キリスト教の『三位一体』という教義の難解さは異常。神はヤハウェなのに、イエスを神として崇めなければならない [757453285]
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三位一体改革で構造的賃上げ実現と首相
6/21(水) 18:16配信
岸田首相は会見で「リスキリングや日本型の職務給の導入、
成長分野への円滑な労働移動の三つを、
三位一体の改革として進めていくことで
構造的賃上げを実現する」と述べた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b20728dcebd231d765a3a63e138676f78194a822 神学として教理を詰めて整合を取るためには必要だけど
一般教徒が素朴に信仰する分には全く理解の必要なんてない __(^ん^)__
〔ノ二二 ___ __,二二ヽ〕
|::::::::::::::::::::::ヽ ゜ ゜ /:::::::::::::::::::::::|
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ノ:::::::::::::| |_~-─~--| |::::::::::::::::| 父(神)と子(人類)までは分かるけど精霊って何だよ 3は聖なる数字やぞ
3×3月
3×3×3日
安倍晋3 イエスがヨハネの洗礼を受けたら天から聖霊が降ってきてイエスの身体に入った
以後イエスは神の意思に操縦される人間になった
↑
ただコレだけのことなのに神格化が行きすぎてこのザマよ 偉そうに神の言葉だの教義だのと語っても結局のところは階級序列をつける権威主義者であるということに何ら変わりない事実 皇帝コンスタンティヌスが政治的に決着させたものだから理解できるわけがない 三位一体って知ってる
今やってるディアブロ4で出てきた! 責任全部イエスに押し付けて神は責任取る必要がなくなった 神「隣人を愛しなさい。」
キリスト(中身は神)「主は言われた。隣人を愛せと。」
回線切り替えた自演だろこれ 仏教の三位一体
空
ハ
色ー霊
キリスト教の三位一体
父
ハ
子 聖霊
ヒンズー教の三位一体
創造
ハ
破壊-維持 >>23
神のパワーの顕現
ジョジョのスタンドみたいなもの >>36
なお歴史的には信者は隣人に対して愛どころか戦争を吹っ掛けた模様 ネトウヨローマ帝国による捏造
神なんて居ねえからな
少なからずいたであろう人間を神の子に見立てでもしなきゃ根底はすぐ崩れる 仏教の三位一体
空
ハ
色ー霊
キリスト教の三位一体
父
ハ
子ー聖霊
ヒンズー教の三位一体
創造
ハ
破壊ー維持 都合良くミトラ教と融合させた現世キリスト教は原始キリスト教とは全くの別物 >>23
概念としての教会
救済のシステム的要素
アウグスティヌスの神の国と人の国の考え方よ 神とイエスが一体は言ってることの意味はわかるけど
精霊に至っては意味不明 いわゆる偽神(アルコーン)だよね
人間によって崇められた人間の神
天皇もこれ ユダヤが無理やりキリスト教をヘブライズムに取り込んだ結果がこれ
キリスト自体は仏教なのに 全知全能の神が居るなら、大量ホモレイプ犯のジャニーが天寿を全うしたのもケケ中の暴挙もウクライナの戦争すら神が分かって放置してるか手を出せないかの二択
何れにせよ信仰する必要は欠片もない >>23
キリスト教が太陽信仰とか他宗教を吸収する過程で発生した概念
異教の信仰対象は精霊になった 所詮は人が考えてるもんね(´・ω・`)
そらあ揉めるよ 現代人にも通じる時々いいこと言うたまによくキレるおっさんぐらいでいい
教義だのは捨てろ信者になる必要もない でも神はイエスを見捨てたんやろ
セルフネグレクトのさきがけか? >>1
1、2ヶ月ぐらい前の三位一体スレで坂口ふみのレスした奴に謝意申し上げる
「〈個〉の誕生」読んだ(★★★★4/5点) まず精霊ではなく聖霊
言ってしまえば神の霊で人が聖霊に満たされると預言をしたり、異言で話すようになる
ペンテコステがそう だから、言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“聖霊”に対する冒涜は赦されない。人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」
マタイによる福音書 12章22~32節 難解にしたほうがありがたいだろw
仏教の盗用してるだけだけどな >>47
父なる神は異次元におわします故、現世に直接力を行使できません
そこで神の権能の執行者として聖霊を遣わすのです
しかし精霊は神の力の延長であり神そのものでもあるのです >>9
自分で考えろというのがブッダの最後の教えだからな イエスは三位一体なんて言ってないし
後の人による異教からの転用やで 人間をなんとかして神や仏に仕立て上げるための詭弁だから wikiでも読んでみるか…→読んでも分かんねえwww トマスアクィナスは死ぬ前に
何を見てしまったのかな キリスト教とエジプト神話
http://www.moonover.jp/bekkan/mania/chirist.htm
>〔オシリスの復活と三位一体〕
>磔刑に処されたキリストが復活する、という伝説はキリスト教信仰の中でも大きな比重を占める伝説で、
>絵画の題材としても多くの人々をひきつけてきたテーマだ。
>エジプト神話にも、同じような「復活」の伝説がある。いわずと知れた、「オシリスの復活」だ。
>キリストの死に際して涙を流す女性は聖母マリアだが、オシリスの死に際して涙を流すのは
>妻である女神イシス。イシスは、母子像では「母」の役だった女神である。
>幼いキリスト=ホルス、大人キリスト=オシリスで、オシリスとホルスは父子ということになり、
>父と子は一体…という思想とも通じる。
>ちなみに、古代エジプトにおける三位一体では、あと一つ、精霊にあたるものは、太陽神ラーであった。
>これも、キリスト教の三位一体のように非常に複雑な教義で、簡単に言おうとすると、
>生きた王はホルス、死せる魂は太陽とともに天に昇り、地下世界の王オシリスと呼ばれて
>復活を約束される。ということになっている。
>精霊なる太陽神ラーは世界と人類を創ったともされるし、さまざまな姿と分身たちを持つという。
>そこはかとなく、キリスト教の教義に似ているような気がしなくもない。
>(「聖なるものの死と復活」というモチーフだけなら、ほかの様々な神話にも存在するが、
>それに三位一体の思想まで関係しているのはあまりなさそうだ) >>9
仏教は相手に合わせて経を説くんでその数だけ
お経があります 異教から真理を輸入する際に改編してるから
絶対に信じちゃダメ イエスが述べてるあらゆる罪が許される中で絶対に許されない罪、それが「聖霊」への罪なわけだが、この聖霊とは何であるかを巡って、キリスト教神学者は論議を重ねてきたわけであるねw そもそも三位一体とは宇宙という現象の中で
創造ー維持ー破壊(再生)を限りなく繰り返しながら
一大心霊から分かれた分霊が自らに目覚め根源なる
一大心霊へと戻っていく姿 耳から学ぶ 「エメラルドタブレット」タブレット第11部 -聴きものがたり
http://kikimonogatari.seesaa.net/article/473691746.html
>神秘中の神秘は“光に生れし者”には明白なるも今、われすべてをあらわさん。
>われ被伝授者に秘密を明かさん。されど俗人には扉を完全に閉ざさしめん。
>三は偉大なる一より来れる神秘なり。聞け、しからば光がきざし始めん。
>原初には三単一体のみ住み、これら以外は存し得ざりき。これらは創造の根源、均衡にして、
>一は神、一は真理、一は自由の状なり。
>三は均衡の三たるあらゆる生命、あらゆる善、あらゆる力よりあらわれ来れり。
>三は神の家における三特性、無限の力、無限の智恵、無限の愛なり。
>聖師たちに与えられし力は三にして、悪を変換すること、善を助けること、識別をすることこれなり。
>神が避けること能わざる三つのなしごとは力と智恵と愛とを表わすことなり。
>すべてのものを創造する力は三なり。
>完全なる知識をもてる聖なる愛、あらゆる可能なる手段を知る智恵、
>そして聖なる愛と聖なる智恵との結合意志によりて支配さるる聖なる力となり。
>存在の三つの界(状)あり。
>神以外に何ものも住まず、神のみが越え得る光の界、
>すべてのものが本性上の死よりおこりしところの混沌の界、
>すべてのものが生命よりおこりしところの明識の界これなり。
>すべての生けるものに存在の三態あり。死なる混沌、人間性の自由、天界の至福これなり。
>すべてのものを支配するは三つの不可欠のものなり。大なる深淵における始源、混沌の界、天国における農富なり。
>魂の道は三なり。人間、解脱、光なり。
>障害は“三”存す。知識を得んとの努力の欠除、神への無執着、悪への執着これなり。
>この三は人間の内にあらわる。この三は内なる力の王らなり。
>この三は見いだされたるも人体の内にいまだ見いだされざる神秘の諸部屋なり。 「やっぱ人は人の王に従うもんだよナ?」ってことだよ… まぁ要するにね(´・ω・`)
古代エジプトの概念でね(´・ω・`)
異端とされた方が正しいって事ですよ(´・ω・`)
エロい人はそこら辺が判らんのですよ(´・ω・`) これって後付けでしょ?
イエスキリストはこんなこと言ってない >>71
ユダヤ教もキリスト教も周辺宗教からのパクリが多いから仕方ない すなわち我々の魂は一大心霊から分化した分霊であって
想像を絶する長い時間の中で生と死を繰り返しながら進化し
最終的には一大心霊に帰っていく(成仏)すべく成長するのである イエスが十字架に掛けられたからじゃないの?しらんけど >>80
キリスト自体は仏教的な思想を広めただけで後の設定はぜーんぶユダヤが作った 魂が肉体を持つということは肉体(煩悩)を利用して
魂が進化するためのものなのだ
肉体は魂が進化するための目覚めの場なのだ 仏教的思想のキリスト勢力が凄かったからってユダヤ教の神とキリストを無理やり繋げて取り込むって無茶苦茶だよな >>88
宇宙には肉体のいない生命体もある
生命体というか霊とか 天使は車輪
↓
ダサいから羽ある幼児にしよ!が定着した宗教で察しろ イエスは人間なんでしょ
蘇ったら神認定なんじゃないの 有名なファテイマの予言があるが、それを神託されたルシアが描いた聖母マリアがこれ
https://i.imgur.com/7ejTDH9.jpg
なお無かったことに パウロって云うどこの馬の骨か判らん奴がちゃっかりセイントに! 100年したら
安倍晋三も神としてネットで復活するから
覚悟しておけ 聖霊の存在がマジでわからん
母性を司るけど女は神になれないから代わりに持ってきたみたいな話を聞くけど
アニミズムとか原始宗教の信者とかを取り込もうとしたんじゃないのかなあ
いくら調べてもそんな話は全く出てこないが イエスが蘇ったって言い出したのは
マグダラのマリアなんだよな
これ単に子供ができただけだろ 教会内の政争の結果うまれた後付けの屁理屈だからまじめに考えるだけ損 神秘主義による矛盾の帰結に過ぎない
イエスにも聖霊にも神秘の逸話てんこ盛りにしちゃったからあれ神は唯一無二じゃないの?てなった
で苦し紛れに本体は一つ!だからヤハウェとイエスと聖霊が神の力を持っててもおかしくない!てことにしただけ 三位一体ってのは簡単に言うと
イエス = キリスト = ジーザス
ってこと >>99
出自はヨーロッパの土着宗教だろうと思うけど
嫌儲で聖書の解釈を書いてくれる人の流派の解釈では
人々を信仰に駆り立て神や神の子イエスに結び付ける力は
精霊由来らしい
ただしそれがキリスト教主流派の解釈なのかどうかは調べていない >>1
だって人間は神レベルの軌跡を起こせないじゃん
歩けない人を歩かせる(超能力で)
目の見えない人を目を直す(超能力で)
何もないとこら魚を出す
水の上をあるく
三日後に復活する
となると
イエスの中に神性が宿って無いとおかしいことになるわな >>104
まぁ神をそのまま描くことだけはNGにしたんだから
キリスト教もイスラムもマシ Bible Toolbox というサイトの説明もそれだな
https://www.bibletoolbox.net/ja/shitsumon/seirei
以下引用
「聖霊」は、人のうちに信仰を生み、成長させてくださいます。
ですから、「聖霊とは何か」、ではなくて、「聖霊様はどなたか」、と質問するべきなのです。
聖霊様は、無人格的な力ではなくて、神様の第三のペルソナ(位格)だからです。
聖霊様は人々のうちで、とくにイエス様への信仰を生み、強めるように活動なさいます。
聖霊様はその活動の際に、神様の御言葉、洗礼、聖餐、懺悔(ざんげ)、という「恵みの手段」と呼ばれるものを通して職務を実行なさいます。
恵みの手段は、いわば聖霊様の仕事道具だとも言えるでしょう。 >>23
神てのはそのままでは人間には理解不能だろ?
