個人に対する責任はなおざりに

 
国語辞書によると、「責任感」とは自分の仕事や行為についての責任を果たそうとする気持ちです。ポイ捨てが少なく、治安がよく、きちんとした日本がこの状態で保てるのは、日本人一人ひとりが集団に対する責任を果たしているからです。個人→集団に対する責任という点では、日本人の持つ責任感は強いといわざるを得ません。
 
しかし、その逆はどうでしょう。集団→個人への責任はなおざりにされやすいと、オースティンさんは語っています。
 
『過労死は個人に対する責任を無視している良い例です。それに、日本人は「すみません」の平謝りをやりすぎる傾向にあり、これが個人に対する責任を無視するという結果に結び付けているように思います。あなたがバイト先でお客さんに怒られたとしても、原因が自分の責任の範疇にない場合はあやまらなくてもいいのではないでしょうか』

確かに欧米なら、例えば服屋で「なぜSサイズを置いていないのか?」と店員に抗議したところで、店員は謝らないでしょう。店員個人の責任ではないので、店員個人が謝る必要がないというのが欧米的スタンスであるように思います。それに対し、日本の場合は、「店員一人ひとりが店の顔である」という教育を受けるので、店の責任も店員個人の責任も同じものとして扱います。客側も責任の所在をはっきりと区別しようとしません。これが日本でよく見られる個人の責任と集団の責任を混同している一例です。

「積極的に社会に貢献する責任」は果たしていない

「責任」と一口に言っても、その内容は大きく分けて2つあるとオースティンさんは語っています。
 
ひとつは、ルールを破らない、約束は守るという責任。もうひとつは、社会に参加する一員として貢献するという責任です。日本の場合、後者の責任が果たされていないことが多いと彼は言います。
 
日本はボランティア活動に費やす時間はOECDの諸外国と同程度です。しかしボランティア活動の内容を見てみると、日本人は地域のボランティア活動や学校のPTA活動には積極的に参加するものの、フルタイムで参加する必要のあるNGO活動の参加率は他の国と比較して非常に低いです。また、、イギリスのチャリティー団体CAFおよび、アメリカの世論調査企業ギャラップの調査による、人助け、寄付、ボランティアに関する世界寄付指数では、以下のような結果になっています。
 
◆ 2014年度の世界寄付指数調査では、日本は世界135カ国中90位。
◆ 日本人の24%が過去1ヶ月間に宗教団体や政治団体、慈善団体等に寄付を行ったと回答。(アメリカは68%)
◆ 日本人の28%が過去1ヶ月間に組織的なボランティアに時間を捧げたと回答。(アメリカは44%)
◆ 日本人の26%が過去1ヶ月間に異邦人、助けを必要としている見知らぬ人を助けたと回答。(アメリカは79%)
 
この調査結果は質問形式なので、日本人は他人を助けた場合でもそれを「人助け」だと自覚していない場合が多いのかもしれないとオースティンさんは語っています。しかし彼は同時に、それがどの程度数字に反映されるのか疑わしいとも言っています。
 
市民の社会活動参加という責任を語る上では、もうひとつ良い例があります。それは、「選挙の投票率」。日本国民全体の投票率は52.6%と、世界的に見てもさほど低いものではありません。しかし、若者の投票率となると諸外国と比べて圧倒的に低い数字です。去年(2013年)の参議院選挙で20代は33.37%。3人に1人しか選挙に行かなかった状況を示しています。日本の若者は、日本国民としての責任を果たしていないと言わざるをえません。

日本人のもつ「責任感」の特異性

これはあくまで日本が好きな一人の外国人の意見なので、それが真実というわけではありません。しかし、私たち日本人が意識していなかった「日本人特有の責任感」というのを、多面的に観察するという意味で、非常に興味深い内容だと筆者は思いました。
 
確かに日本人が「責任感」を語る場合、ルールや約束を守るということに意識が集中してしまう傾向にあると思います。その結果、「ルールはも持っているから大人としての責任を果たしている」と思ってしまいがちです。
 
続く
https://www.digima-news.com/20151111_1884/amp