【終戦記念】1945年8月14日、ジャップ、閣議決定により戦犯逃れのため公文書を燃やし尽くす🔥【国技】 [331991555]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
昔は大名は切腹、それが許されなきゃ首晒される覚悟でやってたのにいつからこうなったんだろ
明治とか大正辺りかな 降伏後の日本国民にとって進駐軍はくそ政府の支配から解放してくれた解放軍として歓迎していた
政府要人が外圧によって断罪され処刑されるさまは実に痛快という雰囲気だった >>313
奥野誠亮元法相が死去、103歳 保守政治家の最長老
2016/11/17 10:50
こういう人ほど戦後、長く権力に座らせてしかも長生きにさせてしまっている卑怯者ほど生きやすい国が日本だね >>323
「天寿を全う」リストに追加だな
悪辣な奴等 ジャップの証拠隠滅って戦争関係ないよね今でもしょっちゅうやってるし
戦前から常に隠滅ばかりやってただろうね 証拠が無いならしょうがない
当時の政治家と官僚は問答無用で死刑にしとけ >>75
うるせえな、古くなったモノ、要らなくなったモノからじゃんじゃん棄てていくんだよこの国は
それで上手く回ってきたんだ、これまでは >>332
日本の歴史においてどれだけ文書が重要視されてきたか知らない愚か者 >>334
人類史においてって言い換えてあげたほうがいいです 公文書管理法の施行の前年にあらゆる省庁で文書燃やしまくってたとか何かで聞いたな 敗戦で焼け野原になっても一番消さなければならなかった膿だけ残ったのか ______________
| 火 の 用 心 |
| ┏━━┳━━┳━━┳━━┓ |
| ┃ ━╋┓┏┫┏┓┃┏┓┃ |
| ┣━ ┃┃┃┃┗┛┃┏━┛ |
| ┗━━┛┗┛┗━━┻┛ |
| _ __ 人 . |
| / ∧_,, ∧\( 0 ) . |
| ./ <*`∀´ >、 л シュボッ... |
| / /\ \つ ソ( E) |
| | | ,\ \ ノ | | . |
| ヽヽ し \ \) / / . |
| \ `\_____\' // . |
| ヽ、 ____,, / |
| ┏━━┳┳━━┳━━┓ |
| ┃┏━┫┃┏┓┃ ━┫ |
| ┃┏━┫┃┏┓┫ ━┫ |
| ┗┛ ┗┻┛┗┻━━┛ |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>>334
は?
平行世界のニッポン国の話? 敗戦直後、機密文書を焼却
公文書焼却について - 従軍慰安婦問題を論じる
tp://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/26
防衛研究所も認める「大半は終戦時に焼却」
防衛研究所では、戦史の調査研究と戦史の編さんを行うために、
陸海軍にかかわる史料の収集を行いました。
史料の大半は終戦時に焼却され、あるいは戦後の混乱により散逸してしまいました。
焼却をまぬがれたものは米軍に押収され、
米国国務省公文書部の保管するところとなりましたが、
長い外交交渉の末、昭和33年4月にようやく我が国に返還され、
その大部分が防衛研究所に所蔵されています。 asahi.com 軍の焼却命令メモ発見 徴兵日誌にはさまれ 鳥取
2007年07月06日08時41分
敗戦の際、旧日本軍が全国の自治体に出した徴兵関係書類の焼却命令を記録したメモが、
鳥取市の鳥取県立公文書館で確認された。
燃やされなかった同県日野郡二部村(にぶそん)(現・西伯郡伯耆(ほうき)町)の
「兵事動員ニ関スル日誌」の1945(昭和20)年8月15日の項にはさまっていた。
研究者によると、軍の焼却命令を伝える文書が残っているのは極めて珍しく、
軍部による指示の具体的内容を知る貴重な資料という。〔中略〕
防衛省防衛研究所戦史部の柴田武彦・主任研究官によると、
