戦時中の集団疎開の食事がひどすぎる🍚毎日これだぞ [509981292]
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まずは食料ですね。朝ごはんは大豆とお米が混ざったご飯、味噌汁、お新香だけです。先生が40回くらい噛(か)んでから飲み込めと言うんです。量が少ないので、お昼までにはおなかが空いてくるんです。ご飯ではなく、芋を半分に切ったようなものがご飯代わりに出たこともありました。
それからシラミ。疎開先ではお風呂に入るのが月に1回あるかどうかでした。泊まっていたお寺にもお風呂はありましたが、それは住んでいるお坊さんのお風呂なので、近所の農家に5.6人で入りに行きました。それが月に一回。だからシラミが出るんです。僕が着ていた寝巻の縫い目にシラミが大量に付いていたことがありました。そのシラミが私の体を刺すんです。音が聞こえてくるくらい。すぐに寝巻を脱いで押し入れに入れたのを覚えています。
また、赤痢が流行った時期もあって、私たちの中でも2.3人かかってしまいました。体中にできものができた子もいましたし。体調が悪くなって、疎開先から東京に戻る子も何人かいましたね。
https://www.city.adachi.tokyo.jp/pickup/kataritsugu.html 戦中はまだ食べられた
本当に酷かったのは戦後
闇市に田舎から売り物を担ぎこむ業者が羨ましかった こんな事しないといけない時点でもう戦争に勝ち目なんかないのに
1億総ガイジ国家よな
んで今は戦争する代わりに東京五輪や大阪万博やってる で、日本は「次の戦争」ではもっとひどくなるだろうな 戦中はみんな貧乏でいいよ
負けた後のジャップオスなんてこれだぜ
やるせねえよ
https://i.imgur.com/yUR92ij.jpg 金持ちは避暑地とかに疎開して戦時中でも贅沢三昧してたんだが 嫌なら出てけだしな
親が来るときだけまともな物出す 一方アキヒトは那須のホテルで毎日美味いものを食ってた ひどい話だと大豆三粒と多量の水で腹を満たしたって話もあったな。現代の糖度が高いさつまいもあるだけでだいぶマシになりそう 団塊ジジババって、あたかも自分たちがコレ経験したようなツラして昔を語るよね
今すぐ死ねばいいのに でもこういう食事してる人が100歳近くまで生きるのよ >>3
焼け跡世代は本当の貧困食らったので
思想までネジ曲がったよな >>12
まさか最近のサツマイモがネチョネチョなのは飢餓に備えてカロリーの高い品種を作ってるとか? 東北とか甲信は酷かったって話は聞くな。
うちは関東南部でひいじいさんがでかい農家だったから食い物はたっぷりあって、戦後は闇もやってひと財産築いたらしい。
西のほうはどうだったか聞いたことない。 >>27
昔のサツマイモって
大根?にんじん?里芋とか
そっち系だったとか聞いたな 物資がないとお風呂に入れない理屈はどうなっているのか? ウォーギルトインフォメーションプログラムがー
事実かもしれないけど
そっちは重要じゃないだろ! 田舎は戦中でも食料が有り余ってたって話はなんだったの >>31
食料じゃなくアルコール燃料にする予定の最悪の味だったんだっけ >>35
生産能力はそんな落ちてないってだけで流通が壊滅してるし 昔の人の方がウンコの量多かったから好きな女の子が電車のトイレ入ると線路にどでかいウンコが落ちたりしてたとか聞いた チー牛裕仁のせいで餓死した猿に比べりゃ天国みたいなもんやろ 米農家は都会から疎開して来た人妻をわずかな米と引き換えにいくらでも抱けたらしいな >41
好きな女の子じゃなくても線路にウンコは落ちる仕組みなんじゃないの?_φ(^ム^) 昭和二十年の大寒波とか天罰だろ
なんでヒロヒト吊るさなかったんだろな これマシなほうちゃうん?
カボチャと芋ばっかだったって話 >>52
東南海地震に三河地震と大地震も連発してる 戦後は松竹の大女優らもリュック背負って農村に米を貰いに行ったとか はだしのゲンにはこういうこともマンガで描いてるから理解が早いんだよ
本人の体験談だからな
水木しげるの自伝的マンガも当時の厳しさが伝わってくる >>39
いや戦前は米国からの輸入肥料頼り(工場の工作機械も)で太平洋戦争突入から作物生産量ガタ落ちだったのと東北の冷害が重なり
昭和20年の夏で敗戦せず戦争継続した場合は東北で飢饉が起き餓死者続出だったかもと予想されてた
田舎は食えていたと言ってもその土地で生産できた作物以外はやっぱり足りず飢えないというだけで栄養状態は悪かったとか 農家って基本的に豪農以外都会より経済的に弱いものだけど
敗戦して無茶苦茶になると結局現物作ってる方が強いってなるな
まあ一時的だけどその年代喰らうと悲惨 >>2
村の娘に擂粉木を尻にツッコまれて死んでる>>2が目に浮かぶよ。
疎開した子は村の子供達に娯楽としてリンチされるだけだから。平井和正なんか友達が殺されたからな。
>>9
どんだけ馬鹿なんだよwそんなことしたら爆撃されて死ぬわ。 言うて今とは比べ物にならないほど野草取り放題だし冬以外はなんとかなるよな 村の子供らが毎年楽しみにしてた柿の木があったらしい
で大人の一人が「疎開してきた子と一緒に食べて仲良くなろう」とか言って分け与えたことで一人当たりの食べられる柿の量が減って
それが本当に許せなくて疎開してきた子供をみんなでいじめまくったと
うちの爺さんが死ぬまで柿食べるたびに同じ話してたわ
戦時中だけに甘味の柿を奪われたのがよほど辛かったのだろう だから日本で自給できるのは3000万人分だって
なこともわからんのか
山岳地帯ばかりの痩せた土地が日本な。 >>67
なるかw
皆そんな考えだから直ぐ近場の食える植物は採りつくされる >>65
ウチの死にかけの爺が戦中戦後が小学生世代で
爺が炊く飯は何時も水が多すぎて糞柔らかい飯にしやがる
貧乏時代親に嵩ましの為に水が多い米食わされて
それが標準だと脳にインプットされたんだな
当然他の家族から大不評だが他の家族が炊いた普通の飯だと固い!と不味そうな顔しやがるの
まあ死ぬまで直らんな
後やたら味が濃いのを好むの、オカズ一般 都会や町の子が田舎者にいじめられるんやで
おまいらそっちに耐えられないだろ >>49
当時の日本は農業国だからあの程度で済んだって野坂昭如が言ってたな 糖質おじさんの朝昼兼用飯かよ
意外と腹減らないぞ?
昼まで寝てるからかな
w 上級は美味い物食ってたというが戦中だろな
戦後は焼け野原で上級ですらひもじかったんだろう
オノヨーコも黒柳徹子もいつも腹空かせてて
石あっためて腹に入れて飢えをしのいでた 比島決戦に陸軍は五十万を展開す
大本営曰く自活自戦せよ
四十万は餓死戦病死
日米が争い比島人の被害は百万に達す
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