ーー過去作のインタビューで“作品に対する意見を気にするあまり寝込んだことがある”といったことを仰っていますが、今回は大丈夫でしたか?

新海 いまもそうです。いろんな意見が出てくるのは当然ですけど、そのたびに一喜一憂していますね。
『すずめ』は昨年の11月に公開されましたけど、最初の1ヶ月くらいはあまり眠れない日々が続いて、ちょっと気が緩むと涙が出てしまって。
自分としては「うまくいかなかったな」という気持ちが、すごく強かったんです。

 うまくいかなかったと思う根拠が明確にあるわけじゃないんです。
みなさんの力によってヒットしたといえる数字も出せました。それでも、うまくいかなかった気持ちが強かった。

 震災に関する部分で、そういう気持ちになったんです。「震災を利用してお金を儲けている」ようなことを言われるのは想定していたんですけど、
想定していたのと、実際にそういった意見を聞いたり目にしたりするのは、やっぱり違うものでした。

ーー聞いたり、目にしたもので、大きなインパクトを受けたものがあったのですか。

新海 ある報道ドキュメンタリー番組で『すずめ』を取り上げていただいて。
東日本大震災に遭われてご家族を亡くされた親子の方が『すずめ』を見に行かれるんですが、
その娘さんは「家族が震災で亡くなったことを友達に言えなかったんだけど、この映画を見て友達とそのことを共有できた」というようなことを言ってくださって。
だけど、お父さんは「この監督は、なんだってこんなものを作ったんだ。こういう突きつけ方をしてほしくなかった。信じられない」といった反応だったんですね。

 いろんな反応が出るのは覚悟してたけど、それを見たときに「作るべきじゃなかったんじゃないか」「もう少し違う手付きがありえたんじゃないか」と考えて、寝込む寸前にまでなってしまって。

ーー難しい問題ですね。

新海 でも、いまとなっては『すずめ』という映画を作ることを、やらないよりはやってよかったと信じています。
震災をエンタテインメントのなかで扱ってはいけない、扱うのは禁止となってしまったら、そのほうが不健全ではないかと思うんです。

 東日本大震災に限らず、実際にあった大災害が設定の一部になっている漫画、小説、アニメは『すずめ』のほかにも数多くあります。
なにか災害が起きると、そこから無数の物語が生まれていきますが、そういった作品に触れることで「あ、こんな災害があったんだ」「あの震災でこんなことがあったのかも」という気づきや思いが出てくるわけです。

 ただ『すずめ』のような大きな規模の映画は、それゆえに目立つことで、さまざまな声が届くんですね。
だけど、『すずめ』のような描き方じゃなければ届かなかったもの、届かなかった場所というのは、きっとあったんじゃないかと。
海外を回って戻ってきたいまだからこそ、そう強く思います。

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