『神代の時代から天皇家だけが選ばれし氏族である。』と主張したい日本書紀編者にとって、天皇が卑弥呼に仕えていた。そしてその卑弥呼が中国に朝貢していた。諸国で共立した(つまり天皇家に比肩する豪族が他にも色々いた事を示唆してしまう)と書かれている魏志倭人伝は都合が悪い。
だから卑弥呼である百襲姫と崇神を不自然にも紀元前の人にして同一視されない様にし(現代では3~4世紀の人だというのが通説)。
神功皇后を3世紀に持ってきたわけだ(神功紀の記述が他国の史書と比べると100年早くなっている理由がこれ)
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/300/473800.html 0087番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 6fd2-VbeS)2022/10/08(土) 01:16:12.83ID:gA8/D3Bg0
少し前は卑弥呼ポジションが安倍
>>1
>『神代の時代から天皇家だけが選ばれし氏族である。』と主張したい日本書紀編者にとって、
そのような主張は日本書紀には見かけない
天皇家って概念がニニギから天武帝にいたるまで存在しないし、
氏族って概念は継体帝あたりから出現する
神武の血統が崇拝の対象になっている記述もないし、
というか、日本書紀は血筋が崇拝されていたら書いてはいかんエピソードだらけ >>1
>蘇我氏が悪魔化されているが、
日本書紀では、蘇我は悪魔化されてないな
オオキミたちへの批判と、蘇我氏の人々への批判と、同じくらいの分量
入鹿への賞賛と鎌足への賞賛もおなじくらいの分量 乞食と日本書紀は神話的世界観だからなー
あれを根拠に歴史を語るのは聖書を根拠に歴史を語るのと同じくらいアホらしい
>>1
>後に天皇と呼ばれる崇神や垂仁が、官扱いなんだもの
崇神と官職の誰かは、もともと同一人物ではないため つか初代天皇って天智天皇だろ
それまでは都市国家連合のボスがヤマトだったんだと思うけどなーおれは
国家神道の誕生とともに現れた思想が日本書紀に見出せないらといって、 日本書紀編者の隠蔽を疑うのは、愚かしいこと。
その隠蔽なるものの根拠を記紀に求めるのは、もっと愚かしいこと。
>『神代の時代から天皇家だけが選ばれし氏族である。』
そんな思想は日本書紀にはない
明治期に完成する近代国家体制が記紀の時代に成立していたと前提し、その痕跡を探すのも愚かしいこと。
大化の改新以前のヤマトは豪族連合の盟主
中国の「皇帝」という位を意識してクーデター後に天皇制を作りました
>>34
これ続き読みたいんだけど、タイトル教えて >>1
>だから卑弥呼である百襲姫と崇神を不自然にも
不自然ではない
モモソが卑弥呼であると思うから、不自然に感じるだけ
巫女モモソに神が降り、ミマキ(崇神)がその神の声を元に実務を執った
そう書かれているだけ
卑弥呼を記紀の登場人物から探すのは徒労なだけ。
日本書紀は8世紀編纂、3世紀の出出来事は当時の感覚でよほどの重要事件でなければ言い伝わらない。
魏に朝貢しましたって、そんな大事件でもない。
卑弥呼の朝貢が最初でもなく、最大でもなく、みな朝貢しまくっている。
卑弥呼が畿内の外にいれば、8世紀の畿内役人が収集できる範囲の口伝には残らない。 出雲系先にいてこれが三輪鴨磯城でしょ
そこに物部と尾張が入ってきて出雲と仲良くなった
そこに葛城和邇が入ってきた
で連合政権樹立で大王家ができた
最初は葛城と三輪鴨磯城の連合政権じゃん
葛城とかその後も明らか天皇の言うこと聞いてないし
朝鮮半島に戻って向こうの国すら襲ってるじゃん
蘇我大伴巨勢あたりは葛城の後裔だから平気で天皇も殺す
連合政権だと思ってるから大王家も同格くらいにしか思ってなかっただろ
0100番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW caac-+g9Z)2022/10/08(土) 02:11:40.71ID:91x3Nakp0
天皇なんてNo.1権力者が国を支配する大義名分の道具として利用される歴史の方が長いんでないか
>>98
大事件でなくない。
日本書紀は呉や高句麗が朝貢してきた。と荒唐無稽な事を書くほど自国称揚ナショナリズムに囚われた史書。
それなのに倭国大乱後初めての女王が中国の臣下というのは受け入れられる筈がない 0103番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW caac-+g9Z)2022/10/08(土) 02:17:26.74ID:91x3Nakp0
魏志倭人伝によると
