日本語雑記」) 訂正
△…いないところからだろうか。→○…いないところだからだろうか。 最近キン肉マン読んでる
7人の悪夢超人編や夢の超人タッグ編とか
やっぱり友情はええなあって思う
次は王位争奪編に突入する
>>19
意志と表象って、カント哲学とか事前に理解してないと読めないんでしょ? 白夜行 東野圭吾
旅のラゴス 筒井康隆
世界の終わりとハードボイルドワンダーランド 村上春樹
羆嵐 吉村昭
孤高の人 新田次郎
四畳半神話大系 森見登美彦
模倣犯 宮部みゆき
鬼平犯科帳 池波正太郎
蝉しぐれ 藤沢周平 先週古紙の日に拾った『幼唇いじり ひどいこと、しないで…… 』という本 有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論
稲中卓球部
カラマーゾフの兄弟
姫ちゃんのリボン
精神現象学 近所の胡散臭い英会話教室のチラシ
嘘くせー、なーんか嘘くせー…… ラーメン赤猫
岳
結局読んだことあって面白いって分かってるのじゃないと読めない😭 中井久夫本は5点満点で★★★かな
博識ではあれ本職(精神医学)ではないことについての
岩波PR誌「図書」連載の小コラムを寄せ集めて雑記と銘打ったものだから仕方ないといえば仕方ないが
散漫で自己満足でかつ詩論などやや旧いという気味は拭えず
>>48
正直読みたくなる人いねえ…河出「文藝」と似た感じするが
集英社は鬼滅など漫画の儲けで新書やオンラインを充実させててがんばってはもらいたいのだが
果たしていつまで続けられることか 映画見て面白いと思った奴は
SLAM DUNKはオススメ 【衝撃】女友達「あの人、結婚したんだよ」私「あの人?」女友達「前に紹介してくれた男の人」私「え…ちょっと待って…」→
http://tyiou.prs7.org/Znk4t/19739891.htm 雑学って言うほど俗じゃない感じの色んな分野の知識が得られる本無いかな?
春日武彦の奇想版精神医学事典って本が面白かった
ああいうのが読みたい あと40頁ほどで読了だが…ここに来てなんでこんなくだりに?
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ニューギニアには、女性が比較的初期に数人あるいはそれ以上の男性と交わる部族がある。古代日本にも年に一度、人妻との自由な交わりをも許される歌垣〔かがい〕はある。しかし、ニューギニアで面白いのは、妊娠した女性は父親を指名できることである。「あなたが父親だ」といわれれば、たとえ、その女性と交わった覚えがなくとも拒否はできない。二人は夫婦となる。
また、最近までのエチオピアでは「処女」とは「処女を自称する女性」のことであったという。
(中井久夫「私の日本語雑記」より「16 言語と文字の起源について」) 少しあいだを挟んで
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では、オジイサンはどうなのだ。オジイサンは、おそらく、もっと大局的な英知の蓄積者である。狩猟の季節を、悪天候を、飢饉の到来を、微かな徴候を捉えて先取りするのは、歴史の一身具現者であるオジイサンである。一般に、徴候を確実に読む能力は、異性の音調や表情や仕草を読む能力でもある。種の生存能力の指数であるmating rate(性交率)を高める。この能力が空〔くう〕を打った時に統合失調症的になりやすいという仮説を立てたのは三十数年前の私である。
(同上)
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ちな著者は本職が統合失調症の専門家 ついでにいえば、二十世紀以後、人はITによって近距離通信法である言語を遠距離通信、超遠距離通信に組織的かつ大規模に改変しつつある。それが言語の最新の変化である。この変化を語れという編集部の希望が、私をして、この無謀な知的冒険に導きつつある。
(同上)
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近距離(「ボディ・ランゲージ」「音声交換」)とITの超遠距離のあいだには
書字、出版、印刷、流通の歴史もあったはずだが
次に引くくだりにいちおう少しは触れられているものの
やはり散漫で自己満足で旧い感は否めず
(ちな雑誌連載が2006-09年、書籍化が2010年) >>36
そのあとスクラップ三太夫も読むんだ
