太平洋戦争の口火を切る真珠湾攻撃があった1941年、旧満州(現中国東北部)の奉天(現瀋陽)で生まれた。父國雄が関東軍で部隊を指揮していたため、母美恵子ときょうだい合わせて6人で官舎に住んでいたと聞いている。

 街が戦火にさらされたことはなく、食料や物資にも困らなかったため、戦時中という認識はなかった。覚えているのは、近くを通る満人(中国人)が私たちの恵まれた生活をうらやましそうに見る姿。優越感があったのか、日本人の間では満人を下に見る風潮があった。

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