だから神は人間にも理解できる形で
何かを遣わすわけよ
それが天使の存在だったり、
教会だったり秘跡だったりするわけ >>111
どぉして神様は助けてくれないの~
→神様は直接動きません、代わりに聖霊が動きます 自分なりに上記の説明を解釈すると
キリスト教の三位一体説では
・信仰対象(神の子イエス)
・信仰対象の起源/信頼性保証(神ヤハベ)
・宗教活動に関わる人々の信頼性保証(信仰を司る聖霊)
という三つの要素を実務上区別する必要があって
なおかつそれらが一心同体で齟齬はないよ、と称するセールストークや組織的忠誠心の維持のシステムが必要で三位一体説が生まれたんだろうね
新興宗教でもたいてい
・非実在的存在の神
・実在的存在の教祖や後継者
・上記の代理人として手足となって活動する組織
の三つがあって、それが全部等価だ(目の前のセールスマンは社長の代理人であり、かつ皆が信じる科学宗教の神の化身だ)みたいな話は普通にあるよね いや、これ
>「子なる神、聖霊は、時代によって神が自分を表す様式(mode)を変えていったもの」「一つの『役』のようなもの」
の方が分かりやすいし、なんでわざわざ独立させた位格にしないとならんのかなって 信仰対象=神の子
信仰対象の信用保証=神
信仰の手段=聖霊
と解釈すれば分けて考えるのが当然だよな
この手の話のトリックは、神と神の子、神の子と聖霊(宗教団体職員)が、本来的に違うものではあるけれど
同じものだと信用してもらうセールストークでしかないわな とある店舗で特殊な景品を取る→近くの特殊な古物商で買い取ってもらう→特殊な古物商は別の業者に売ってそれをとある店舗に売る
日本の三の付く方式も謎過ぎる 物理的な法則=人間(の精神)の法則で
それらはキリストによって象徴されるってこと
つまり外的な神も内的な神も聖書に出てくるキリストみたいな感じだよってことよな 父と子だけでも十分説明出来そうなもんだけどなあ、と 逆に、
現実世界で見たことのある人のほとんど居ない神を利用して
「神の子」と自称/他称する人物が現れたら疑うのが普通だし
ましてや教祖の死後、神や教祖と会った事もない宗教団体職員が
神や教祖の代理人を名乗ったらかなりヤバヤバだよな
そういう当たり前の疑念を封じ込める念仏が三位一体の本質だろうな 人間も物質の一種だから
当然人間という現象及びその精神についてもまた
(人間の)外部の物理法則に従っていると考えれば
外的な神であるゴッドと内的な神である聖霊がイコールであることを理解しやすいかもな 一神教にしたいんだけどそうするとなんでも神のせいになっちゃうのがだんだん厳しくなってきたんじゃないの? カミカミの実モデルヤハウェを食ったカミカミの実の能力者がイエスみたいな感じか >>124
無理に難しくしなくても、現世における神の子(化身)がイエス、でいいんじゃないの?w ノアの箱舟の話は人間が糞だからって動物たちも巻き沿いにするってありえんだろ >>115
3つの位格が同時に独立して存在しないと色々矛盾するから
だから神が姿を変えるのではなく一つの本体と3つの位格てことにしたんじゃね >>123
まあ、だから神の御心はあまりに深遠にしてどうこう言い始めたわけだしな >>114
まぁそこまで考えてないよ
>>115
それでいいわけだからね
ようはこれって
アンティオキア派のアリウス(一応アレクサンドリア教会長老)でと
アレクサンドリア教会総主教のアレクサンドロスのアレクサンドリア派の対立にすぎないからね。
本当は当時、エジプトとオリエントで大人気のアリウスが圧倒的に有利だったんだけど
アリウスは政治に疎い長老みたいな人で
先にニケーアに遣わした部隊が途中で襲われて殺されたり
先にニケーアで政治工作を、アレクサンドリア派のアタナシウスにやられて
そんで敗北したわけだ。
コンスタンティヌス一世もアリウスの大人気にビビってたから潰したかったんだろ 聖書によれば、マリアを身篭らせたのも聖霊の働きと書いてあるからねw 三位一体におけるというか信仰におけるイエスは
実際の人物というよりおそらく実在した人物をモデルにした
ある種の象徴表現だと考えれば理解しやすいかもしれんね
俺は信仰があるから単なる象徴表現を越えて信じてるけど >>129
うーん
なんで3つにしないといけなのかなってのがどうも腑に落ちなくて キリスト教が国教になる以前の
ミトラ教の教義だったものをキリスト教を当てはめただけだぞ いつも言うけど三位一体は聖霊が分からんと分からんよ >>72
仏教は本来経典よりも戒律のほうが重要だからな
だから経典は非常に数は多いが戒律はいくつか種類はあっても内容的には大きく変わってない
でもそれは庶民や一般信者にはウケが悪いので大乗仏教では経典の方を上に持ってきた ただ、
「偽預言者問題」があるからね
だから「イエスには神性がある」として
絶対的にしたほうが
「私が新しい預言者です」の後続を断てるからアタナシウス派で良かったんじゃないかな。
まぁイスラムは「ムハンマドは最後の預言者」でその問題を解決してるけど >>99
エジプトからの輸入だろうね
処女性と母性を兼ね備えたフェチズムがマンモーニなローマっ子にささったんだね 逆に言えば聖霊さえ分かれば三位一体はちょー簡単に理解出来る
本当は難解でも何でもなくごく単純で自明的なものなのよな >>134
3つにしなきゃいけないというより教典に3つがそれぞれ同時に独立して神性を有するものとして出てきちゃってた
それを一神教の立場から矛盾なく説明しなきゃいけなくなった >>136
様態論的モナルキア主義とwikiにある考えだと信仰は維持しづらいなにかがあるの? ソフトウェア工学でお馴染みの分散オブジェクト・システムの考え方で即物的に言うと
リモートに神オブジェクトがあって
ネット経由で神オブジェクトを参照するには
ローカル側に、神オブジェクトと同様に動く代理人オブジェクト=proxyオブジェクトを作って、ローカル処理で済むキャッシュ参照や神オブジェクト不要の雑務はローカルでこなすのが
コストの高い通信料(神の啓示を得る奇跡)の節約になる
ところがヤハベ・クラスの神オブジェクトは実体?を一つだけ置くSingleton制約パターン(唯一性保証)を実装するお約束になっていて
その制約は、代理人である神の子オブジェクトにも課されるので、これまでの運用ルールとして神の子も実体を一つしか置けない(proxyの唯一性保証。別のproxyを作るとユダヤ教やイスラム教になってしまうお約束)
それではこの分散オブジェクト・システムの目的である、すべての人間に神オブジェクトの利便性を提供する目的が果たせなくなってしまうので
神や神の子の代理人として無限増殖可能な聖霊オブジェクトを作って、個々の信徒とのやり取りは聖霊に任せる。
ただし原理的な唯一性保証が破れて、分派活動や邪教化も可能になってしまう。
その矛盾をある程度解決する目的として作られた、新たな制約ルールが三位一体インターフェース。
聖霊候補は三位一体インターフェースの実装が必須で(神や神の子の代理人として忠誠を尽くす)
普通の運用状態で多少の矛盾が生じても、三位一体の原則に従う形で問題解決をする。
そういう設計 イエスがあらゆる罪を許す資格と権威を持っているというのもある種のパラドックスであるねw サタン、サタンの子の悪の救世主、悪霊からなる悪の三位一体みたいなのがあったら厨二的でカッコいいのにな まぁあとはアリウス派のエウセビオスの宮廷闘争と
その敗北て意味あいもニケーア公会議にあったしな
だから>>114みたいな
「ローマカトリックが緻密にデザイン」みたいな世界観は違う。
キリスト教も5聖地で頭脳が分かれてて
その闘争もある
その偶然の産物にすぎない かみさまとかみのお子さまと聖霊が
近親乱○する薄い本とか出たら
あの会場に核ミサイルが飛んでくるんだろうな >>144
神ははかるなかれ、しかしイエスの全てを依存するのも危険なのでバッファーを設けるべき、という方が分かりやすくない? 神なんていないし教義だの何だの言っても
全て人間の妄想 >>143
キリストは完全に人間であり完全に神なんだよな
信仰者はキリストの在り方に倣うけど
もしキリストがただ完全に神でしかないのであれば
信仰が神を目指し近づくものになっちゃうね >>150
敬意はあるけど信仰心がないから
宗教的解釈はできなくてごめんね 言うまでもないがキリスト教の信仰は
神になろうとすることではない
そんなことをしたらバベルの塔になっちゃうね >>153
ああそっか
神を目指したりしちゃいけないんだよなそういや 偉大なるプラトンの対話編においても、神と人の間を仲介する半神という存在が登場するが、聖霊というのもそのような仲介者、媒介者の役割を持っているように見えるよねw それがわからないようだから三権分立さえ守れない
それが日本人
まんこ並みの知能しかない インドでは「自己」がアートマン そしてその奥にある絶対者ブラフマン 宇宙の真理になりそれが生き物の
すべての根源であり みなとつながっているというところに目を向けた
西洋では人が死んだからといってその人が神(ゴット)になったとは言わないが
東洋で庶民は仏になったという そこに仏を通して人々の一体感が生まれる
ここに「自己」というものにおいての東洋と西洋の違いを指摘する
東洋にも西洋にも他にもいろいろな思想はあったが傾向としてはこの両者が代表的だった 人としての生き方を肯定すべき、というところから新教の抜け穴が現れ現世を肯定するようになった、のとは少し違うんだろうけど >>159
キリスト教ではそれは天使ジャマイカ?
聖霊は仲介者ではなく神だべ
付け加えるなら悪魔もまた仲介者と言えるよね
ヨブ記とか見ると イギリスの哲学者のジョンスチュアート・ミールが面白いことを言っているのですね
「イエス・キリストが現れる以前にもクリスチャンはいた ただ自分が誠に残念なのはイエス・キリスト以降に
クリスチャンが一人もいないことだ」
キリスト以降 教条主義者が出たり教団と教団との対立があったり殺し合いがあったり火やぶりにしたり そういう
ことになりますと そういうことをやった人はクリスチャンと言えないというんですね ラッセルは彼の哲学史の中でブッダの後継者
をイエス・キリストだとみているのです これはまったく突飛な発想だと思われるかもしれませんが 必ずしも
そうではないのでして すでにキリスト教の初期においてアレキサンドリアの教父(古代の初期キリスト教において、
教会の指導者であり、聖書の解釈などで重要な著作を行った人々)の間ではブッダはイエス・キリストの先駆者だと
説いている人がいるんですね それはアレキサンドリアのクレメンスです 彼はイエス・キリストが現れる以前にも
宇宙の真理を体得した先駆者がいたというのです ギリシャ イスラエルの哲人の名前をいく人か並べ そのほか
インドではブッダがいると そのブッダはギリシャ語で「ブッタ」と書いてありますね バチカンがいつからか神にした
ってトムハンクスがゆってたと思った >>162
東洋からは人権思想が生まれなかった理由のひとつでもあるんだろうな
一神教と多神教的な性格の違いだとして、皮肉なことに人権思想、天賦人兼論は一神教の方から生まれた >>162
キリスト教では神のもとに行ったというが
ぶっちゃけ神の一部になったということで同じな気がするよ >>131
>先にニケーアに遣わした部隊が途中で襲われて殺されたり
すまんここ間違えたくさい
カルケドン公会議と記憶が混ざった
俺ももうダメだな
勉強したこと全部覚えてる脳じゃねーわ >>40
神の子を処刑したローマ帝国的には絶対認めたくない話だぞコレ インド的に言えばキリスト教が目指すのは
ブラフマンになることではなく
己のうちにアートマンとブラフマンが共存するみたいな感じかもな >>165
そういや、自由論の出版は奇しくもダーウィンの「種の起源」と同じ1859年か 元祖背乗りのキリストを崇める宗教が
コリアで栄えるのも宜なるかなだね。
そりゃ我も我もと生まれ変わりだなんだと
キリストに背乗りして教祖名乗るわ。
ミンジョク性とベスト・マッチだわ。 >>164
イエスは天使についてあまり語っとらんから、イエスの神格を定める三位一体の議論においては、天使の重要性は低かったのではないだろうか?w
聖書ではエゼキエル書やヨハネの黙示録、パウロの回心のときに登場する天使が有名であるよねw 宗教学ではもう研究され尽くしている話題の
宗教改革とかも、なかなか微妙だよね
北欧土着の多神教の影響が色濃く残るドイツが
ゲルマン民族大移動から1000年前後経て
王族としてヨーロッパを実態支配し始めたタイミングで
多神教地域におけるキリスト教適用の矛盾みたいなものが原因で
宗教改革を始めて、西ローマ帝国由来のカソリックと袂を分かった新しい宗教を作ってしまう
そしてそれが多かれ少なかれ影響して、商人の富の蓄積を有効活用する目的のルネッサンスや近代科学が生まれ
更には新大陸でその原理を究極まで追求した原理主義国家アメリカが世界覇権をとってしまう。
こっから後のストーリーは中国に舞台が移るとして
そこはヤハベとは無関係だけどユダヤが作ったもう一つの理念
共産主義が中国化した中国共産党(ほぼ共産主義無関係)と
その人治主義的なものが世界を動かす原理となる。
キリスト教マジやばい時代だは エホバの証人松「三位一体とか聖書に書いてないから詐欺だぞ」 >>173
蘇ったことになってむしろ昇華されたからまあ >>172
また間違えた
エフェソス公会議だ
いかんなぁ 神の子を十字架で処刑すると
神に昇華される
宗教工学の法則 オチのない寓話や童話の寄せ集めみたいなのが聖書
それを無理やりに権威付けするために三位一体論を唱えざるを得なかったんだよ 更に原罪を背負って殺された、はちょっと怖いな
引くw
でもまあ俺は穏健な世界宗教であれば帰依してもいいと思ってる
ある程度は宗教的な倫理性を抜きに自分が自分でいられるとも思わんし >>182
その辺のアホな陰謀論は信じないほうがいいぞ >>182
複数の側面があるけど
・ユダヤ人カールマルクスは友達のユダヤ豪商をパトロン
として共産主義思想を作り上げた
・共産主義への第一歩となるロシア革命は
ユダヤを虐めまくった帝政ロシア転覆計画だとする
陰謀論がある(信頼性極めて低い)
・ユダヤの約束の地に建国されたイスラエルは
アメリカを牛耳っているのに
共産主義国家 >>185
現在を背負って誰か死んでくれないと
みんな天国にいけねーぞ
仏教の言うように生きることは
それ自体残酷な行為だからな >>187
>>188の1番目と3番目は事実だな
2番目は陰謀論だと言われるけど
ユダヤがロシア革命に資金提供したり応援していた事実はあるみたいね。その革命の目的が共産主義国家実現で、それを提唱したのがユダヤ人だったのは、陰謀論というより文化的な共通基盤があるのだろうね >>188
マルクス主義は
取引や労働や貨幣の緻密な分析は、スコラ哲学由来だけど
神の存在を排除してる思想体系なのに
「ユダヤ」が関係してるわけねーだろ >>177
まあ聖霊は神ってことよね
要は精神の働きにも色々あるけど
聖霊はその絶対的中心であって
従属的或いは部分的、個別的働きではないと言うこと
つかほんとは天使も悪魔も神(聖霊)の働きではあるんだけどね
例えるならば親指でボタン押したなら
それは手で押したのと同じみたいなもん
親指の働きは手の働きであり
ボタンを押したのは親指だ、人差し指だ、中指だと考えれば多神教になり
ボタンを押したのは手だよと考えれば一神教になる >>188
ユダヤ人が作ったものであってもユダヤ的ではない、むしろ真面目に考える人間が故国から一番離れた場所に着地したモデルのひとつじゃないかな
利子というユダヤの最大の武器を殺す親殺しでもある >>194
どうだろうね
いまだに人倫を支えてる柱なんじゃね
その上で近代思想で世の中が動いてくれてるありがたい状態だけどね >>194
一応ストーリーは完結してるから今からでも追おうと思えば追える
続編書こうとしたら異端になっちゃうし 別の言い方をすると
ユダヤが多大な貢献をしたと目される資本主義の次の段階として
ポスト資本主義1.0α版として供給されたのが共産主義で
でも社会主義の究極の発展形としての共産主義は決して実現される事なく終わり
ポスト資本主義2.0βとして供給されたのが新自由主義やグローバリズム
でもコンドラチェフサイクルによる定期失速は避けられず、その小規模版としてITバブル崩壊やリーマンショックで沈滞化
そしてポスト資本主義3.0RCとして数年前まで盛り上がり今も影響量を増しているのが、中国共産党支配の中国の資本主義国家化 >>194
宗教は人民のアヘン、と言ったのがまさにマルクスだな >>191
あーあとな
なんでロシア革命にユダヤマネーが入ってるかっていうのは
「共産主義がユダヤの思想」ではなくて
イングランドとイングランド金融をユダヤ金融は最大の根城にしてて
イングランドとロシア帝国との対立の一環にすぎねーよ
もう共産主義は関係ない
仮に一向一揆でも、モンゴル人のテングリ教の反乱でも支援しただろう >>198
新自由主義は2.0でもなんでもなくてただの資本主義バックラッシュでは
そもそも資本主義とはなにか?なにを「主義」としているのか?とかかから考えてみると面白いけど >>3
聖書にはそう書いてる
が、父と子と聖霊は同一だとみなして等しく神だとするのがカトリックが提唱する三位一体論
要は適当なんだよw
ジャップの八百万信仰並みの適当さ
それがキリスト教な どうでもいいけどキリスト教に帰依するってなんか面白い表現だよな
なんかのエロゲでも帰依って仏教用語じゃんってツッコまれてた記憶がある ユダヤ教の出来の悪いカス同人誌なんだからしょうがない >>185
それを信じることで救いが完成するわけさ
というのは自分個人の救いだけなら
自分自身を十字架に掛けて自分を浄化すればいいけど
本当はそれだけじゃ足りないんだよね
というのは自分にとって大事な人たち
そしてあんまり大事じゃない人たち
みんなまとめて救われなければ嫌だって気持ちが出てくるからだよ
だからキリストが十字架に掛かったおかげでみんなの罪が許されました
という設定を信じるわけさ
それを信じることでみんな救われてるってことになって
それで自分自身もまた救われるわけさ >>194
走るの辞めたら終わるからなソシャゲは
宗教は信じるのを辞めたら馬鹿らしくなる
まぁ同じだろうw >>202
八百万ほどは適当ではないと思うw
それが正しいかは別として ユダヤとユダヤ教の関係は宗教の皮を被った
ビジネス哲学じゃねぇの
ビジネスというか、その根源の生き残りとか生活手段としての支配力みたいなものが目的だから
宗教否定は簡単にできて、生活手段としての支配で経済回して、それが失速したら資本主義否定も辞さないみたいな深くて軽いノリはありそう
よく言えば人間の知性の可能性を信じる、理性的な態度 >>202
実際ロゴスにおいて同一だからしゃーない >>193
ふむ、ヨハネによる福音書の最初にも、神とはロゴスであると書いてあったねw 神を信じる者と預言者を信じる者と地霊を信じる者
善悪二元論で対立するのではなく三者が一体となって強大な帝国を作ろうっていう万教帰一、エキュメニカルな宗教がカトリック
カトリックの語源は普遍という意味のギリシア語から
フリーメーソンがやたら三角形や3という数字そのものを好むのも >>201
それは当たり前の議論。
コンドラチェフサイクルによる不況と戦争を避ける目的で
計画経済である社会主義や理想としての共産主義を掲げ
ところがそれが1923〜1990のわずか67年間程度で
実験終了してしまった
その穴埋めとして、資本主義のバリエーションの
強欲資本主義を各種制約(植民地は作らない/自由貿易)の下で
運用したのが1990〜現在だよね
でも既に原理的限界のわかっている方法を極限まで駆使して
時間稼ぎしているだけだから未来はなくて
次のモデルとして、ナチスとして駆除されたファシズムまがいの、民主主義の皮を被ったソフト独裁みたいな路線が見直されて
その権化の一つ中ロが世界の中心になりつつあるのが2020年代だよね
そこにユダヤの利益や勝算があるのかどうかはわからないけど
黄色いユダヤと呼ばれる中国商人の国が
理念としてユダヤ商人と重なるものを持っていたら
きっと協調関係を作って甘い汁チュウチュウできるだろうね >>204
なこたねーよ
旧約聖書の神は滅茶苦茶だし
ユダヤ教は部族主義にすぎない
「家族・部族がどう生き延びるか」てことで>>208の言うように
家族経営・部族経営のビジネス書みたいになってる
キリスト教は
「人間なら誰でも神に愛される」て言う革命や
新約聖書で暴君の神ではなく、慈父の神の革命をやった
どれも、人間の公共体の拡大や、発展に必要な結実だ
さらにスコラ哲学で、近代合理論のインキュベーターもやり
人間の自由意思と自己決定を理論化し肯定し
信仰の自由で人権も生み出した
まぁユダヤ教の功績も経典や契約であるし
スコラ哲学はアリストテレスとプラトンに支えられてるがね キリストの十字架の贖いが持つ意味
それはお前らもみんなありのままで良いということ
そう考えるからこそ
この辛い現実の絶対肯定 キリストの十字架の贖いが持つ意味
それはお前らもみんなありのままで良いということ
そう考えるからこそ
生の辛く悲しい現実の絶対肯定に繋がって来るわけよな >>211
三角関係は必要な装置だった面は否定は出来ない
人間社会において、二次元ではどうしても危険性の方が大きくて、距離のある三次元にしないと感情と理性がうまく機能しない?的な アイドルとかでも1人より複数いた方が賑やかでファンも増えやすそうと考えちゃうよね >>213
「資本論」読むと分かるけど、マルクスは言うほど計画経済なんて掲げてないぞ
資本主義からの解放の可能性は言ってるけど >>185
原罪を引き受ける行為って生贄とか自己犠牲みたいな感じもするけど
もっと単純にトラウマとかPTSDとか鬱病を抱えたローマ支配期の民に、安心してリラックスして生きようぜ、という提言をしたかったんじゃないかと妄想してしまう
原罪みたいので悩むのって
なんか鬱病臭いよな >>217
それは違うだろw
キリストが肉の罪≒原罪を背負ってくれたから、人間としてはせめてイエスを見習えとなるのがカトリックだよね >>221
資本論は搾取問題の定式化じゃね
かなりテキトーな思い込みだけど 神の姿は誰も知らないのに預言者を通じてメッセージが伝わってくる
これってクラウドの考え方そのもの
多神教の日本人がソフトウェアに弱いのはここに原因があると思う 実際問題人間はありのままでしか生きられないしな
だって人間もまた物質だから
物理法則つまりロゴスに従って運動する現象であると言えるわけだしね >>222
あの時代のローマだとして平均寿命って35位か
科学も医療も人権もない時代ではあり もう一つ
俗説でタルムードの悪い面として強調される、異教徒からの搾取の正当化みたいな話は
資本論で扱われた資本家による労働者からの搾取と対になる考え方ではないの。
その考え方を推し進めれば、優れた民族が他の民族を丸め込んで支配するソフト独裁を肯定する議論が飛び出すのも当たり前じゃないかと思う
まあ妄想レベルの話だけどね 三位一体は「なぜ必要か?」という視点に立つと理解しやすい気がする
父なる神はあまりにも遠い存在で
イエスは復活こそすれどもう出会うことは時代的に叶わない
大衆が気軽に身近に信仰を保つためにはその2つに頼らない仕組みが必要だった
それが聖霊
最も抽象的でスピリチュアルなようでいながら実際には最も物質的で世俗に近いところにある「神」の形
近世以前にはおいてキリスト教は宗教組織である以上に社会組織だから勢力を保ったり伸ばしたりする必要があって
そのためには識字能力を始めとした教育を受けていないパンピーにでも神に触れることができる教会と聖霊の仕組み作りが不可欠だった >>223
実際キリスト教じゃない人間なんて幾らでもいるわけだからな
その様な現実を否定してみんなキリストを見習うべきだ!とか考えるならば
それはその人にとってこの世は正しくない
もっと言えばある意味地獄だってことになるからね
まあ信仰の上で誰もが通る道ではあるわな
ぶっちゃけ俺もそうだったよ 大体の宗教って宗派分かれて争ってるけどヒンドゥー教やユダヤ教って宗派争いってあるの? ラビ否定≒タルムード否定のユダヤが居るって話は目から鱗だった
一体何を信じているのかわからないけど、ビジネス哲学と生き残りがコアならば、古い教科書と古い考え方の教師を捨てる選択もあるだろうな >>229
上でも書いたけど、必要性ならwikiにある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E9%9C%8A
>聖霊は一様式(mode)もしくは「一つの『役』」
「子なる神、聖霊は、時代によって神が自分を表す様式(mode)を変えていったもの」「一つの『役』のようなもの」と主張する考えは、様態論的モナルキア主義(英語: modalistic monarchianism)と呼ばれ、
いわゆる正統派から否定される
ここを突破出来る理屈がいまいち分からない
聖書にそう書かれていたから!だとは思うが。。。 カルトの常套手段。
母体となる宗教の権威を傘に切るくせに「その神とうちの教祖は同格」って言い出す。 >>233
なんでもかんでも「密室で緻密に特定の人に計画されてる」て世界観は
卒業したほうがいい
特に宗教はね。
予算の使い方とかはともかく。 >>238
キミ、匿名掲示板でしかできないようなぶっちゃけた話はあんましてないね
知性の限界を越える努力が足りない >>240
タルムードはそういうもんではないだろ
ユダヤ教の指導者ラビによる生存哲学の伝承が
途切れるリスクが生じた時に
口伝ではなく書物の形にまとめたのがタルムードじゃね
それは密室で作られた陰謀ではなく
ユダヤの民にラビの形で伝承され
日々応用解釈され実践される生存哲学じゃね >>225
預言者という名の危険な存在はこのスレ見ててもまあ分かった
宗教でも本質的にはやっぱ三次元が必要かもなあ なんかこのスレの人、ここが匿名掲示板であることを
クオリティの低い一般常識の押し付けで済ます理由付けとしている様子で
匿名掲示板ならではのかっ飛んだ仮定に基づく、知性の限界を越える議論への到達をサボってる感じがしてあんま感じ良くないね めんどくせ〜
イエスは弟子や後世の預言者達に『物事の説明は短く簡潔、明瞭に。変なエピソードとかゴチャゴチャ付け足すな』みたいなメッセージを残すべきだった 罵倒の人はNGするね
このひと、守りしかしてなくて
人格攻撃始めたから議論に値しない もしかしたら重大かもしれんから書いとくけど
俺の言う信仰とは神の恵みすなわち救いを受けた経緯、道のことであって
決して聖者とか凄い人になるための道ではないからな
信仰にも色々あるが
俺の書いてる信仰は神に助けてもらった経験からの説明に過ぎなくて
本当の信仰というのはマザーテレサみたいな
信仰の恵みを得られない闇の中においてなお
神に忠実に人々に奉仕して愛に生きた
そういうのが本当の信仰であって聖人なんだよ
俺が書いてるのは信仰の恵みであって信仰の本質そのものではないんだ >>247
その略称を使った段階で知能の低い匿名掲示板荒らしとバレたね
ご愁傷様 ヤハウェがキリストの“父”かどうかはハッキリしてない
死後直後から もう分かってない
200年ぐらい後に宗教会議で決めただけ
キリストは一度もヤハウェだって言ってない
三位一体も主流派の教義だってだけ アタナシウス派 麺はラーメンである ◯
スープはラーメンである ◯
メンマもチャーシューも卵ももやしも海苔もぜーんぶラーメンである ? 信仰とは、結果がなかなか出なくても
理想を信じてそのために動けるひとの行為、なのかな 後付け設定増えすぎて、まとめられなくなったラノベかよ 悟りとか覚醒とか救いとか色々あるけど
それを得るのが信仰の本質だと思ったらダメだよ
本当の信仰とは現実において
実際に人々の為に愛や慈悲に生きることだぞ 父は天のを指す
子は地上の俗世に降り立ったキリスト
聖霊はこの世界に様々な出来事を及ぼす存在
十字を切る時に父と子と聖霊の御名においてってやるんだよ
上と下と左右に存在するってことかな
森羅万象が一つの神によって成されているという感じなのだろう 聖書はたぶん、マニア向けなんでもブック決定版みたいな資料集なんだと妄想している
そこに書かれている事は、ある時点で存在した文献や伝説の総集編であって、記述に相互矛盾が無いわけではないから
相互矛盾が無いと仮定して読み解くのは神学論争のような気がする
もっと大胆に、自分にとって役に立つところを心の糧にして、反発を感じる部分を自分と違う考え方の理解のきっかけとして
大胆に解釈して生きていくのが普通の人にできる事のような お釈迦さまだって読経なんかしてないし
阿弥陀仏拝めとも言ってないし戒名もつけてない
宗教なんてそんなもん すぐに改変される
もっと言えばキリストも釈迦も直接伝達だから
キリスト自身から祝福されてないと厳密にはキリスト教徒ではないし
釈迦に灌頂受けてなければ仏教徒とは言えないんだわ
相伝形式なんでね >>249
そんな本当の信仰ではない自分でも信仰はしてる?
うーん 反論ばっかしてるひとは
ただの構ってちゃんだね
意味のある会話ができていないから
コミュ障なんだろうよ 全部あとづけで考えたやつがいるんやろ
そいつひっぱりださな キリスト教はローマ帝国国教会が運営してたから
版図を治める手段の面が大きくなってて当然かな 反論ばかりするひとは宗教議論も思想議論も哲学議論も向いていない
反論してディベートで勝つ事を唯一の目的とした人は
古代ギリシャ時代にはソフィストと呼ばれ
今では役に立たない議論しかできない
ゴミクズの代名詞になっている >>258
天 神
地 イエス
の二元論ではダメなのかな、というのがやはり >>265
なんでローマに食い込んだんだろうなという話が一番面白いな
あそこまで国家からは迫害されてたのに 後付けスピンオフをむやみに増やすからだろ
作者も別々だから、まとめられなくなったとw お釈迦様が説かれましたと言って伝えられている古い聖典はいろいろあるわけですが その中で釈尊が自分は
仏教という新たな宗教を始めるということはどこにも言っておられないのですね 自分は本当の人間の道を明らかにする
法 ダルマを明らかにするという立場でした
仏教の基本はダルマ 道を歩き続けることであると そして人それぞれの道は違っていても歩き続けることが大切なんだ
道を広めるのが仏法で 仏教を広めることではないんだ >>36
安倍晋三「チョーゼバ、イターキマス」
大川隆法「安倍晋三の守護霊です。チョーゼバ、イターキマス」
これと同じだろ 人間心理とおそらく論理でも、三位、三角関係が必要とされるなにか
四角はほぼないんだぜ
理論以外に >>273
読みとるなら、神は人間を愛してるとは限らない、と言うほうが正しいと思うよ >>261
上で書いた様に信仰にも色々あるんだよ
結局真実が分かったとか救われたとか
それはそれで信仰の成果ではあるけど
信仰の持つ価値ってのはその程度で収まるものではないんよな 信者が適当に解釈するしかないだろ
暇な信者は頑張れよ キリスト教の「愛」は2つあります
1つはアガペ(博愛)
もう1つは「エロス」(独占)です
仏教では「愛」は悪い意味で使われます >>277
こいつに要注意
キリスト教スレとなるといつも真っ赤にレスする「サタン」だ
「〇〇なんだよな/なんだよね」の語尾がクセだからすぐ分かる >>278
その通り
キリスト教も仏教もお経や聖書は「方便」で書かれています
経典を鵜呑みにすると脱線します
その経典の裏を読み取ることが必要なんですね >>279
おまえもよくいるよな、キリスト教スレでいつも仏教レス >>277
まあそれは否定しないし、詰問してる訳でもないです
ごめんね
俺の好きな小説家に、ジョン・アーヴィングがいて、その「オーウェンのために祈りを」の中で、主人公は教会を変える話が色々あって >>282
薄い薄くないでなく聖書にあるとおりのサタン、悪魔だ >>280
聖書に書かれてある通りのことが起きてるだけだよ
何を言おうとか考えず公会堂でキリスト教について恐れず弁護すれば
言うべきことは聖霊が幾らでも教えてくれるっていう カフカ風にいえば「悪は善を知るが、善は悪を知らない」 仏典というのは「方便」で書かれています
例えば「日本のトビウオ」と言ったら魚のことだと思いますが
これはオリンピックの水泳選手のことです
ここを間違えるといくら学んでも仏典を理解することはでみない 俺はスレ落ちるがとにかくキリスト教スレ、宗教スレに慣れてない奴は気を付けろ
こいつの言ってる内容が薄いなんてのは誰でも分かる
内容でなく文体含めた形式だ、こいつのサタンぶりは やっぱモメンに宗教語らせるとすげえや(´・ω・`) インターネットだってWi-Fi(聖霊)と端末(子)を媒介して閲覧してるだろ
それと同じ >>287
そのくだりルカの福音書にあるけど
それってなんかのイベントがあってその公会堂とか権力者の前みたいな場に引き摺り出された時限定の話なんじゃね >>284
みんな悟りとか覚醒とか好きだからねw
で、俺は悟ったとか世界の真実を知ったとか
そういうのに騙される
騙されるは言い過ぎだな
そーいうのが信仰の本質だと思って
マザーテレサみたいな事実人の為に尽くした人が
迷いがあったからと言って軽視される
あまつさえ偽物扱いされて見下される
そーいう風潮がなんか嫌でそれがちょっと頭に浮かんだから書いたんよ >>288
嘘くさ
これと同じく嘘だろ
>ヴォルテールの名言には「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」 奴隷を安全に扱き使う為に人間によって発明された古の悪知恵 >>296
真理というか本質的な話だよ
実際人間はそーいうふうに出来てるんだ
君だって1+1=3とか言う奴がいたら
相手が何を言おうが幾らでも反論できるでしょ
本当に正しいと信じてることってのは
幾らでも無意識から意識に登って来るんだよな
逆に言えば詭弁ばっかり使ってると無意識が働くなくなってバカになるんだよな
この辺もキリスト教で人間の責任について(象徴的に)言及されとるとこよな
人間(意識)は神(無意識の働き)に対して責任があるんよね 宗教関係は資料残すのがその時代毎の知識層だから、それ齧っちゃうとどうしても自分も賢くなった気になって聞かれもしないのに自説開チン癖が止めらんなくなるよな >>301
いい話だと思う
匿名掲示板に対する痛烈な話だね 質問癖、反論癖のある人は
コミュニケーションに向かない でも「霊」という存在を知らないまま死んでまた生まれて
それを何億回も繰り返すんですよね
キリスト教にも転生輪廻の思想があった >>301
無意識の知を理解してるから知能の最高峰 旧約聖書でアダムとイブが知恵の実を食べて天から地上に落とされた理由はわかりますか? 各地の土着信仰の対象を、実はそれは精霊であって、我々の教義によれば神=キリスト=精霊なのです
と説明すると布教や侵略に便利だから なんで預言者ごときが神と同格なんだよ
ほんと意味不明 原罪の話かぁ
現実世界の不幸の説明原理なんだろうな
神がいる
なのに現実世界には不幸がある
ネ申無能の極みw
↓
いやいやお前らはエデン追放の罪人だから不幸なんだよ
↓
ちょっと待った!それじゃ人間があまりに可哀想だから
その罰はオレちゃんが引き受けますよ
人間に祝福アレ←ジーザスクライストスーパースター 日本とか天災が多い国は逆なんだよな
神がいる
天災を起こされないように祀って祈らなきゃ
↓
それでも天災が起きる
↓
祈りや生贄が足りないんじゃなくて
不合理な仕打ちをするのが神だからしょうがない
→ある意味、原罪背負いっぱなし、救いなしだけど世の中は回る >>317
仏教では人間も草木も国土にも同じ魂がある ブッタンサラナンガッチャーミー
ダンマンサラナンガッチャーミー
サンガンサラナンガッチャーミー 災いの神が居る多神教パターンだと
絶対正義みたいな概念も生まれないから
正義のための戦争も割と起こりにくい代わりに
欧米かぶれで正義の概念を信じ込むと非合理な戦争を「正義だから殉教するのが正しい」って特攻までやっちゃうんだよな
正義を振り回す一神教を安直に齧るのはヤバヤバ >>313
福沢諭吉って、俺は大嫌いなんだけど、
いわゆるユニテリアンには
>人道主義者にスーザン・B・アンソニー、フローレンス・ナイチンゲール 、文学にチャールズ・ディケンズ、芸術にフランク・ロイド・ライトなどがいる。
俺の好きな人が多いな
小説の王、ディケンズがユニテリアンだとは俺は思わないが イスラム教原理主義派で
日本の神風特攻自爆が肯定されてしまったのも
たぶん一神教繋がりなんだろうな
日本本来は一神教ではなかったのだけど
明治維新以降の国家神道がキリスト教エピゴーネンで
天皇を一神教信仰対象とするカルト宗教が国教になって
それはオリジナルのヤハベの神の分派であるイスラム教の
更に過激派と相通じる殉教自爆を生み出してしまった
まあ日本の場合宗教が本質ではなく
国家体制の形式的お飾りとして
欧米対抗の一神教が使われただけだけど >>323
よく云われるけどそないに天皇陛下を神様と崇めてたか?