「倭国の東に海があってその向こうに別の倭種の国」がないといけない
九州(倭国)→瀬戸内海→吉備&徳島(別の倭種)
>>2
その地図は邪馬台国が奈良に東遷した後の範囲だろう
あと魏志倭人伝は写本が12世紀のものしかなく、
中国の学者によると東遷後の情報に惑わされて書き換えられている。7万戸とかでかい数字はそのときの改ざんと思う
女王というより、実態は斎王だろうけどね >>99
当時は婿入り婚で夫が妻の実家に通う(記紀の記述から明らか)ので、
男の地位は、〇〇の生まれであることと、〇〇のムコであること、この二つで決まったのではないか。
例を挙げると、
初代神武は、ニニギの子孫であること、および大物主のムコであることも地位の根拠
欽明天皇は、オオキミの子であること、および蘇我のムコであることも地位の根拠
〇〇から嫁を迎えるのではなく、〇〇のムコとなることで〇〇の一員となり〇〇の後ろ盾を得るのな。
連合政権は複雑に張り巡らせたムコ関係の現れなのかもしれない。
日本書紀で、崇峻帝が馬子に殺される箇所は、現代感覚では驚きだ。
馬子が批判されていないばかりか、地位を失ってはいない。
そういえば崇峻は、欽明の子ではあっても、有職者のムコではない。 0106番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 06b7-kHT+)2022/10/08(土) 02:19:44.24ID:EH5Q+A9c0
下剋上おこして天下とったんやろ
0107番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW caac-+g9Z)2022/10/08(土) 02:23:21.88ID:91x3Nakp0
東遷したということは地名も各地にコピーされている
力関係が逆転した後は逆もありえるし、縄文からの移動もあったかもしれないので
「地名があるから邪馬台国は青森だ」みたいな説はよくない
0108番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW caac-+g9Z)2022/10/08(土) 02:28:13.29ID:91x3Nakp0
>>1
というより高天原の天照大神が
地上に実在したどっかの巫女と思われる方が都合悪いような >>105
書き方が悪かった。
崇峻は、蘇我の娘に通ってはいるが、蘇我のムコではなかった。
皇后には立っていない。 0110番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW caac-+g9Z)2022/10/08(土) 02:31:27.61ID:91x3Nakp0
>>1
『歴史道』(週刊朝日ムック)
「わが国最古のまとまった『国史』を編集した聖徳太子は、中国の歴史書を学ぶ中で卑弥呼の存在を知ったと考えている。しかしかれは国内の伝承に拠って『国史』をまとめ、卑弥呼のことに触れるのを避けたらしい。
そして7世紀末に、天武天皇の命で日本の官撰の史書の作製が始められた。
(中略)
その作業をつうじて、『魏志倭人伝』の記述の一部が、『日本書紀』の「分注」として記されることになった。だから国内の記録だけに拠った『古事記』の神功皇后の部分には、邪馬台国の卑弥呼に関わる記述が見られない」 0111番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW caac-+g9Z)2022/10/08(土) 02:34:20.51ID:91x3Nakp0
>>110によると
魏志倭人伝を避けたのは日本書紀ではなく、その前の聖徳太子
日本書紀の時点ではなんとか全部盛りにしようとしている >>102
日本書紀は、朝貢されたことは書くが、朝貢して臣下にくだったことは書かない。
朝貢したオオキミを存在ごと消し去るのではなく、たんに朝貢の事実を書かない。
好例は、ワカタケル(雄略)。
『宋書』に臣下にくだった倭王武として登場してしまうが、その件はスルー。
日本書紀編者が正史を入手し読んでいることは確実。
引用しているから。
卑弥呼も伝承が残っていれば、ワカタケル方式で書けたはず。 日本書紀が漢文体の外向けの文章なんだっけ
どっちがどっちかこんがらがる
『日本書紀』の魏志倭人条の引用は、神功皇后の条に出現する
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」
明帝に使者を派遣して都に行ったとのみ書く。
金印を貰ったとか、王の称号を貰ったとかは、書かない。
日本書紀編者にとっては、魏志の卑弥呼は神功皇后。
隠蔽とか嘘だとかは考えなくてよいのでは?