敗戦時の軍内部の焼却命令は、痕跡を残さないよう、ひそかに出され、
命令を伝える文書自体が焼却の対象だったという。 三日三晩、夜空を焦がして文書を燃やした
敗戦後の日本軍の資料焼却については吉田裕が
「現代歴史学と戦争責任」(青木書店、1997年)で詳しく書いていますね。
1章を設けて「敗戦前後における公文書の焼却と隠蔽」p127〜141で書いています。
この中で、
「敗戦当時、官房文書課事務官であった大山正が
『内務省の文書を全部焼くようにという命令がでまして、
後になってどういう人にどういう迷惑がかかるか判らないから、
選択なしに全部燃やせということで、内務省の裏庭で三日三晩、
えんえんと夜空を焦がして燃やしました』と回想している。」
とあります。(p129)
〔中略〕 鹿内信隆フジサンケイグループ会議議長(1973年当時)が語る公文書焼却
終戦8月20日前後なんですよ。ところが,そのころになると
陸軍省の経理局も書類をどんどん焼きますわな。〔中略〕
経理局長閣下に、確か中将か少将でしたが、
その人に「これは一ケタ違います。書き直して切り替えてください」といった。
そしたら「きみ、いまそんなことをいわれても、書類は全部焼いちまったんだ。〔中略〕
とにかく、あのころは書類を片っぱしからドラム缶の下のほうに穴をあけて、
どんどんぶち込んで燃やすんですから、陸軍省でも海軍省でも。
それはもう、大変な書類の焼却でしたね。 秦郁彦が語る公文書焼却
軍は有史いらい初めての敗戦に動転したのか、
終戦の日に重要書類の大部分を燃やした。
戦犯裁判の材料にされるのを恐れたからとされるが、
選別の余裕もないままに、人事記録まで処分してしまう。
そのため、講和後に軍人恩給が復活したとき、裁定に困惑した。
しかたなく、履歴がない軍人・軍属には
申請書に同一部隊の戦友二名の証明を添付することで間に合わせた。
(秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』、1999年 新潮選書、177−178ページ。) 南京攻略戦に参加した部隊の戦闘詳報
Apes! Not Monkeys! はてな別館 2008-01-07
南京攻略戦に参加した部隊の戦闘詳報のうち、
今日現存していて研究者に資料として用いられているものよりも失われていない現存しない、
見つかっていないものの方が多いわけです。
ところで、戦闘詳報には捕虜の殺害、敗残兵の殺害が「戦果」として記載されています。
敗残兵はともかく捕虜の殺害が戦闘詳報に書いてあること自体
重大な意味をもつわけですがそれはおくとして、
戦果として書いている以上過大に書くことはあっても過少に書くことは
(なにか特別な理由でもない限り)ない。
ということは、仮にすべての戦闘詳報が残っていれば、
少なくとも捕虜、敗残兵の殺害に関する限り
「上限が○○人くらい、それ以上ということはまずない」と
相当の説得力をもって主張することができるわけです。
憲兵隊や法務部の資料にしても、第十軍法務部の陣中日誌と法務部長の日記があるくらいで、
上海派遣軍の分は残っていない。
その日記には「強姦事件に付ては是迄最も悪性のものに限り
公訴提起の方針をとり成べく処分は消極的なりしも斯くの如く続々同事件頻発するに於ては
多少再考せざるべからずかと思う」とか
「その実際の数を挙ぐれば莫大ならん」と書いてあるので、
大規模に発生したことはわかっても、やはり「上限」を推定する資料にはならない。
つまり、被害(加害)規模がはっきりせず「30万人はない」と断言できない要因には
自業自得的な側面もあるということです。
ちなみに、BC級戦犯裁判においても降伏時の文書焼却のため弁護に支障を来したケースがあるとのことです。 大阪府特高文書の焼却処分
敗戦の15日の午後、特高関係の書類を焼却せよとの指令が入ったので、