(´・ω・`) ユニテリアン・チャーチとか、フランク・ロイド・ライトは特に好きだ 正義を振りかざすのは欧米であって
キリスト教は別に正義を振り回すもんじゃないからね本当は
キリスト教が本質的に問題にするのは原罪、罪であって
この場合の罪とは神に背くことであり
原罪とは人間には元々神に背く性質が備わってるということよな
なので一般的に言う罪とは違うので
例えば殺人は善か悪かという議論があったとしても
そーいう善悪についての議論は副次的なものなんよな プロティノスの新プラトン主義を神学の補強のために引っぱってきて取り入れたものだろ
これによってイデア論、ギリシャ哲学とキリスト教が融合してロゴス中心主義的な「西洋」が成立することになった イデア論的な神秘主義に侵されてて本来のキリストの教えじゃないってことで三位一体の説を拒絶してるのがエホバの証人だったかな >>324
顔文字書いて反論癖とかバカマークやん
国家体制としての一神教の狂信的正義の話だから
宗教としての信仰者はゼロでも成立してしまうのが
ファシズムのホラー なので何が人間の自然なのかってのを考えるのよな
神によって創造された本来の人間の在り方が神の意思だからね
で、人間は何らかの原因でいずれ死ぬわけだけど
それまでは生きるってのが人間の自然なわけよな
つまり(死ぬまで)生きるのが人間の自然=神の意思であり
特攻を強制するなんてのは神の意思に反する行為
つまりキリスト教的な意味で罪なんだよな
こーいうのが人権とかいう考え方に繋がって行くんだよな
神=天から与えられた在り方だから天賦人権よね 聖書に神も聖霊もキリストも神っぽい感じで書かれてたってだけでない?🤔
神も聖霊もキリストも違う存在のように書かれてるけど実は同じ存在です。さてなんでしょう?→聖書が嘘でした、という引っ掛け論理クイズやね >>327
うん、本来的には別の話だと思う
ただ十字軍遠征とか国家神道とか
形式的に一神教同士が対立する構図になると
相対的正義が互いに譲らず泥沼に入り込む事が
起きてしまうような…
カトリック総本山所在地と
ヨーロッパ王族支配のゲルマン民族と
キリスト教エピゴーネンの国家神道の国が
手を結んで世界と対立した狂気の第二次世界大戦みたいのを見ると
世の中の対立軸は、決して宗教だけではなく
それ以外の利害関係とか信念も大きいと思うよね 全能の神ヤハウェとキリストはまだ分かるんだわ
精霊って何だよ
いきなりどこから出てきたの? >>336
信仰そのものではなく結局人間の問題なんだよな
人間の自然ってのは本当は
餓えた虎に自らの肉を与える仏の如くであり
人々の罪を自ら背負い十字架に架かるキリストの如きなのにね
本当は君だってそうなんだよ
君の意識や人間性がそうだってことじゃないよ
君がどの様な人間性であるに関わらず
人間という存在自体がその様なものなんだ本当は >>334
現代のキリスト教の神はそういう考え方ができるから幸せだと思う。
災いの神のいる多神教地域のニワカ一神教は
神の正義ですら相対化してしまうから
ニワカ一神教の正義をゴリ押しして勝つ的な狂気にはまり込みやすいような気もする
なんであの戦争でカトリック総本山を擁するイタリアがファシスト勢力に加担したのか、すごい不思議だよね
ドイツもイタリアもある意味ヨーロッパ制覇を成し遂げてしまった国だから、あの夢よもう一度で
世俗の権力や民衆は世界征服戦争に乗り気になってしまうのかも知れず
それは宗教では抑えきれない物なのだろうけど >>333
顔文字お嫌いですか?
ファシズム?とか意味不明やねんけど(´・ω・`) >>337
霊とは見えない生命です
例えば犬笛は人間には聞こえませんが
人間に聞こえないからと言って存在を否定できないでしょ
霊も同じです この宇宙には人間が認識できない生命のほうが多いんです
でも人間は肉体中心主義だから宇宙人は肉体があると思っている >>338
心に沁みるね
カルト新興宗教マニアの人と揉めに揉めた時
先方にその種の優しさが皆無で
物凄い憎悪を抱えて生きておられて
老いとかメンタルの病気とか色々原因があるだろう事を考えて
諸方面の公的機関と相談してると、宗教とは無関係な機関の人々の中に、人間本来の神性みたいなものを見つける事ができて救われるのに似ている しかしそれを言うとスピリチュアルだとかカルトと言われます
だから物理学を使って説明できるんです
ただし相手にも物理の基礎知識が必要になる >>337
まあ神と現実をつなぐストーリーかな、とは
キリスト教の信仰は確かに聖霊をかませる必要あるんだろうなとは思う キリスト教はキューピットだとか天使だとか言うが
霊を説明できる環境にないよな まあそのマ二アの人のアレなのか
謎のアレの連発訪問を受けた時
新興のアレでもある意味物凄くまともで常識的で
人間性の中の神性みたいなものを持ってる方に恵まれたから
邪で悪そうなのは一目でわかるようになった
(NG避けで難読) キリスト教の神はイエスの言うところの父アッバであるからな ある意味で情報も生命と言えるかもね
それ自体では現実に存在し得ないが
媒体に寄生することで
まるで生命というかウイルスの如き振る舞いをする 聖霊を抜きにして、イエスもイエスの父も理解することは難しい >>345
良いね
精神と現実がキリストの媒介によって繋がる感じよな ミーム論と宗教を混同した面白みのない話だ
情報一般には神性は存在しない
自己保存機能の延長上の種族保存機能を備えた
生物一般の中に神性はあるような気がするけど
ミームはもっと混沌とした存在しない >>350
ぶっちゃけこれだわな
聖霊が分からんと
知識としては理解出来ても
本当の意味で実感を持って理解することは出来ない
絶対に 情報のうち、ミームたり得るのは
自己拡散機能を備えたもので
それは情報と環境の関係性の中で
拡散機能が有効になるものだから
それは生命概念よりかなり洗練度の低い
数学的パターン(ライフゲームのパターン)のようなものだと思う >>352
ある意味で悪魔は存在すると言える
目に見えない情報という形で
そして時として人間を媒介し
物理的な影響力を行使する ミーム論の人、それ宗教無関係
ミーム教を作りたいなら宗教板でやれば まあマザーテレサの有名な
○○に注意しなさい
それは☓☓になるから
に通じるという意味で
一応宗教の話ではある なんで聖霊が分からんと実感出来ないかと言うと
文字通り宗教的な実感は聖霊との関わりにおいて実感するものだからだね
キリストとの出会いは聖霊との出会いであり
キリストの復活は聖霊の復活であり
神の恵みは聖霊の恵みだからよな実際のところ 文が鮮明にいろんな肩書きを付けて神聖視させているカルトも3が好き まあ 頭がいい人はすぐに気が付く
これだけ仏教では説明されているからね
でもキリスト教ではわからないだろうね
経文も聖書も「方便」で書かれている
その文章の裏を読めない限り何回生まれ変わっても
何も変らなく六道を輪廻するだけだ 仏教ではそれを「無明」という
私は霊とか説明したくない
なぜならそれは皆さんが気づくことだから
気づける人は救われる 気づけるか気づけないか
その違いは心に煩悩があるかどうか
うぬぼれや執着があったら悟れない >>374
私が思うのは仏さまがどうして阿耨多羅三藐三菩提の境地を言わなかったのか
それには理由があって 言ってしまえば私たちが悟れないからだと思います
悟りはあなた方にとって解脱するチャンスなんです
それを奪ってはいけないからお釈迦様は言わなかった >>249とかに書いたけど
こういう悟りサイコーなノリが苦手なんよな 悟りを開くこと
それが私たちに課せられた試練なんだと思ってます わたしはいくらでもヒントを出します
だから皆さんが悟ってください
ではまた明日 >>376
別に悟る必要もないよ
悟りを求めるのもいいが
毎日毎日飯作ってくれるカーチャンに感謝することの方が1000000000倍大事だし
親孝行するならもっと良い
他人に親のように親身になって親切にするならもっと良い 人間の現実として
俺らは個として完成するために生きてるのではなく
次代の糧になるために生きてるんだよな
どんなに優れた人間でも死ねば物質的に宇宙の循環の中に帰って行くし
有形無形の財産も家族や他者
何れにせよ自分ではない者のために受け継がれていく
生きてる間毎日毎日汗水垂らして耕した畑も
死ねば自分の手から離れ誰かの手に渡っていく
仮に全く自分本位に自分のためだけに畑を耕していたとしても
事実としては次代の誰かの為に汗水流したことになる
これを仏やキリストと言わずになんと言おう
人間は如何なる生き方をしようが
その存在自体自体の中に神や仏がいるのだ 今は四位一体だから
自民党が言うには日本人はサタンで
文鮮明こそがメシア(キリストと同格)だから 事実として人間は個々ではとても弱い存在だ
今日の人類の繁栄があるのは
事実として人々が敵対ではなく協力してきたからなのだ
にも関わらずこの様な単純な事実が見えず
弱肉強食が真実であるとの考えが蔓延している
しかし己を強者であると自己認識する人間もまた
仲間の協力無しでは生きて行けないのである
それが人間にとっての現実であり真実なのだ もし俺らに課せられた使命があるとするならそれは
人を生かすことである
人を守ることである
人を押し上げることである
それが神の望みなのだ で、人間は原罪を持ち神に反する性質があるとか
キリスト教が目指すのは神になることではなく
自分の中に罪深い私と神を同居させるってのがミソなんよな
分かるかな
出来る限り神に従おうとするけど
罪深い俺には完全にそうするのはハナから無理なんだよねw
でもキリストの十字花の贖いによって
神に従いきれない俺もまた許されるわけさ
この構造が良いんですね
人間の現実に合致してるというか なので>>386の様なことを書くと
キリスト教の信仰を持つと堅苦しい頭オカシイ融通の聞かない理想主義者になる
みたいに見えるかもだがそうじゃないんだよね
あまり大きな声では言えないが
自分の中に罪を持つ私と罪を許す神がいるってことは
ある意味罪を犯すことが肯定されているとも言えるわけですね
変な話そこには犯罪だろうがなんだろうが
やろうと思えば何でもやりうる精神の自由があるわけですね
何しろ神は許すからねw
でも意識としては犯罪なんかせず出来うる限り神に従いたいと思ってる
この関係性、構図が自分の中に成り立っているから良いんですね
逆に言えばこの様な構造になっているからこそ
他者の犯す罪や悪に対しても寛容であれるわけです >>390
志位がいいんです
立憲共産れいわの酸味一体すよ 三位三体にすれば全て自然になるのに、多神教に対抗するために無理やり唯一絶対神にして辻褄がおかしいことになる 一神教はツタンカーメンくらいの時代に
宗教的統一を図るために人為的に作られた宗教政策だから
メリットもある反面、不自然さの問題は常にまとわりつくよね その上の信仰告白についても肯定的なレスを付けようとしたけど、信仰心を持つ予定のない自分が、現代の情報の津波の中で10代の時察知してしまった宗教の本質を、いまさら実体験として確認するのも難しく、そんないい加減な状態の自分が
他人の信仰告白に上から目線に近いコメントをつけるのも大変失礼な事だと考えて
長文書きかけてもまとまらず諦めた。
自分は本当に宗教に無関心だけど、たとえばキリスト教や、たとえばユダヤ教を、空気のように感じ吸収し、疑念を感じて信仰の危機を自分なりに解決するような人生を送る事ができたら
面倒な問題への対処ももう少し楽だったかなぁ、という思いは今もある(トラブってんだよね、カルトさんと) 三位一体とか天使とか聖人とかお前ら一神教ちゃうんかって概念あるよな 三位三体じゃダメなんよ
人間は自然に心理を外部に投影するが
三位三体だと精神的な平穏を外部に投影することが否定されちゃう
なので信仰を持つ者が三位一体は正しいという時
それは客観的真実というより
信仰の実際における構造的な正しさなんよな 三位一体はまだわかるけど
日本で言うとこ本地垂迹思想とおなじやん >>15
そうでもない
イスラム教では仏陀は預言者の扱いだし >>396
拝一神教と唯一神教はまた違うからね
初期のユダヤ教さ拝一神教だから他の神様の存在は認めてる 処女懐胎も翻訳したギリシャ人か処女厨だったからとかいう このスレでIDコロコロ連投してるメンタルのおかしな人もその系統に当てはまる話なのだけど
学問でも哲学でも宗教でも、そのテーマを自分の頭でしっかり考え判断する事なく
精神病の薬や栄養食品のように、意味もわからず不適切な摂取をして本来の効果を十分生かせず
その失敗を客観的に精査して正しく扱う常識もなく
刺激を求めて次から次へとドラッグ中毒のように食い散らかす、動物のような人がいるんだよね。
学問の世界だとオカルトにはまり込んだり、自分の成果はないのに他人の粗探しに20年も30年も時間を浪費したり
宗教だと、世間的に物凄く評判の悪いカルトにどんどんはまり込んで、宗教の意味もわからずに布教活動をして頭のおかしな機関紙を人の家のポストに投げ込んだり、いったんトラブルが起きると評判悪い宗教そのまんまの専従職員みたいのを他人の家に送り込んで意味不明な講釈で文句を言ってきたり。
そんな連中のどうしようもない行動で、学のない連中の学問に対する歪んだイメージが広がったり
あるいは、善意に基づく害のない宗教が、社会に害悪を垂れ流す最悪な宗教(山上氏のやつ)と同レベルのカルトであるかのように宣伝されたり
なんかダメな人に関わるのは人生損するよね >>398
そういうやつも公正世界仮説とかいう幻想信じてたり
儒教的価値観に縛られてるけどね >>402
インド的に言えば
第三の目は片目だけではなく
両目で見ないと開かないってことだよ
つまり象徴表現よな
神、賢者の石、サードアイその他諸々共通して言えることは
神秘主義の宝物は矛盾が統合され止揚された結果生まれるモノだということよな
なのでキリストの誕生も
処女かつ経産婦という矛盾を合わせ持った存在として
象徴的に「表現」される必要があったのだと思われる 三位一体がなければ奇跡の独占ができない
奇跡が独占できなければ
神聖性は量的な程度問題になってしまう
絶対性を維持しつつ
イエスの神性を肯定するための理論 >>405
ヘブライ語ではそもそも処女とは書かれてないから
ギリシャ語に翻訳するときのミスかもしくは意図的なものでしょ >>407
そもそもマリア信仰自体が後世の追認だしね
マリア信仰がキリスト教の体系に組み込まれる時点で
何らかの意味付けの為の改変があったのかもしれない そして先の他の方の信仰告白に繋がる。
学問や宗教を自分勝手なわがままの表現手段にすり替えてしまう、救い様のないゴミクズのような人に、
理性的な言葉を投げかけて正気を取り戻させるべきか、
最低レベルの人間性で人間扱いされない悪質な人にも
人間性を取り戻させる言葉を少しはかけるべきか、
それとも嫌悪感に忠実に従って、それらの人を動物や物のように綺麗さっぱり無視しようか、
日々心が揺れる事がある。
その手合いには関わらず接点を持たないのが一番なのだけど
彼女らはたいてい孤立して人間扱いされていないから
接点ができてしまうと始終まとわりついて悪態を吐いたり
問題行動を起こしてくる。
こういう、原罪重過ぎの障害者みたいな人を許して受け入れるのは宗教的には理想なのだろうけれど、とにかく粗野だから扱いようがなく、もともとまともな縁もなく関係改善もできない人たちだから切り捨てて公的機関の処理ルーチンに載せてしまうのが筋のようにも見える。
理想と現実の間で揺れ、本来必要のない罪悪感まで感じなくてはならない立場で、宗教的な赦しの概念は麻薬だよね。思考停止して私しりませーん、でも神は許してくれるから心も痛みませーん。そんな物が本当に必要なのか?ってね。
取り返しのつかない過去の罪悪感については、宗教的麻薬も役立つのだろうけどね >>404
その幼稚な概念も天羽優子だな
いまどきいい歳した大人はそんな幼稚な概念の話は出さない >>410
儒教に縛られてない日本人がどれほどいる? >>410
世の中公正世界仮説信じ込んでるやつがどれだけいると思ってんだ >>412
それ嫌儲では天羽優子に閉じた話題ですね
幼稚な話に他人を巻き込まないで1人でやってね 現実的対応能力が皆無だから、無条件に世間が公正であってほしいという御伽話に執着するんだよね。
実務的でない人特有の妄想遊び >>419
だからそれが公正世界仮説であり因果応報だけど
てかお前公正世界仮説全然理解してないじゃん
世の中が公正だと信じ込んでいるやつがいるから被害にあった人を叩くなんてことが起こるわけで バカで有名な天羽優子の妄想言いがかりタイムなので
健常者の方はお休みください。
俺も寝る >>424
儒教も公正世界仮説もりかいしてないアホ? バカって本当にバカだから、切り捨てられてるのに
妄想ベースの繰り言を並べてくるんだよな
こんな50代に絡まれる学生さんがかわいそう >>426
もう寝るんじゃなかったの?