八世紀の人々は『三国志』を読んでそう思ったのだ。
蘇我氏は実は正統な天皇家だったらしいな
それを天智天皇と天武天武が蘇我氏を滅ぼして天皇の地位を乗っ取ってしまった
だから蘇我氏を悪魔化、悪者化するしかなかったと。関裕二ってひとの本に書いてあった
>>116
オオキミを傀儡にして実権を握る力があったかも。
あと、蘇我は滅ぼされていない。
馬子の息子(蝦夷)と孫(入鹿)が天智に殺されたが、馬子の弟(摩理勢)の孫(石川麻呂)の娘が天智の妻となり、
蘇我の血は続いた。
天智天皇と蘇我の娘の間に生まれたのが元明天皇、その子が文武天皇というように、天皇の外戚でもありつづけた。
つまり、蘇我稲目の息子二人(馬子と摩理勢)の子孫たちのうち、馬子の子孫たちが天智に敗れ、摩理勢の子孫たちが天智について生き延びた。 蘇我氏って謎すぎるよね
イチ豪族を討伐したくらいで「はい、今日からこの国の土地も民も全て天皇のものです!」なんて強権発揮できるようになるか??
無理無理
大化の改新以前はどういう政治体制だったんやろ…興味がつきん
0119番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 4fc6-0thY)2022/10/08(土) 03:59:56.65ID:PJL5Bf050
封神演義の時代の周の武王に日本人の代表が朝貢したとの記録が残ってるから結構前から日本人は文字を使えてたはずなんだよな
0120番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 4fc6-0thY)2022/10/08(土) 04:01:59.39ID:PJL5Bf050
>>98
最古の朝貢の記録は周の誕生時だから相当前だからねー 0121番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 6b4a-M13Z)2022/10/08(土) 04:04:46.48ID:Qjyp4Ae50
他国の歴史書の中にしか日本の歴史はないんだが
2600年の歴史とか言ってるんだが
怖いか??中国??
>>2
地名が似てるとかってどうにでもこじつけられる要素だしなあ 0124番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (アウアウウー Sa2f-GZHY)2022/10/08(土) 07:26:43.47ID:be79eNkea
>>55
>『晋書』安帝紀
誰かの名前に見えてしまう 半島の右下に日本の使者がいたとかそういうのも書かれてる
半島の右下が日本領だと書かれてた
縄文人が倭人で
その倭人も政変で東方に追いやられて蝦夷になったんだろ
日本古代史は謎すぎる
0127番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW b3af-hAy0)2022/10/08(土) 12:43:54.42ID:FEw5T5HX0
確かなのは、圧倒的に藤原北家が権力を握った事である。
ここの最大の謎が、平城太上天皇を巻き込んだ藤原式家の天皇家への反乱で済まされている「薬子の変」だ。
この戦いに勝利した嵯峨天皇, 藤原冬嗣, 弘法大師は日本史を永遠に変え、
その力は今日まで続いている。
藤原北家の祖の房前(というか三?兄弟)の母親は、蘇我氏とされている。
これは、万一蘇我氏の天皇が復活したときの保険であるに違いない。
もちろん蘇我氏は今日まで復活していないが、何かそれっぽい名の奴がいる。
高市とか云う姓の女が…
こう考えて来ると、東北からやって来た安倍アテルイが奈良で処刑された理由も、何となくわかる気がするよな…
0128番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 4fc6-M13Z)2022/10/08(土) 13:02:39.29ID:h6z9Y95h0
そもそも魏志倭人伝自体がほぼ伝聞だからな
魏の使者が行って見てきたこと以外は邪馬台国側の主張を記録してるに過ぎない
卑弥呼の時代からいきなり大王とか出てきて普通は疑問に思うよな
そのあとウヨが皇紀2600年とか言い出して
じゃあ卑弥呼って何なの?ってなる
0130番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 63d2-kHT+)2022/10/08(土) 13:15:26.89ID:cBga8Yf30
大陸の連中がジャップランドに来て
原住民相手になろうで王になったのが日本の始まりと
0133番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ ca56-zauZ)2022/10/08(土) 18:48:50.45ID:FdAYCQJr0
卑弥呼の子孫が残っていたって「ヒミコード」の映画撮れるね
0134番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ ca56-zauZ)2022/10/08(土) 18:52:11.96ID:FdAYCQJr0
研究してると右翼の刺客が来てアクションして
ラストシーンで新国立競技場のベンキの蓋を上げると本当の三種の神器が出て来る
0135番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW de5b-eOAw)2022/10/08(土) 19:47:09.08ID:PD1COxvv0
ネトウヨ「ひ、卑弥呼は共産党員!」
0136番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW cbaf-T9KF)2022/10/08(土) 23:01:39.35ID:Fic0V6Ar0
こういう古代の豪族想像するのおもろい
0137番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ cbaf-n+2n)2022/10/08(土) 23:41:00.66ID:o+W8H/rw0
>>67
この解釈非常に面白いと思う。そして同時に出てくるのが太安万侶って何者?
という話。それなりの権勢を誇った人物と考えて良いと思うんだけれど、
古事記と遺跡以外の記録が無いのはどうしてなのだろうか?
続日本紀の編纂にあたって、色々落ちてしまったのかな。