ウォーズマンが出てくるぞ …その音と文字やイメージの呼び覚ます色覚をはじめとする共通感覚、…指、手、腕、全身の潜在的運動、それらすべてに対応する大脳、小脳、脳幹、延髄、脊髄の準備性、それらはどこにも行けずに封じ込められている。この二十一世紀の言語的抑圧は言語の恐ろしい単純化である。もはやわれわれは書いていない。つついているのである。携帯電話によるメールをみよ。書字とワープロの相違は書き文字とタイプライターの相違である。書字との間にはまだ往復性がある。…コンピューター以後はこの往復はない。携帯電話は、会話言語への一種の回帰であるが、肉体をほとんど失ってほとんど骨まで単純化された形でのように見える。
(同上)
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このとき、臨床の大家であるはずの著者中井は
人々が「つついている」文字の実際を見ていないように思える
「つつい」た文字になって俄然「肉体」が蘇ってはいないか
例えば全角岩手は「をれは~」と言い、暇空茜は「せんちゃ」とつぶやく
これをそのまま「全身の…運動」とともに「書いて」みればよい
元の語のあまりの「肉体」過剰に「書字」を躊躇するだろう
しかもその「肉体」は人間の側でなく言語の側にあるのだ 千葉外房一宮に避暑に来ている
芥川龍之介および久米正雄宛て
1916(大正5)/8/21付の1通目
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あなたがたから端書がきたから奮發して此手紙を上げます。僕は不相變「明暗」を午前中書いてゐます。心持は苦痛、快樂、器械的、此三つをかねてゐます。存外凉しいのが何より仕合せです。(略)
勉強をしますか。何か書きますか。君方は新時代の作家になる積でせう。僕も其積であなた方の將來を見てゐます。どうぞ偉くなつて下さい。然し無暗にあせつては不可ません。たゞ牛のやうに圖々しく進んで行くのが大事です。文壇にもつと心持の好い愉快な空氣を輸入したいと思ひます。それから無暗にカタカナに平伏する癖をやめさせてやりたいと思ひます。是は兩君とも御同感だらうと思ひます。
今日からつくつく法師が鳴き出しました。もう秋が近づいて來たのでせう。
私はこんな長い手紙をたゞ書くのです。永い日が何時迄もつゞいて何うしても日が暮れないといふ證據に書くのです。さういふ心持の中に入つてゐる自分を君等に紹介する爲に書くのです。夫からさういふ心持でゐる事を自分で味つて見るために書くのです。日は長いのです。四方は蝉の聲で埋つてゐます。以上 千葉外房一宮に避暑に来ている
芥川龍之介および久米正雄宛て
1916(大正5)/8/24付の2通目
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此手紙をもう一本君等に上げます。君等の手紙があまりに潑溂としてゐるので、無精の僕ももう一度君等に向つて何か云ひたくなつたのです。云はゞ君等の若々しい靑春の氣が、老人の僕を若返らせたのです。(略)
君方は能く本を讀むから感心です。しかもそれを輕蔑し得るために讀むんだから偉い。(ひやかすのぢやありません、賞めてるんです)。僕思ふに日露戰爭で軍人が露西亞に勝つた以上、文人も何時迄恐露病に罹つてうんうん蒼い顔をしてゐるべき次第のものぢやない。僕は此氣燄をもう餘程前から持ち廻つてゐるが、君等を惱ませるのは今回を以て嚆矢とするんだから、一遍丈は默つて聞いてお置きなさい。
本を讀んで面白いのがあつたら敎へて下さい。さうして後で僕に借して呉れ玉へ。僕は近頃めちやめちやで昔し讀んだ本さへ忘れてゐる。(略)
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(つづく) (>>65つづき)
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一寸筆を休めて是から何を書かうかと考へて見たが、のべつに書けばいくらでも書けさうですが、書いた所で自慢にもならないから、此所いらで切り上げます。まだ何か云ひ殘した事があるやうだけれども。
あゝさうだ。さうだ。芥川君の作物の事だ。大變神經を惱ませてゐるやうに久米君も自分も書いて來たが、それは受け合ひます。君の作物はちやんと手腕がきまつてゐるのです。决してある程度以下には書かうとしても書けないからです。久米君の方は好いものを書く代りに時としては、どつかり落ちないとも限らないやうに思へますが、君の方はそんな譯のあり得ない作風ですから大丈夫です。此豫言が適中するかしないかはもう一週間すると分ります。適中したら僕に禮をお云ひなさい。外れたら僕があやまります。
牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです。僕のやうな老獪なものでも、只今牛と馬とつがつて孕める事ある相の子位な程度のものです。
あせつては不可せん。頭を惡くしては不可せん。根氣づくでお出でなさい。世の中は根氣の前に頭を下げる事を知つてゐますが、火花の前には一瞬の記憶しか與へて呉れません。うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。决して相手を拵らへてそれを押しちや不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て來ます。さうして吾々を惱ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。
是から湯に入ります。
八月二十四日
夏目金之助
芥川龍之介樣
久 米 正 雄 樣
君方が避暑中もう手紙を上げないかも知れません。君方も返事の事は氣にしないでも構ひません。
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この約3か月半後、漱石他界 上記は「漱石全集」(原文ママの旧字旧かな)のネットからのコピペだけど
岩波文庫の「漱石書簡集」は基本新字新かな(この芥川久米宛も2通とも所収)で読みやすい
で、手元の文庫版書簡集を芥川久米宛から遡り読んでたところ
東大の教え子、鈴木三重吉から貰った「一大手紙」について
別の教え子に報告しているものが実におもしろい
(中川芳太郎宛、1905(明治38)/9/11付)
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…第一に驚ろいたのはその長い事で念のため尺を計って見たら八畳の座敷を竪〔たて〕にぶっこぬいて六畳の座敷を優に横断したのは長いものだ。あれだけのものがかけるなら慥か〔たしか〕に神経衰弱ではない。…
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三重吉は神経衰弱になって休学を申し出たのだが
自分がいかに夏目先生を「敬慕」しているかをも伝えたようだ
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それから次に驚ろいた事は三重吉君が僕の事をのべつにかいている事だ。自分のおやじの事より僕の事がよほど長くかいてある。あの手紙が三間の長さとすると二間は慥かに金やんの事で埋って〔うずまって〕いる。…あの手紙を読むと三重吉君は僕の事を毎日考えて神経衰弱を起したように思われる。…しかしいくら漱石だって、金やんだって、講師だって、髭が生えてたって、三重吉君からこれほど敬慕せられてありがたく思わんという次第のものではない。ありがたいなどは通過して恐ろしい位だ。…元来人から敬慕されるとか親愛されると急に善人になりたくなるものだ。敬慕親愛に副う〔そう〕だけの資格を一夜のうちに作りたくなるものだ。僕も今夜は急に善人になりたくなったような気がする。天下の人がみんな三重吉君のように僕を敬愛してくれていたら僕は今頃はとくに孔夫子か基督〔キリスト〕か乃至〔ないし〕釈迦牟尼位にはなっているよ。…金やんもその好意に対して何か進呈しようと思うが別段勧業銀行の債券にも当らん事だから思うものも差し上げる訳に参らんから、近日出版の『吾輩は猫である』一部を謹呈する事に致すからこれも御報知を願いたい。
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ユーモア全開のこの手紙の結び
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右御挨拶までに草々認めた〔したためた〕ばかりであるから前後乱雑で読みにくく解しにくいと思うが、どうか僕のいう事だけを三重吉君に伝えてください。尤も〔もっとも〕望む所は一年間田舎へ引籠るのをやめて出京するように勧めて下さい。僕には三間の手紙をかく勇気がないからこれで御免を蒙ります。実際三重吉君より僕の方が神経衰弱さ。親分が神経衰弱だから子分は少々神経衰弱でも学校へ出るがよかろう。
九月十一日夜
金やん
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