反論できないから論点逸らしか? >>425
天羽優子の話は誰も読んでいないし
お前の話の内容など誰も相手にしていないぞ
天羽優子はバカだ以上の話はしていない 天羽がどうとか言い出すのは症状にしか見えんけど大丈夫か
それとも隠語かなにかなん? >>429
その天羽なんちゃらって誰?
知らないけど 天羽優子タイムになると、突然スレが荒れ出すから
誰でも天羽優子のバカさ加減に気付くよね
それまで10時間近く完全スルーで進んでいたスレが
天羽優子の連投で精神病院閉鎖病棟スレに様変わりする
こんなんじゃ指導を希望する学生など永遠に来ないまま定年だよね
成果ゼロ、指導学生ゼロ、ただの無駄飯食いのトラブルメイカー 基地外おばさんは特定のキーワードが出ると発狂連投するから
身元確認が簡単過ぎる
普通の人は知らないキーワードには反応しないし
わざわざそのキーワードのことを何度も繰り返し話題にしない 発狂すると思考速度が極端に低下して
2〜3語のレスを連投し始めるのも目印だよな
このスレは基地外おばさん以外は長文で考察しているから
統失のワードサラダ書き込みはただでさえ浮きまくってるのに
発狂タイムになると動物のような片言しか書けなくなる
哀れな人生だよね、50代にもなって未だにこんな不毛な生活をしてるとか 三位一体はキリスト教の宗教史の中でも歴史的政治的な側面が強いものだから
異端と対峙する上での正統教義として必要だったものであってキリスト教の本質的な要素ではないから気にしなくていい 錬金術の王と王妃が一体になる絵知っとるか?
ユングの解説をネットで読めるから
いわゆる秘教とか神秘主義に興味ある奴は読んだ方がいいぞ >>436
信仰の実際において三位一体じゃないと都合悪くなるんよ あとキエティスムという言葉も知っておいたほうが良いね >>64
力を行使できないのに宇宙を創造しちゃったの?
色々無理があるなあ 信者が勝手に作った話
そもそもキリストはただのいい人 三位一体うんたらかんたらは経済板の熊五郎の話がおもろい >>389を見れば分かると思うが
俺はキエティスムに否定的なんだよな
ハッキリ言えば異端だと思ってるし
>>386の辺りに書いた様に
個人の悟りとか救いとかそういったものは神の恵みであって
人間に対して望む神の意志ではないと思ってる
かと言って内的静寂自体を否定しているわけではなく
常に内的に静寂しているのが最高なんだ!
自我なんかいらん!
みたいなのが間違ってると思うんだよな >>301で書いたように
必ずしも静寂でないほうが役に立つこともあるわけだしね
逆に静寂な方が良いこともあって
格闘技で恐怖に飲まれてあーしようこうしようどうするどうする
じゃなく集中した状態とかね
結局は意識と無意識、自我と自己、私と神との関係性において
後者が場面ごとに必要な時に必要十分に機能するのが理想であって
俺的なその答えが>>389の構造なんだよな
そう思うからキエティスム、行き過ぎた神秘主義は間違ってると思うのさ 預かってる犬が俺のベッド占領して
仰向けでイビキかいて寝てやがるんだわ
寝れないから助けてヨ
もっと話しようぜ まあ濁して書いたケド
ハッキリ言えば禅とかマインドフルネスに対する批判よな
とか言って煽ってみる 無意識がちゃんと機能する為には意識的な努力がいる
ガムシャラに放ったボールの質は
それまでに練習で体に染み込ませた(無意識に染み込ませた)努力に左右される
思考も詭弁ではなく正しい思考を無意識に蓄積すること無しに
神がその姿を人に見せることはない 仏教哲学の真髄である空の論理は神に支配されているなどという構造を完全に否定する
だから日本人は支配されるという考え方が大嫌い 閃こうと思っても自分の意思では閃けないからね
自他の関係というのは結局のところ
私と神との関係に還元されるのさ
信仰とは思うままになる私と思うままにならぬ私の遠心分離であり
遠心分離してキレイに別れた両者の再統合なのよな
そもそも大多数の人は仏教的に言えば
自分が仏の掌の上で転がされていることに気づきもしないのさ 色即是空そして空即是色
神は空である
そして空ゆえに(自由に)神となりうる
前者は意味の相対化であり
後者は意味の付与
つまり創造である 全てが無意味である
故に神も無意味である
そして無意味であることもまた無意味である
故に神が無意味であることもまた無意味である まああれだ
空もまた
あらゆる神秘思想に見られる
矛盾の統合による止揚の表現の一形態よな
黒い棒と白い棒を繋げたら
接点に黒でも白でもない中心が出来て(色即是空)
その中心に立つからこそ必要に応じて黒にも白にも移動できる(空即是色)
って感じのイメージよな 一神教も元をたどれば多神教だからな
その限界が露呈してる >>204
ユダヤ教も当時有ったとされるシュメール神話の魔改造品だからな
イル(エール)神がヤハウェって言われてる
バール神=ベルゼバブ、イシュタル神=アスタロト >>460
ルシファーの元ネタは旧イスラエルを滅ぼしたりユダヤ民族を苦しめたバビロニアかアッシリアの王、サルゴン2世とかネブカドネツァル王だと言われてる
明けの明星=バビロニアの専制君主制を刺してるらしい、サタンも直訳で敵対者 伝言ゲームで「イエスは神の子」から間違えて「イエスは神」になった説とかあるんじゃない?
神学は伝言ゲームの間違いとか認めないのかな 婆の妄想強弁の癖が一晩経って悪化しているのが笑いどころ
こんな噛み合わない妄想レスばかりつけていたら
学生からゴミ扱いされて当然だな 精霊だけは意味がわからん
ヤハウェとイエスだけでよかったやん ・キリストをヤハウェに匹敵する存在にしたい
・人間的な存在であると言う立場も残したいから同一存在だと困る
・絶対的な一神教と言う体裁は欲しいから二人が別人でも困る
都合のいい時は同一人物だけど都合が悪くなると別人扱いで誤魔化すためのロジックが三位一体 三位完全同一ではなくね俺間違ってる?
「その時は子も知らない父だけが知ってる」みたいな言葉もあるし キリストはユダヤ人なのに
ヨーロッパ人はキリスト教を信仰してユダヤ人を嫌う 一晩経つと思考がブレブレになって、三位一体と聖霊の説明の話を忘れて陳腐な考えをドヤ顔で書いちゃうようになるんだよな
徹夜明けハイによる高揚感で箸が転んでも大爆笑するような集中力と注意力の低下 キチガイは特定のキーワードを見ると発狂連投するから大変でしょ 三位一体の絵を書いたら
偶像崇拝につながりますね
三位一体は間違いだろう >>468
聖霊なくして信仰無しだよ
神は見えないだろ?
キリストも見えないだろ?
でも聖霊は人間の心のなかに居て
直接的に見ることはできないケド
その働きがハッキリ感じられるものだからな 言語自体が偶像という
つまりキリスト教を頭で「理解」したとして
それは偶像崇拝にしかならん
つまり信仰じゃない >>461
一神教も多神教も本質は変わらんのよ
親指でボタンを押すということは手でボタンを押すということでもある
つまり表現が違うに過ぎない ある日、アウグスティヌスは「三位一体論」について、思考を巡らせながら浜辺を歩いていました。すると少年が砂浜に穴を掘り、持っていた貝殻で海の水を穴の中に汲み入れていました。「坊や、何をしているの」と尋ねると、「見てわかる通り、掘った穴に海の水を全部入れているんだよ。」「それは無理なことだよ。だって海の水は限りないものだから」聖アウグスティヌスは優しく少年を諭します。すると少年が尋ねます。「それよりおじさんは何をしているの」「坊やには少し難しいかもしれないけど」と前置きをしつつ、「父と子と聖霊がそれぞれ違うのに一つであるという三位一体について、考えながら浜辺を歩いていたんだよ」少年が言います。「それこそ無理な話だよ。そんなちっぽけな頭の中で、神様の神秘を悟ることはできないよ!」 >>482
自分の内面の働きをよく観察すれば
ギリシャ神話なんかにもリアリティを感じられるようになるよ >>483
三位一体は神の神秘じゃないからなw
>>397でも書いたが信仰の実際の上で
そうじゃないと信仰が成り立たんからそうなってるだけだよ カトリックの学校通ってたけど宗教の授業を担当してた神父の教師なんかはありもしない摩訶不思議パワーに注目したり神の定義に悩むことはあまり意味がないって立場を取ってたな
人の痛みや苦しみを和らげてあげたいという気持ちが大切で苦しむ人の手を握ることが愛であり奇跡なんだよみたいなことをしきりに言ってた 三位一体は論理的というより体験的帰結なんだと思うよ
もちろん論理でガッチガチに固めてはいるだろうけどそれは後付であって
そもそもが
理屈がこうだからこうやってボールを投げるべき
じゃなく
こうやってボールを投げたら上手くいった
みたいな感じ
つまり信仰の実感から出てきたものだと思うんだよね >>472
イエスは神だから。ユダヤ人とか白人とかそういうレベルの存在じゃない 要は自分の中にいて自分を散々苦しめる内なる他者つまり聖霊
その働きの本質、原理が実は自分に対する攻撃ではなく敵ではなく愛
愛であることを内的に知った時
その時もまた人間の自然に則って
人はその心理を外部に投影するんだよね
つまり現実の苦しみや困難もまた
自分を導く愛の働きであるように思えて来るわけよな
で、三位一体で内的な原理と外的な原理がイコールとされるから
それがまんま肯定されるわけよな
もし三位一体じゃなかったら
内的な原理と外的な原理が同じだとは言えなくなるわけで
現実の苦しみや困難の意味がまた別のなにかって事になってしまうんだよな 実際問題として
苦しみや困難が自分を導く愛であると思うからこそ
現実の苦しみや悲しみ困難を認め受け入れられるわけよな
で、もし仮に外的原理が例えば正義だったとしたら
人は苦しみ悲しみを愛の場合のように自然に受け入れられないんだよな
実際問題としてな >>486
>ありもしない摩訶不思議パワー
いかにも、現代風だな
神父叙階もミサ司式も神学知識ゼロ仏教坊さんでも可能ですぐらい言うなら分かるが 摩訶不思議パワーを求めるのは自我なんだよな
つまりその動機の根底にあるのは自我の強化であって
それ自体神から遠ざかることなんだよな そもそも初期のキリスト教教父には三位一体を否定してたのもいたからねw
有名なのはアリウス派のアリウスで、イエス・キリストは神に造られた被造物で神ではないと主張してたよねw 現実は拝金主義と差別主義と小児性愛の地獄の三位一体だわな イスラム教徒やユダヤ教徒が絶対に受け入れられない点の一つだわな >>495
キリスト教においてイエスは歴史上の人物という意味だけにとどまらず
>>405や>>457で書いたような
矛盾の止揚の象徴という意味もあるんだよな
それ故にイエスはロゴス足りうるわけだ
何故なら止揚された矛盾こそが現実そのものであるからよな
イエスは完全に人間であり完全に神であるとされる様に
イエスは神で「も」なければならないんよな象徴としてのキリストとしてはね
何故なら止揚された矛盾こそが現実のロゴスそのものだからよな 大きな声では言えないが
ぶっちゃけお前らも神であり人であるんだよ
でもイエスと違うのは
両者がグッチャグチャに混じり合っていて
矛盾の統合ではなくただのカオス
混沌とした一つのものになっているという点なんよな
イメージでいったら泥に塗れた蓮の花
或いはグッチャグチャに崩れたマンダラ
或いは左手で握手した(不信の象徴)王と王妃みたいな感じ >>499
イエス・キリストは食事もしたし排泄もしてたようであるし、肉体的には普通の人間とはそう変わらないだろうw
処女から生まれた、死者を蘇らせる奇跡を起こした、死から復活した、この辺の伝説があるから、神認定されたりするわけであるねw >>502
イエスは人間で「も」あるのよな
で、信仰者がイエスが神であることを何故確信するかというと
これも別に難しい話でも何でもなく
単純に内的に経験する聖霊が
まさに聖書に出てくるキリストみたいな感じだからよな
なんか自然に聖霊ってキリストだな
キリストって聖霊だな
キリストって神だなって感じになるんだよね つうかこんな感じで自然にキリスト=神になるのも聖霊パゥワーなんよな
論理はただの後付であって
論理的帰結でキリストを神と思っとるわけでは全然ないんよな 論理を超越した聖霊の神秘的働きで人はキリストが神であることを知る
みたいな勿体ぶった書き方だとなんか凄そうに見えるかもだが
実際は素朴にそう思えるようになるってだけ
自然にね >>19
キリスト教の聖霊は聖霊であって精霊ではない
預言者が予言者でないのと同じ ロゴスの受肉
はじめにありきはロゴス
ロゴスは後に肉を纏い人として顕現することになる
そのときの母の名をマリアという そこら辺はよくわかる話
自分はなぜか小さい時にガチの性善説で生きる道を選んでしまったので、心の中に邪悪な物を抱えて、目的もなく他人に悪意を剥き出す生き方をする人が中々理解できなかったな
匿名掲示板とか、ガチで病んでその悪意を漲らせる困った人が20年単位で暴れていて
もし実生活がそこそこ平穏で幸せならそんな事しないだろうに、なぜ実生活を改善せずに匿名掲示板でクダをまくのか、ちょっと理解に悩んだ。
まあ自分でもちょっと勢いつけて話をしてほかの人を傷つけたり
それがメンタル病んだ人の心の琴線を刺激して15年レベルで粘着されると、まあ氏ねとは言わないけど専門病院で治療しろくらいは言うわけで、人と人が接する限り摩擦は常にあるよね
でもそれがどうにかなる展望もなく、ただ不愉快でなんの価値もない会話なら、早晩相手を切って関わらないようにするのが合理的だと思うから、悪意をみなぎらせて15年間粘着している人の存在はとても不思議だし、相手のメンタルは大変な状態だと思うし
なんで解決する気がないのかなって哀れみの心を持ってしまう イエスは「最後のアダム」みたいに語られることもあるみたいね
神に背いて罪をおかし人間に原罪が生まれる前の無原罪として神とともにあるアダムと同じように語られる 悪もまた自分の中に止揚すんだよ
そうすれば悪も許せるようになる
泥に咲く蓮の花を見た時
人は汚れのない蓮になりたいと思うものだ
しかし悟るべきは
我々は泥であるということである
我々は泥であるが
しかし我々の中に
尊い蓮の花が一輪静かに咲いているのである 無原罪っていう、肉体として生まれる前の
神の創造、霊的実体そのものとしてのアダム
肉体以前の霊だから「死」っていう罪はなく永遠の命としてある
イエスが「最後のアダム」って呼ばれるのは
アダムが神に背く罪をおかし人間全てが原罪を背負った
その原罪を神との新しい契約でつぐなって
全ての人間が原罪から離れて神と共にあったアダムと同じように永遠の命としてあれるってことをこの世に示したからってことだろうな このスレの最初の方で、便宜的な説明として
聖霊を宗教団体職員になぞらえた譬え話をしてしまったけど
キリスト教における聖霊はそういう実体のある人のことではないんだね
神や神の子を人間が無意識にでも認識して
脳内にそれに応じた神キャラ、神の子キャラが発生して
(たとえるなら「天使の自分」vs「悪魔の自分」みたいな)
独立人格の脳内キャラ化して勝手に動き出すようになった物
みたいなイメージなのかな。
もちろんキャラ化は必然ではないし
キャラが勝手に動き出すのも必須要件ではなくて
より正確には「神について考える脳内部位」
「神の子について考える脳内部位」それぞれが
適切な生育条件(たとえば宗教体験や人生経験の蓄積)
で自然と発達した物が「聖霊」なのかな、と考えた 前にどこかのスレでヤハウェとイエスの関係は企業の社長とその企業のCMに出てるタレントの関係性みたいなもんって聞いてめっちゃ納得できたわ ドラゴンボールのセル編以降とか
北斗の拳の修羅の国編とかみたいな
後付け設定やから
全部無理やりなんや
イエス・キリストの三位一体も
後付け設定やから
悩むのは時間の無駄 >>486
神父は神なんていないと悩まないのか?