山なす書類を暑い陽ざしのなかで次々にドラム缶の中に投げ込み、
まる二日間かけて焼いた。
【出典:『世界』2008/4月号(no.777)pp.262-268 より抜粋】 内務省事務官が全国をまわって公文書焼却の通達
奥野誠亮元法相(当時は内務省財政課事務官)
公文書は焼却するとかいった事項が決定になり、
これらの趣旨を陸軍は陸軍の系統を通じて下部に通知する、
海軍は海軍の系統を通じて下部に通知する、
内政関係は地方統監、府県知事、市町村の系統で通知するということになりました。
これは表向きには出せない事項だから、それとこれとは別ですが、
とにかく総務局長会議で内容をきめて、陸海軍にいって、
さらに陸海軍と最後の打ち合わせをして、それをまとめて地方総監に指示することにした。
十五日以降は、いつ米軍が上陸してくるかもわからないので、
その際にそういう文書を見られてもまづいから、
一部は文書に記載しておくがその他は口頭連絡にしようということで、
小林さんと原文兵衛さん、三輪良雄さん、それに私の四人が地域を分担して出かけたのです。 朝鮮総督府の書類をみんな焼かせたという元朝鮮総督府警察署長の証言
負けたとわかったとき、私の判断で役所の書類はみんな焼かせました。
特に高等警察の「内鮮」に関するものはぐあいが悪い。
しかし、書類というものは燻って燃えないものですよ。
一週間くらいかかって焼きました。
(西野留美子「従軍慰安婦 元兵士たちの証言」P.217) Re:林博史氏が英国立公文書館で見つけた資料
2008.4.4 共同配信記事 2008.4.5 各紙に掲載
一九四五年に日本が敗戦受け入れを決定した後、
旧海軍が天皇の「御真影(写真)」などを含む重要文書類の焼却を命じた
通達内容が4日までに、連合国側が当時、
日本の暗号を解読して作成された英公文書で判明した。
戦犯訴追に言及したポツダム宣言を念頭に、
昭和天皇の責任回避を敗戦決定直後から意識していた可能性をうかがわせる
希少な史料という。
関東学院大の林博史(はやし・ひろふみ)教授(現代史)が英国立公文書館で見つけた。
研究者によると、当時の日本軍が出した文書類の焼却命令は現在、
旧陸軍関係の原文が防衛省防衛研究所にわずかに残っているほか、
米国立公文書館で旧陸軍による命令の要約史料として若干見つかっている。
旧海軍関係の個別命令が原文に近い形でまとまって確認されたのは、
今回が初めてとみられる。
重要文書類の焼却は、四五年八月十四日の閣議決定などを受け、
連合国軍進駐までの約二週間に、政府や旧軍が組織的に実施。〔中略〕
一橋大大学院の吉田裕(よしだ・ゆたか)教授(近現代史)の話
〔中略〕 この徹底焼却のため、
日本の指導部を裁く東京裁判は証人に依存した裁判となった。
対照的にドイツのニュルンベルク裁判は連合国側が押さえた
証拠書類に基づく裁判と言われる。 戦犯追及を恐れて役場の末端までとにかく文書を焼きまくったから、
アジア太平洋戦争期だと村の徴兵事務ですら実体がわからなくなってる。 書類を償却した第一の理由は、
糞ヒロヒトの戦争犯罪の隠蔽よ
ほんとジャップは糞ジャップ 書類を償却した第一の理由は、
糞ヒロヒトの戦争犯罪の隠蔽よ
ほんとジャップは糞ジャップ 書類を償却した第一の理由は、
糞ヒロヒトの戦争犯罪の隠蔽よ
ほんとジャップは糞ジャップ 公文書燃やしまくって過去から逃げた結果、反日チョンカルトに国のっとられるっていう劣等ガイジ民族の完成 過去と向き合ってアジア諸国にちゃんと謝罪できてたら今頃統一も弱ってたかもねえ
そこらの在日虐めるくせに、自民様には逆らえないクソ土人仕草してるからついでにチョンカルトのちんぽもしゃぶることになるんだわ >>362
あたしら公務員はただ指示された通りに真面目にやっただけですから、悪しからず^^^ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています