
しばしば、日本統治は韓国の人々から言語を奪ったと言われる。しかし、これは事実に反する。たしかに、昭和になってから、教育などを日本語に統一しようという動きは出てくるが、そもそも、日本の影響が始まるまで、書き言葉としての韓国語はなく、中国語が公用語だった。
現在の韓国では、ハングルだけが使われているが、かつての漢字ハングル混じり文では、ハングルの部分を仮名に入れ替えると、ほとんど日本語と同じであった。
それは、漢字ハングル混じり文をつくったのが日本人だったからである。福沢諭吉の弟子で備後福山出身の井上角五郎という人物がいた。彼は朝鮮政府の顧問となり、漢文による官報の刊行を始めたが、やがて漢字ハングル交じり文を日本語を参考にして考案し、1886年に「漢城周報」を発行した。
当時の朝鮮では正式文書は漢文で、ハングル(諺文)の使用は補助的なものにとどまっていた。このため井上は、ハングルの活字をつくるために日本から職人を招聘しなければならなかったほどである。
ハングルは1446年に李氏朝鮮の名君・世宗が「訓民正音」の名で公布したが、中国文明を絶対視する保守派の抵抗により、普及は進まなかった。
日本統治下では、小学校では原則として朝鮮語で教育が行われていたため、それまであまり普及していなかったハングルの使用が急速に進んだ。朝鮮総督府は1912年に初めて朝鮮語の正書法である「普通学校用諺文綴字法」を、1930年には「諺文綴字法」を制定し、きちんとしたかたちでハングルが使えるようになった。
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