本気で神がいると確信しているものなのか? >>519
確かにイマジナリーフレンドに近いものがあると言えなくもないw >>521
聖霊が分かれば全く悩む様なもんじゃないよ
本当はめっちゃ単純
まあでもその聖霊を知るのが難しいんだけどね
とは言え聖霊を知るのが信仰の本質ってものでもない >>525
キミみたいに聖霊がわかったら
脳内に誰か話しかけてくるんやろww
医者にお薬飲めと言われるやん 自分のイメージはイマジナリーフレンドではなくて
複数の人で共有できる社会的存在(偉人や有名人)とか
長く顔を合わせていない親友とか仲の良かった女の子とか、
あとは実家時代の両親とか兄弟とか
自分とは異なる人格の記憶をコアとして
脳内でも気遣いのできるような相手のイメージだな
その条件だと、
たとえば偉人としてのアインシュタインは当てはまるけど
匿名掲示板で妄想じみた人が連呼している2022/7/6に
亡くなった政治家のキャラみたいのは該当しない >>526
もし聖霊を知るというのがそれだったら聖霊を知るのは簡単よな
でもそうじゃない
聖霊を知るのに必要なのは神人合一なんよな
キリスト教神秘主義としての意味での神人合一ね イマジナリーフレンドは、
匿名掲示板上で2022/7/6に亡くなった政治家の名前を連呼して、本人人格とは無関係な都合のいいキャラとしてイタコさせるような甘えた関係のキャラ。
それは本人の自意識の拡張でしかなくて、名前の出る本人とは無関係な存在でしかないよね >>528
まあ、禅でいうところの魔境やね
統合失調症の症状です 俺は何度も神人合一について嫌儲で書いてるケド
多分誰もそれが神人合一の話だって気づいてないと思うね
これは神人合一の体験なんですよと言ってないからな >>530
そういうものではないよ
>>531で書いたように
これは神人合一の体験だよと言わなければ
ただ聞くだけでは面白みもなんもないモンだからな 自閉で孤立した人が作り出すイマジナリーフレンドと
(自分が考える)キリスト教の聖霊の大きな相違は
・社会性の有無……個人妄想ではなく
複数の人が共有し得る公共的性質がある
・独立人格性……あくまでも思考上の概念に近い存在なのに
それを考える本人とは違う価値観やロジックで
動き得る独立性があり、思考の深化に役立つ
みたいな感じかなぁ 逆に言えば神人合一というものについて
みんなオカルト的な期待を持ってるから
体験を聞いてもそれが神人合一だとは思わないわけさ 新幹線は車両・路線・システムの三位一体の構成を指す
車両だけなら高速鉄道と呼ばれる
鉄っちゃんならこの喩えでピンとくるはず このスレでもちょっと書いたが
キリスト教神秘主義的な神人合一とは
内なる他者が敵ではなくただの傍観者でもなく
自分を正しい方向に導く為に自分に対して実際に実行力を行使する
その意味で父性的愛と言える性格を持った存在であるという
深い実感であり深い気付きなんだよね
そしてそれは実際に自分が正しい場所(救い)に至って初めてわかることなんよな
何故なら道の途中では自分が正しい場所に向かっているのかどうかわからないからだね
むしろ半ばにおいては自分にとって害悪でしかないとすら思えるわけだ
内なる他者が敵ではなく~ってのはそういうことよな
つまりこれは愚かな自分を賢い内なる他者が導いたということであり
その意味で内なる他者は自分を超越していることの体験であり実感でもあるのよな つまり神人合一とは
自らの内に
父性的愛の超越者がいることを知ること、実感すること
そしてその働きを事実経験したと理解することなわけですね
つまり神人合一とは自分が神になることじゃない
自分の中に自分と神がいることを経験し知ることなわけです 聖霊を知るというのはこういうことなわけです
聖霊を知るというのは
内なる働きを
父性的愛の超越者の働きとして経験することなんよな 因みにイマジナリーの部分は
聖書のキリストや神の振る舞いの人格的投影、肉付けであって
父性的愛の超越者という根本的性格は
イマジナリーではなく「ただの事実」なんだよな しょうもない辻褄合わせの末にできあがった珍設定だろ >>546
そうでもない
結構今の科学と似ている
科学がこじつけなのかもしれんがw >>471
完全同一じゃないのはアーメン
父だけが知っている事はイエスも聖霊も同意
聖霊がクリスチャンに働きかけるのも父もイエスも同意
嫁が晩ごはんを買って準備するのは夫も子供も同意
こういうのは分かるけど時間や空間の中で生きている俺等からその外側に立って時間や空間に縛られない考えをするのが難しい。 人となった神を神の子イエスは自分の事を人の子と呼んでた完全人で完全神
全知全能「あれ?俺って人にもなれるんじゃね?せや俺が罪人の借金返そ!」
このあたりをまず理解しないと聖書に書いてない三位一体なんていきなりわからんだろ… キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。
人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。
この従った対象は神で神が神に従ってる意味分からないけど日本人はどこにでもものにさえ神が存在するみたいな考えあるから受け入れやすいのかとも思う イエスを誹謗するものは許されるが
聖霊に逆らう者は決して許されない
聖霊はキリストみたいだと書いたが
それは三位一体だからっていう安易な当てはめであって
ちゃんと正確に言うなら
聖霊の苛烈な性質はイエスというより神に近い
感覚的に神や聖霊はまさに父であって
優し過ぎるぐらいのイエスが子と位置づけられるのは
理屈抜きに感覚としてしっくり来る この様な意味でもイエスは
神と人との媒介者、仲介者であると言える
幾ら苛烈といえども神や聖霊の本質は愛である
しかしその父性の強烈さ故に
神の(聖霊の)本質たる愛は覆い隠されてしまうのだ
故に我々は聖書に描かれたイエスの優しさを通して
徐々に神や聖霊の本質たる愛に近づいて行くのである 神や聖霊は人間の都合などまるで考えないのである
神(聖霊)は人間を愛し
それ故に時として
神や聖霊は人間を地獄に叩き落としたりもするのだ
しかしそれは一方的な愛の押しつけなのである
だからこそ神は
自ら人となって人を愛する必要があったのだ
一方的な愛の押しつけではなく
人間の側の都合に立って
人間を愛するために この様な意味でもお前らはありのままでいい
別にアンチキリストだからといって
神はお前らを地獄に叩き落としたりはしない
しかし聖霊の働き
つまり心全体のダイナミズムの流れに一旦巻き込まれたならば
誰もその激流から逃れることは出来ない イエスは受肉したロゴス
ロゴスは初めからありしもの
故にイエスは初めからありしものである 完全に人間であり完全に神っていうのは
歴史上の人物としてのイエスと
完徳、統合の象徴としてのイエスの止揚なんじゃねーかな
言ったら現実と神話のクロスオーバーよな >>562
内的現実ではあるんよ
それを如何に史実とクロスオーバーするかというところに
昔の人の知恵があるんだよな 上でも書いたが
お前らも含めて人間というのは
元々神であり人であるんだよね
ここでミソなのは完全にがつかないとこ
要は後天的に作り上げた自我(人間)と
先天的にある自分自身(神)がグッチャグチャに混ざり合って
意識の上ではただ一つの意識があるだけ
一つの自我があるだけって認識になってるとこなんよな
結局宗教ってのはその混ざりあった精神のカオスを遠心分離器にかけて
人と神をキレイに分けるものなんよな
その理想形がキリストの完全に神であり完全に人であるというあり方であって
内的現実と史実のクロスオーバーと言っても
その意義は多層的であり一口でかたれるものでは中々ないよな イエスは象徴ですというだけならスッキリしていいんだけど
上でも書いたが信仰上
史実として人類の罪をイエスの犠牲で贖った
というふうに信じざるを得なくなったりもするんだよな
そうなると他のイエスの事跡についても
単なる象徴表現であると済ますことが出来なくなって来るわけだ
だから信仰であり信じるなんだろうな 神が居るのに神を崇めず神の子を崇める宗教とかよく分からんわな 旧約聖書では『主』に直接祈りを捧げているのに、
これが新約聖書になると
「主への祈りはイエスを通して行わなければならない」
となるのがおかしい
仲介者がいるというのが大事という話かもしれないが、
旧約聖書の本文ではエジプト人ハガルも
イサクに息子の嫁探しを命じられた家人も、
直接神に祈りを捧げて、神の助けを得られている
「主への祈りはイエスを通して行わなければならない」
というのは、ユダヤ教徒がキリスト教徒に対して
もっとも抱く違和感なんじゃないか >>569
旧約読んで神が愛であるとは中々思えないからしゃーない
ヨブ記とかさ
神に従って従ってあの仕打ちだしね
あと上でキエティスムの話したけど
神について畏怖の対象であるということが強調されるとするなら
それは可能な限り自分を捨てて神に従うべきだっていう
行き過ぎた神秘主義になりかねないと思うんだよな
個人的にはやっぱ人と神との協働こそが現実的であるという意味で
正しいとおもってるから なんでもし神について
新約的な神の本質は愛であるというイメージでもって直接神に祈るなら
それはイエスを通して祈ったということになるんじゃねーかな
知らんけど そんなカルトなキリスト教が実質的に日本を支配してんだがw >>567
イエスの弟子(キリスト教徒)にとっての神は、他でもないイエスの信じた天の父アッバだから >>469
キリスト論としてはこれ
聖霊も同格としていれたのは聖職者の権威付けのため 3文字キーワードの人は狂人だね
丁寧な説明をしてくれている人は
まあキャラの使い分けくらいはしているだろうけど
説明内容は非常にわかり易く、キリスト教における宗教的概念が人間の心の中でどのように整理され収まる物なのか、一つの事例としてとても参考になる話をしている。
①個々人の外側世界の現象(いわゆる物理的世界の現象)と
②それに関する認識と、
③それを主体的にどう受け止め直して外側世界と個々人内面の関係性を作るのか(生物としての生存のための精神活動)
という3つのレイヤーがあるとして
②を生存上の冷徹な制約条件と認めながら、
そこに生存可能性を見出し調和しようとするのが
②'=キリスト教における聖霊と
③'=キリスト教における信仰生活
なのだろうと思った 三位一体との関係で言うと
①'=神
②'=聖霊
③'=信仰者
で肝心の「神の子」は
①'&②'と、③'の間の齟齬の解決を③'側視点でサポートする存在、と。
パソコンのソフトで言うと
ハードやOSと、アプリやユーザーの間に挟まって
ユーザーのやりたい事を支援する
お助けソフトやウィザード、スマートスピーカーやChatGPT
みたいなポジションが「神の子」なのかもしれない 終始屁理屈を書いている人は有り体に言うと
否定癖が強過ぎて学習障害に陥っていて
一つの問題について否定癖を発動するたびに
その対象の理解克服に何年もの無駄な足掻きをする
とても可哀想な人だと思う。
ある種の仮定を以て物事を認識しても
それに従って全ての行動を変える必要はなくできる筈もなく
あくまで有用らしい一つの物の考え方としてストックしておけば
次の段階にさっさと進めて、人生良好に進む事ができるのに
なぜそれができないのか、
非常に初歩的な所の障害で躓いて人生を無駄遣いしていて
大変だなぁと思う 宗教論の話に、メンタル疾患のレッテル貼りをする人は
メンタル疾患の患者本人で、疾患と信仰の区別がつかない
かわいそうな人 この人は28年前から常にこんな感じで
虚言癖と妄想と学習障害と攻撃性人格障害で
社会的人間関係をうまく築く事が出来ず人生を棒に振った人だね
どこまでバカなのかと思ってたまに会話を試みると
中学校数学レベルで躓いて数年単位で暴れてしまう
学問の基礎のできていない人物と判明済みで
職場でも使いようがなく持て余されているね この人がかつていた専門分野、化学分野では
この人特有の学問姿勢の問題を認識して説明している人が居て
それは多くの人が納得できる話なので紹介しておくと
この人は自分が知らない話、理解できない話に直面するたびに
全否定をして罵倒をする悪い癖があって
結果的に学問研究の共同作業がまるでできない、孤立した人
との事。そりゃ知らない話を全否定して回ったら
学習機会が損なわれるから、中学数学でつまづくのも当たり前 >>586
お前自身のの病気の話は誰も興味がないので
山形大学医学部附属病院精神科の主治医と相談して
治療を進めろ
以降、お前の病気話はスレ違いなので禁止 この人28年間こんな調子で自身の精神病を他人に投影しては狂人だね扱いされているから人間関係なんて築けるわけがないよね。
職場に入ってきたばかりの学生も、この人物の実名ブログを見て錯乱状態を認識して、あいつは使えない地雷だうんちのしみだと言っている事が15年前段階で判明している。
このスレでこのかわいそうな人物の件を書いている理由はただ一つ。この種の孤立した精神障害者の救済に、キリスト教だったらどんな手段を講じる事ができるか、何かアイデアがあったらお聞かせください お前が国を滅ぼすクソニートでありながら国を憂う国士様であり
コンプレックスをジャップ連呼で誤魔化しているのと同じこと >>588
あれ?きみは「山形大学、a_watcher」かよ。
はい、幻聴のある統合失調症はあぼーん。wwww
(ワッチョイW 6186-EHay) (ワッチョイW 6186-EHay)
あぼーんで、スレすっきり。 >>1
a_watcher対策スレ 2
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/dtm/1601117283/
山形大学卒・幻聴のある統合失調症
(ワッチョイW 6186-EHay) >>549
そりゃ発達障害が、書き込み衝動で書き込むからねえ これでこのスレで暴れていた精神異常者が
山形大学の長期ストーキングハラッサー
天羽優子@apj
と確定したね
この人は23年前2000年に北大教授へのストーキングハラスメントと私信無断公開事件を起こして、ネットニュース上で謝罪した記録が世界中のアーカイブに記録されているネット犯罪常習者で
近年も有名人相手に繰り返しトラブルを引き起こして
・山形大学長
・山大大学理学部長
・山形大学小白川キャンパス長
・文部科学省
・法務省
への通報が再三行われている札付きの問題人物なので
キリスト教的価値観による救済でどのように扱うべきか
非常に興味深い迷える子羊だね 天羽優子に関しては今週も迷惑通報をしたばかりなのに
ストーキングハラスメント癖が収まらず暴れているのは
とうとう懲戒免職の話に発展して自暴自棄になり
犯罪行為を続行しているのだろうと推測される
この種の長期ネット犯罪者はかわいそうだよね
どこに行っても実名を出した瞬間にネット犯罪履歴が出てきて
まともに扱われず、逆ギレ発狂してもその手口が法務省にまでバレているので、どこに行っても救われない
宗教違いだけど「善人なおもて往生す、ましてや悪人をや」で死後救われればイイね >>595
山形大学は、天羽優子の職場だけど
偏差値が四十九しかないような国立底辺校だから
そんな場所にわざわざ行くのは天羽優子くらいだぞ
山形大学関係者にはそんな言い方はしないけど
天羽優子の場合は英語論文読めない中学数学できない
学術成果まるで出ない指導学生皆無で
その職場でも最低クラスの人間だから
軽蔑されて当然だよね 職場が山形のメンタル障害の狂人の身元が判明したようで何よりだな でも匿名掲示板でそれらしい狂人が出てくるたびに
本人確認のための当て擦りを書くと
見事に過剰反応して職場の位置や荒らしスレを書いてしまうから
身元特定が簡単に済んでつまんないよね
知能の低さや繰り言癖、メンタル障害の投影癖を見れば
身元がすぐわかるレベルの狂人なのに
わざわざ毎回自身の身元を明かしてしまうのは
とても頭が悪いね もしかしてこの人は、ネットで匿名で書き込みをしても
その特異性でたった1レスで身元がバレている事に気付かずに
毎回毎回ドキドキしながら逆ギレ過剰反応して自己身元開示してんのかな。
なんか同じ事を20年でも30年でも繰り返す認知症の常同行動っぽくて、馬鹿馬鹿しいよね 三位一体で言うとこの狂人にとっては
・不特定多数の意見=「ネ申」
・匿名掲示板=「聖霊」
・当て擦り書き込み=「ネ申の子」
みたいな位置付けになっていて
>>593-595のような妄想書き込みによる自己身元開示癖は
この狂人なりの「ネ申」と「ネ申の事」への信仰告白行為なのかもしれないねw
そうでもないと毎日毎日同じ自己身元開示を繰り返す理由が説明できないよねw >>551
人我を思う故に我は一人の他者なり
我って他者なんよ
意識、自我は人間の機能の一部であり
つまり人間そのものの主人ではなく
むしろ従属するものなんだよね本来は
人間の本来の主人は人間そのもの(神)であり
その人間そのものからしたら意識、自我(我)は他者なんよな
なのでなんつーのかな
存在としてのイエスそのものは神なんだけど
イエスの自我としては人間だから
イエス(の自我)が神に従うのはごく当たり前のことなんだよな
イエスが人性と神性を合わせ持つってのはこういうことでもあると思うんだよね 実はイエスに限らず人間自体が
神性と人性の混合物だってのは上に書いた通りで
その意味でイエスというのは
人間という存在の真実の象徴であると言えるわけよな
信仰を持つ者が聖書は真実だよと言うときの真実って
こういうことなんよね 真夜中に燃えている
信仰心が燃えている
闇の中で
暗闇を照らす
愛の光 考えても仕方のないことを考え続ける理由はわからないけど
三位一体がどうたら考える余裕のある人には神様の救済は不要だと個人的に思う。
近所の教会の牧師か神父を訪ねて納得行くまで質問すれば教えてくれるよ。
どうしても神様の救済が必要な状況の人ならイエスの名前で神様に祈ったら何がしかのかたちで教えてもらえるよ。
祈り方はこんな感じ↓。イエスの名前を神様が認識してるから神様に祈りが届く方式。
「神様、◯◯××(祈りごと)。イエスの名前で祈ります」
三位一体についてどうしても知りたいなら◯◯××(祈りごと)の部分が
「三位一体についてどうしても知りたいです。教えてください。」とかかな。
神様がその人に必要な祈りだと判断したら直接的にか間接的に答えてくれる 意味不明な御利益を書いちゃうのは
他の宗教と完全に混同していて微笑ましいね ネトウヨの天皇は神だけど安倍晋三も神ってのと同じだろ? 考えるのは大事だけど
第三者的に考えるんじゃなくて
自分自身の体験を考えるんよな >>609
客観的に言えば無意識への問いかけであり
人間存在そのものへの問いかけなんだよな
つまり意識という一部の力だけではなく
人間の持つ能力全体による問題処理なんよな >>615
俺はそういう考えで祈ったことは無い。
自分の不始末で追い込まれる事が多くて都度必死にイエスの名前で神様に祈り求めてるだけ >>616
客観的に言えばってことだからな
無意識への深い問いかけは色々で
やり方自体はこうじゃなきゃイケないってことはない で、人間の存在自体は外部と繋がっている
祈りの力は答えを教えてくれるというだけにとどまらず
現実において何故か
人が導かれる上で
必要な事が必要な時に起きたりする
…気がする
個人的な経験からそう思う 司法立法行政の三位一体
やはり安倍晋三は神だったか こんな妙な教義が生まれたのは派閥争いが原因
キリスト化現説という有力な教派があって『正統派』と争っていた
化現説に対抗するためにイエスは人間でなければならないが同時に神でなくてもならない
三位一体は苦肉の策だな 祈りが人間の存在自体に働きかけ
その本来持つ能力全体を引き出す効果があるというのは
確信するところである
そして確信している訳では無いが
個人的な経験上こうも思うのである
祈りは個の枠を越えて
宇宙全体世界全体に働きかけるものなのではないかと >>620
人間かつ神ってのは人間の現実DA・KA・RAな
苦肉の策どころか教義の持つ意味の深さに感動すら覚えるよ 生きるってほんとふしぎ
世界ってほんとふしぎ
存在ってほんとふしぎ
興味が尽きない つうかこんなことしてる場合じゃねーんだけどな本当は
梅雨が終わらんと仕事出来ん >>618
興味深い考え方ですね。
それはあると思います。
自分なりのこの現象の理解はこんな感じです。
・ある個人が外界を理解し、外界と内面を調和させ
結果的に「合理的」な言動をする
・それを見た別の人が、その個人の言動からその内部に結実した
「合理性」を(帰納的推論またはもっと直感的に)理解し
その個人と噛み合った言動をする「感応作用」的なものが
たとえば善意が善意を呼ぶポジティブループとなる。
この現象は、ユング心理学でシンクロニシティと呼ばれる
認識に関わる現象と近いものがあると思う。
キリスト教文脈では善意への感応反応によるポジティブループが
主題となるが、人間の負の側面の出る場所たとえば匿名掲示板では、悪意に感応反応して悪意を呼ぶネガティブループが発生し、
それにはまり込む人は無意識の直感に鈍感で、常に的外れな意見や理解を優先し、結果的に義務教育レベルの知識の再確認に過ぎない議論ですら全否定をして、数年間にわたる荒れた言動と知能の低下を巻き起こす非常に不幸な状態になる。 実はこの現象はニューエイジサイエンスの架空の仮説「100匹目のサル」とも類似しているので眉唾だと考える人も居るだろうけど
「100匹目のサル」は科学を装って創作され、科学的検証に耐えなかったので眉唾扱いされている物に過ぎず
その一件の仮説立案と検証失敗を以て、細部の異なる類似したアイデアを全否定する物ではない、と考える。
いま匿名掲示板でも、悪意のループの側面で「感応反応」と酷似した世論扇動を頻繁に見る事ができる。
そこでは、事実と異なるデマを流布し、悪意を醸造させ
デマの設計意図に沿った攻撃的発言を不特定多数から生み出し
デマゴーグの意図を知らない人にも、デマゴーグとそっくりな憎しみや悪意を個々人に再発見させて、あたかも主体的選択として
ファシスト肯定やヘイト、非合理な経済無策の全面肯定といった
客観的には極めて非合理な判断と言動をさせてしまう事が日々現実に行われている もちろん、逆の現象もある。
数学や科学や工学の難問や検証/実証課題が
長い研究の末に可能と判明しそれが実証されると
そこに多くの人が群がり、
可能だと判明済みならこの筋道で行けるはずだという
強い信念が発生して、ちょっと前まで不可能だった事を
多くの人が可能だと検証し、更なる成果を生み出す。
最近だとDeep Neural NetとChatGPTがその例だろう。
1970〜80年代にハイプしたニューラルネットは
1990年代には多層ニューラルネットの扱いに関し暗礁に乗り上げ
そのまま消えていくのかと思いきや
その間ずっと問題に取り組んでいた少数精鋭チームが
2000年代前半に問題解決をして、
21世紀のAIハイプの起爆剤となった。
社会科学分野のテーマ、たとえば民主主義や共産主義、新自由主義についても同様な現象を発見する事は可能だろう。
それらの設計意図や学問的な定義を、専門的学問研究しなくとも
日々のニュースや生の政治、経済活動の断片から
その全体像や目的を帰納的推論で推察し、ある程度実用的な信念を作り上げる事は充分可能だ。 >>628
そのコントロールしてる側も
実は大いなる流れの中でコントロールされとるのよ
なんの慰めにもならんだろうが
全てはなるべきようになるから大丈夫だよん 直観的に思うことは
恐らく本当に必要な事と言うのは
意識が世界そのものの実態、実在に対して「追いつく」ことだと思うんだよな
非常に抽象的な言い方で申し訳ないが
今世間に蔓延している悲観論というのは
単なる悲観的な意識の投影に過ぎなくて
世界そのものの実態が本当に人間にとって悲観的なものであるってことではないんだよな みんな意識を信用し過ぎなんよ
多かれ少なかれ意識というものはナチュラルではなく
程度の差はあれ後天的人工的に作り上げられたものだからな 当然世界の実態の中には人間の実態も含まれるよね
そして上で書いたように
人間の実態は世界の実態と繋がってるんだよな >>202
カトリックはわかったがプロテスタントの意見は? 上で書いたようにキリストへの誹謗は許されるんよ
つまり戦争だったりデマだったり何だったり
人間のそういう悲観的な悪行は許されてしまう
でもね
聖霊に逆らうことは許されないのよな
これが何を意味するかというと
個人にとっては書いてる通りだが
マクロに対しては人類全体の意識の変化
認識の変化の流れを人間の力で阻止することは不可能だってことなんよな この意識の変化というのは
進化と言えるほどのダイナミックな変化であって
デマでちょっと認識を変えたろw
みたいな小細工ではどうにもならない働きなんだよな
だから大丈夫なんよ
変化が起きる時ってのは
人の力でどうにか出来るようなものではないからね
で、どうにか出来ているように見える今のデマとかの小細工なんかも
結局は変化のダイナミズムの前の
布石でしかないんよ 当然変化がいつ来るかは誰も分からんよな
でも人類史を見ても分かる通り
人間は常に変化し続けていくものだからね
たかが人間ごときが変化をどうにかすることなんて出来ないのさ だから大丈夫なるべくようになるよ
そしてなるべくしてなる未来は
決して悲観的なものではないよ
つかこういう言い方しか出来なくてすまんね
信仰を持つとこういう見通しが開けるけど
具体的なことについては何も言えんのよな
だからこういう漠然とした言い方しか出来んのだ >>623
化現説との対立がなかったら
人間になりました神に戻りましたで終わる話だろ >>640
>>566なんかで書いたように
信仰の上でイエスを単なる象徴表現としてではなく
実在の人間として、事実として信じる必要が出てくることを考えると
仮現説はちょっと受け入れられないね
つか重要なのは
この場合客観的にイエスという存在がどうだったのかを論じているわけではなく
あくまでもそう考えたほうが信仰上都合がいいという
構造的な正しさということよな しかし自分でも思うけど
俺って典型的な絵に描いたようなinfpよな(つまりクズw)
>>639とか書いてるの見て
あー俺ってポジティブだなあと思ったわ やっぱ性格によって信仰のあり方も変わるのかもしれんね ようするにあれだろ、イエスとかいうペテンおじさんが
私が父(神)で父が私だ!とか言い出したからこうなってんだろ
いやもしかしたら
その母親が、あんたの父はこの大工ちゃうわ、だって私セックスしたことないし…
とか言いだしたからなのか >>644
この投げ方の方がボールを強く投げられるみたいなもんだよ
要するに実際に信仰を実践する上で
三位一体やら両性論やらを受け入れたほうが上手くいくって感じよね 土星=サタン
一神教の始まりは古代土星信仰が始まり
異常に排他的なのはサタニズムだから
サタン以外の崇拝を許さないから
https://youtu.be/7n3eLOk0d7w プロビデンスの目はルシファーの目
サタン(ルシファー)=エデンのヘビ=ヤハウェ 三位一体はあくまでも「教会の公会議」における「説」なんよ
聖書をそのまんま読む限りそうなるよねっていう。
だから史的イエス研究や歴史的聖書研究では別の説もあるし、あって良い。 悪魔も神が生み出したものだからな
つまり一神教においては本当は
悪魔は対立排除するものではなく
神の秩序の下に統合するもんなんだよな >>650
壺とかカルトは割と三位一体否定しとるよね
キリスト教ではない別のなにかとして
自分たちの道を行くならいいんじゃないかな 父、子、聖霊 ジェットストリームアタックをしかけるぞ! 例えば過食暴食は罪よな
でもさ
現実的に人間の肉体には脂肪が蓄えられるように出来てるわけでしょ
もし仮に人間に神の如き能力があって
遠い将来まで見通す事が出来るなら別だけど
もしかしたら遭難するかもだし
そーいうことまで考えると
人間が自分にとって完全に適切な脂肪の量をキープするなんてのは不可能なんだよな
結局こういうのも原罪なんだよね
人はどうしても神に背いちゃうというかね つまり人間が自分の中から悪魔を排除することって不可能なんだよね
だから一番上に据えて崇拝するでもなく
排除するでもなく
神とかいう人間そのものの一部として統合して
神と人との関わりの中で
人の側の責任でもってコントロールするわけさ
神に言われたとおりにね
つまり殺すな犯すな盗むなとかなんとかのあれね
なので戒律って大事だよな こういうのって
罪のないものだけがイシヲ投げなさい
っていう寛容性にも繋がって行くよな ゼウスって何?
ジーザスの別の言語での呼び方?
そもそもゼウスってなんだよ >>96
おもいっきりただのエイリアンやんけ!
やっぱりUFOだったのか太陽の奇跡なんてまんまだものな 簡単だよ
神道とかのが訳分からん
チンコの神とかふざけてる >>658
ゼウスはギリシア神話の神や
三代目の一番偉い神様
ウラヌス爺さんをクロノス父さんが殺して
クロノス父さんをゼウスが殺して覇権とった 宇宙のロゴス(神)=受肉したロゴス(イエス)=人間のロゴス(聖霊)
みたいに考えれば分かりやすいんじゃね
ロゴスは法則ぐらいの感じで 理解の上で問題になるのは
人間のロゴスたる(聖霊)なんだよな
実際お前ら量子力学とか相対性理論とか
宇宙の法則については知っていても
自分の心がどうなってるかとか
どんな力がはたらいてるかとかって
全然知らんというか知識がないだろ? キリストは霊媒師も兼ねていたからな
キリスト以外の全員が頑なに否定する概念で霊を語っていた可能性もある
他にも悪霊云々言っても現代人は誰一人まともに話を聞かないだろう なので聖霊をイメージする為の
現代的なワードを心理学から代用して
自己とかセルフとか言ったりするわけだが
ぶっちゃけこれも具体的にイメージすんのは難しいかもなんだよな この映画を見たら三位一体がなんとなく理解出来るようになったわ
https://eiga.com/movie/86250/ あと心理学云々のついでに言うと
俺はinfpで極度に内向的だから
自己探求が先に来ただけであって
徳の完成人格の完成の上では
実際に現実で人のために奉仕するっていう
外向的な活動が後回しになってしまったんだよな
何が言いたいかと言うと>>643で書いたように
信仰のあり方もやっぱ色々であって
俺の真逆の性格の人なんかは外向的な活動が先に来たりするだろうなと
実際人の為に生きるって素晴らしいわけで
そういう信仰のあり方もありというか素晴らしいと思う マザーテレサは迷いがあったとかいってディスられがちだけど
オレの立場に置き換えて考えて見れば
苦手な外向的奉仕活動を成果も出ず人に馬鹿にされながらも
諦めずに死ぬまでずっとやり続けたってことだしな
神に与えられた人間の資質において
禅でいうところの完全な円相になれたのは
キリスト教的にはイエスキリストだけであって
実際の人間においてはやっぱ綺麗な円にはならず
凸凹、つまり得意不得意があるわけで
人間は弱いもので、どうしても不得手な部分は避けてしまうものなんよな マザーテレサには確かに迷いがあったんだと思う
でもそれは真摯に自分に自分に向き合い続けたからこそなんだよね
上で自分に置き換えたらって書いたけど
こんなの誰もが出来ることではないんだよな
神が与えしままの真の自己を
最後までギリギリまで開花させんとするあり方というのは
やはり神の意思に則った行いであって
マザーテレサはこの様な意味で本当に尊敬に値するし
僭越だけど本当に聖人だと思う だからね
俺なんかもこういうスレでそれらしいことを書いてるわけだけど
苦手な外向的奉仕活動を避けてる時点でゴミなんだよね
だから俺の話は神によって救われた
神の恵みの話であり神の偉大さの話なんだよと言うわけです
何が言いたいか分かるよね?
俺は悟ったとかいってイキってる
俺みたいな奴(笑)に騙されたらダメだよってことよな 三権の長であり
森羅万象担当であり
統一のプリンスである >>96ってマジなの!?
どう見ても、ああ別の進んだ文明圏から来た使者のお方かな?…ってならない?
これがどうして聖母マリアが出てきたとか頓珍漢な解釈になっちゃうわけよ 外向的奉仕活動についてはケースバイケースでできる物だと思う。たとえば目立たない形、摩擦の少ない形で長期間やっていくと既成事実化して、それ無しでは物事が成り立たなくなり、世間的な整合を取る事も可能になるだろう、と。
自分の外向的活動はそれを基調にしているのだけど、まあ色々難しい問題はあるよね。
たとえば地域の問題で、日赤の寄付ですら嫌だという自助努力至上型の御仁が公共的な問題で困った様子をして、余計な課題を予算措置も調整もなしに積み上げてくるから、
まあこれは長期間かけて解決していけばいいだろう、一番厄介な御仁が口火を切ったのだからそいつが邪魔してこない保証があると考えて10年計画くらいで実行してみた。
まあ結果的にはよくある話で、言った言わない、自分はそんな事を支持していないお前が勝手にやっただけだみたいな事を言い出して、申し訳ないけど絶縁宣言をさせて頂いた。
先方も老齢で骨身に染みたらしく、急に家を改装して別居してる息子さんを呼び寄せる算段をして人生最終ステージの心配をし出したけど、協調関係を取れない他の家の年寄りの事など知るわけもない。
この手の話で他の家の年寄り衆の個人的生存条件に踏み込み過ぎると、どんどん図々しい要求をして大きなトラブルに発展してキチガイ集落の話を聞くから、最初から線引きして、一線を越えたら公共機関の介入と調整に任せる覚悟は最初からしていた。
別の問題で、嫉妬と誹謗中傷、粘着みたいな問題もあるよね。
聖人じみた利他的行動をガチでやると、これは絶対悪意があるに違いない、あいつは悪だ、と妄想を膨らませて暴走してしまう輩。たとえば修羅の国の出身者は、潜在的な人種の相違(典型的には西日本と東日本の帰化人系と縄文系の相違)が原因で随分と舐めた行動を取ってくる事がある。
自分にとっては、悪意を漲らせて虚偽主張をし出した時点で、ゴミだから相手にしないし気にしないのだけど
先方は劣等感を募らせているから、虚偽を真実にしたいと心から願ってアホな行動を取り続ける。
まあこの手の輩には、別の方法論による関係構築、利益誘導型とか派閥争いとか必要なんだろうけど
生きる為の基本的価値観がズレていると中々噛み合わないよね。
まあそんな感じで、自分の正体というか外向的ペルソナが聖人パターンだと理解してくれる人がたまには居るし、その聖人パターンのペルソナでも実務的対処はいくらでも可能だとしても
中々生き方として難しいよね。
むしろ小悪党としてのペルソナを追加して、聖人パターンの目的達成を小悪党ペルソナを介して実現するような芸当が必要なんだとは理解しても、自分の中の多大に至らぬ点の存在を認め、清濁併せ持って生きるのは難しい事だと思う >>661
古代において生殖と食物を請願するのはむしろよく分かるやろが
俯瞰的にみて正体不明の髭のおっさん崇めてるほうがよっぽど訳分からんと思うが マザーテレサの件はよく知らないけれど
自らの所属する組織が中々の小悪党かそれ以上の問題を抱えている事を知りながら、それを手段として利用して
本来やろうとした奉仕活動を達成できたのは勝利だと思うし
それがその組織の広告塔として利用される側面は痛し痒しだと思う。
まあ実行力も政治的調整能力も優れている人だから、信仰活動としての奉仕活動を完徹できたのだと考えると、とんでもないスーパーウーマンだよね。たぶん金儲けとか立身出世の方がよっぽど楽だろうと想像する このスレでも、嫉妬と妄想と劣等感を滾らせて、毎回IDを変えては悪意を発散する哀れな子羊が居るよね。
50代後半にもなってスレを一日中監視してそんな幼稚な書き込みを一日中繰り返して、悲惨な人だと同情する 宗教というと正義マンになることみたいに思っとる人が多いがそうじゃないんだよね
悪も引っくるて潜在的な自分を開花させるもんなんだよな
だから戒律や教えを必要とするとも言える 俺にとっての開花させるべき潜在性が
外向的活動なんだよ
計画的に動くのも苦手
型にハマるのも苦手
現実的なことも興味無し
要するにクズ(笑)
俺は神の与えし自分そのものになるために
クズから脱却しないといかんっていう(笑) >>681
すげー参考になったわありがとう
違うタイプの人はそういう風に考えるんだな 自分は元々は信仰告白的な物には全く興味が無かったのだけど
このスレで色々と書いて下さる方の話は
既存の宗教話に収まらない、より一般的な人間の精神活動の話に踏み込んでいて、とても面白く興味深き読ませて頂いています。
そういった話をして下さる事も、自分を含め他の人に自らの精神活動や外界との関係について普段と違う角度で考えるチャンスを与えて下さるという点で、とてつもなく有意義な外向的活動だと思います。感謝しま〜す まあキリスト教会は行った事ガチでないし
聖書研究会を名乗る人たちの集まりも
現代思想的な意味でのテクストの読み解きは
一般参加者レベルでは決してやらないように見えて
自分にとってはまあどうかと思ったのだけど
このテーマのスレは面白い キリストは主を信じなさいって教えたのに主よりキリストの方ばかり人気出た苦肉の策って聞いた >>556とか>>570とかで書いたが
ユダヤ教からキリスト教になったのって
ぶっちゃけ進化だとおもうんだよね
よりユーザーフレンドリーになったというか 適当に言うけど2じゃなくて3なのに大きな意味がある 進化とか書いたけど
ユダヤの教えが劣ってるとかそういう意味じゃねーからな >>696
ユングは四位一体が正しいとか言ったんよな
ユングは天才、つーか奇才だが
あらゆる神秘主義に共通する本質について
あれだけ深く理解しながら
何故かキリスト教の神秘についてはちゃんと理解できなかったのが面白いんだよな 人間のあらゆる悩みというものは人間関係から生まれるというように
これを敷衍して考えれば人間関係だけにとどまらず
世界と自分との関係、政治と自分との関係、運命と自分との関係、神と自分との関係
というように
人間のあらゆる悩みというものは関係性の中から生じると言える さらにこれを還元して単純化するならば
人間の悩みというものは
自他、つまり自分と自分以外のものの関係性から生ずるということになる
つまり2だよね しかしこの二元論的認識が正しいかと言うと
実はそうではないんだ
自分というものは全てが自分の思い通りになるかというとそうじゃない
自分の思い通りにならない面も持ち合わせているのよな
例えば眠くなろうと思って眠くなるわけじゃないし
悲しくなろうと思って悲しくなるわけじゃなかったりね な、だからこいつはサタンだと言っただろ?
日付変わってきょうからは (スフッ Sd43-dWyQ)
変わる前は (スフッ Sdb2-QK2I)
今回のスレの150超レスに限らず
キリスト教スレとなると100単位のレスをぶつぶつ連投して
その文体は「なんよな/なんだよな/なんだよね」と
たまに相手がいても対話のようで実は匿名だから為せる独り善がりの
そんな奴がなんと「関係性」だとよ これは一人の人間の中に自と他が重なり合って存在してると言え
>>701の構図をこのことを考慮して修正すれば
自分、自分の中の他者、自分の外の他者
つまり3になるんよな >>1
知らなくていいし解からなくていい
そういうのは「信者だけの世界で」勝手にやるべきもので
いちいちケンモに持ってくんな で、意識は自分を世界から独立した存在として認識するわけだけど
その意識すらも宇宙の法則、例えば物理法則に則って存在してるんだよな
その意味で>>704の三者はイコールで結ばれるんだよね
つまり1だよな キリスト教の三位一体
その3という数字に意味を見出すならば
自、自内他、他の関係性というものは
その中に自他の関係性、全一の関係性をも包括してるということなんだよな >>702は二元論的認識が間違いという意味ではなく
それが正解ではないという意味な つまり3は1と2の止揚なんだよね
3なればこそ
1つまり神性たる一元論的認識と
2つまり人性たる二元論的認識という
矛盾した認識が統合され止揚されるわけよな
3だからこそそれぞれ矛盾する1と2を
それぞれ否定することなく包括しうるわけです 三位一体は人間が現世、幽界、霊界の3世界に同時に存在してるって意味があるらしい バカ警視庁バカ公安部粉砕!キリストのチカラで( ・᷄д・᷅ )パワー! キリスト教的な完徳というのは
人と神との協働にあるわけだが
これはつまり人間的な二元論的認識と
神的な一元論的認識がどちらも必要だと言うことなんよな
そう考えれば三位一体というのはそのことの象徴であるとも言えるわけで
その奥深さに感動を覚えるほどよな イメージに言葉が追いつかず
ちゃんと説明出来てるか分からんけど
これが精一杯だ レベル低めの例えだと聖霊はWiFiとかの通信規格みたいなもの、というのがある
父=神のメッセージを子=イエスが受け取ったり、それ以降も神の存在を人々が感じるためには目に見えない何かが空間を媒介してないといけない
そして教会とかはWiFiのアクセスポイント 偶像崇拝するな
神は一人、神を騙る奴は死ね
っていう十戒を回避してキリストを神扱いするために捻り出した名案だぞ
そらもうモーセさんもぶちギレでしょうね >>717
ユダヤ教にとって
神と我の関係性が全てならば
ユダヤ教は二元論的宗教だと言うことになる
仮にユダヤ教が一元的神観念を有するなら
キリストが神であることを十戒を根拠には否定し得ない
実際のところはまあ後者だろうなざっとwiki見た限り まず一神教てのが嘘だからな
多神教の中に潜んでいた悪魔を神としてる宗教だから
悪とか闇を信仰してる 神は悪魔をもその計画のために使うからな
つまり神のほうが格上なんよ 神を崇めたり賽銭投げたところで
得するどころか損する一方だもんな
あいつら本当は悪魔なんじゃね? 何で一方的に受け入れなきゃならんのよ
好きでもない浪費ばかりの不細工女の
愛を受け入れるのと同じだろマゾか? 大事なことだから一応書いとくけど
神の働きに対して受け身になるのは超大事だが
それだけだとせいぜい>>677で書いたような
悟りイキりマンにしかならん
なので積極的に神の望むことを実践するのも超大事 >>724
ブスだと思ったら自分の目が悪いだけで
メガネかけたら超美人で心底自分を愛してくれる良い女だからだよ 自分で書いておいてなんだが
受け入れるってのがいかにもキリスト教的だよな
実際人をキリスト教の信仰に向かわせるのは聖霊の導きなわけで
それを受入れるかどうかなんだよね >>725
これが大嘘
羊の論理
何故お前らが羊とされてるのか
考えろ >>1
まだ嫌儲にも希望があると思えるスレだったので
今後もこういう楽しいテーマでスレ建ててくれ 話にならんな
不細工は不細工だから好きにはなれん
しかも金持ってこいとまで要求するだろ
神ならせめて金なり才能なり幸運なりの
奇跡をギフトしろよ、クズが 弱って自分の足だけで立つのがしんどくなった時に拠り所になり得るのが宗教って俺は捉えてるけど拠り所として最適なのはやっぱカトリックだと思うなあ
大衆向けの宗教だから歴史の中で大勢の人間の目によって自省が為されてオカルトや神秘主義や怪しさがかなり排除されて現代文明にフィットしてるし厳しくないから気軽だし
まあカトリック以外の宗教は全く縁がないから知らないってのもあるけど
ただそこまで弱ったことがないから神に縋りつきたいって気持ちになる時がはたしてやってくるのかは分からないし今んとこ俺に宗教は必要ないけど >>731
その様な考えが自分自身を苦しめとるのよな
ごく当然の話として
受け入れられざるものを受入れられるようになるってことは
それが苦じゃなくなるってことだ
最悪の例えだが
ホモセックスを受け入れられるようになるということは
ホモ行為が苦じゃなくなるってことみたいなもんだ ホモ達になる気はない
何でクソ役にも立たん
神だかホモの相手しないといけないん?
お断りだわ >>734
性的な事例を例えに使うのは良くないけどってこと >>735
聖霊の導きは助けを必要とするやつにしかこんからな
それがないなら君の態度で正解だ >>736
ホモも神が作ったって法王さんも言ってんのになあ
ホモがホモセックスをすることは自然なことで受け入れることではないし
ホモセックスを受け入れてしなきゃいけないホモ以外はそもそもホモセックスが禁忌だろうに
何で性的な事例でわざわざホモ出した? >>732
神は神に縋りつかせる為に人を追い込みまくったりするぞw
俺がそのパターンだった
つかそもそもの原因は自分にあったから
そんな神の行為も俺を救うための神の愛だったんだけどね >>739
ノンケのホモ行為想定な
ホモが引っかかるならスカトロでも獣姦でも良いよ >>740
受け入れ難い理不尽なことを自分で消化できなくなった時に頼りになる存在だと捉えてるけど
まあ前向きになれれば人間ってオールOKだから前向きになれるなら神でも藁でも縋ればいいんだよなあ >>741
ホモへの差別意識が引っかかるけどまあ納得しといてやらあ >>742
分かりやすく言えば自己治癒なんよ
自分が自分を治す働きなんだ
自分じゃない自分がね 送信した後で思ったが
あんま分かりやすくはねーかもなw まあ聖霊は内なる他者だとか
散々書いたのを読んで考えてくれ >>746
三位一体とか聖霊について考えたこともなかったから面白かったしためになったよ >>747
そうなのかありがとう
俺はさすがに疲れたよw そのうち復活についても書きまくりたいのう
でもしばらくは勿体ないからネタに取っとく ワードサラダの人は思慮もなく思い付き概念を書き散らす事に
30年間の人生を投げ打っているからしょうもないな
人生をゴミ扱いしている人だからゴミのような思い付き書き込みを延々とやらかす 思い付きとかご都合展開で書き散らして整合性取れてないラノベ 先に書いた「三位一体の分散オブジェクトへのマッピング」は、思考の取っ掛かりとしてのネタ優先で書いた第0近似モデルで
明らかに齟齬がある。逐次近似的に改訂モデル第一版を書いてみる
リモートの唯一無二のSingletonオブジェクトは
①神オブジェクト
②神の子オブジェクト
の二つ。
大まかに②は、①や③聖霊と、④ユーザーを取り持つ。
④ユーザーは不特定多数。潜在的に信者以外も含む。
③聖霊は、④ユーザーが①神オブジェクト(もしくはもっと一般には自然や外界)と接点を持つと④の内側に自動生成される、①の写像のようなもの。ただし①の完全な1対1写像となる事はなく、
外界との接触で生じる様々な雑念のうち、①に関わる真理集合を集めたものが④。
これをもっと粗野にネット界の卑近な例で比喩すると
①'全人類が知りたい善意に満ちた真理情報の集合(検索エンジンやAIの知識)
②'検索エンジンを使いこなせない人をサポートするChatGPT
③'検索結果(①の部分集合)
誰かが言ってる媒体だWi-Fiだ言ってるのOSI参照モデルの下層、物理層に過ぎず三位一体モデルとは直接関係ない
三位一体を翻案した分散オブジェクトモデルを更に翻案した卑近なネット界モデルで言うと、三位一体とは
検索エンジン・プロバイダ(GやM)の理念として
上記①'検索エンジンと③'検索結果及び、それをサポートする②'チャット型AI、が相互矛盾なくシームレスに運用され、
理想的にはあたかも①'=②'=③'と看做せる状態であるべきだ、と解釈したらどうだろう >>752
自己紹介は書かなくていいよ
お前が専門分野で28年間研究して学術成果を出せなかったのは明らかにお前自身の問題 ①や③が、②と同様に愛に満ちたものだと理解する境地の話は
卑近なネット界モデルで言うと
②'ChatGPTはその設計上、敵対的発言を避けるように調整されていて、回りくどい誘導をしないとヘイト発言が出てこない状態になっている話がベースとなる。
①'の検索エンジン/AIのデータや
③'検索結果についても
分散オブジェクトモデルの真理集合の要件と同様
悪意や虚偽を明示的に取り除くか、ユーザー側の自主判断で脳内フィルターして、真理集合だけを検討する事にし
その反面、客観的事実ではあるけれど都合の悪い事(少子高齢化経済シュリンクとか今夏異常気象の兆候とか潜水艇がとっくに壊れていたとか)は、試練でありきっといつかハッピーエンドになる筈だと希望を持って人間的成長の糧にすればいい、的な話のように思える。
実際、検索結果で失望したり嫌な気持ちになるのは
客観的事実に関わる事よりも
悪意に満ちた誹謗中傷や虚偽宣伝の類だから
それを除去する基準(あからさまな悪意や誘導をスルー)を自分で持てば、
あとは慈愛に満ちた成長可能な空間とみなす事ができるよね。 ネットや匿名掲示板でストーキングや扇動をする人の意図は
人々が本来得られる外界情報としての「聖霊」的なものを
鬱病気質の悪意で埋め立てて、相手も鬱病にさせてコントロールしようという暗い情熱に基づく行動だから
まあ、一目でわかるよね。
毎日毎日支離滅裂なスレを立て
こんなスレでもワードサラダ妄想を書く例の病気の人とか
とっくに何度も身元がバレて再三通報されているのに
鬱病行動が収まらないから
もうただのネットエンガチョと化している >>751
俺のことならそうじゃなくて
人生をゴミ扱いしてるのではなく
自分をゴミ扱いしとるのよな
これ大事なポイントよな
自分の価値と人生の価値は別であって
むしろ宗教的には
自分が無価値になるからこそ
人生が価値あるものになるって構造になってるんだよね
別に本当に貧乏になれとか落ちぶれないと宗教は分からんってことじゃなくて
精神的な部分での話ね いわゆる貧しき者は幸いなりって奴だね
まあ事実として俺は底辺ではあるが(笑)
でも神に出会えたおかげで自分の人生に結構満足してるんだよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています