日本語の元となる言語を最初に話したのは、約9000年前に中国東北地方の西遼河(せいりょうが)流域に住んでいた
キビ・アワ栽培の農耕民だったと、ドイツなどの国際研究チームが発表した。
10日(日本時間11日)の英科学誌ネイチャーに掲載された。

では農作物にイネとムギも加わった。日本列島へは約3000年前、「日琉(にちりゅう)語族」として、水田稲作農耕を伴って
朝鮮半島から九州北部に到達したと結論づけた。  

研究チームの一人、同研究所のマーク・ハドソン博士(考古学)によると、日本列島では、新たに入ってきた言語が先住者である
縄文人の言語に置き換わり、古い言語はアイヌ語となって孤立して残ったという。  

一方、沖縄は本土とは異なるユニークな経緯をたどったようだ。沖縄県・宮古島の長墓遺跡から出土した人骨の分析などの結果、
11世紀ごろに始まるグスク時代に九州から多くの本土日本人が農耕と琉球語を持って移住し、
それ以前の言語と置き換わったと推定できるという。  

このほか、縄文人と共通のDNAを持つ人骨が朝鮮半島で見つかるといった成果もあり、今回の研究は多方面から
日本列島文化の成立史に影響を与えそうだ。  

共著者の一人で、農耕の伝播(でんぱ)に詳しい高宮広土・鹿児島大教授(先史人類学)は「中国の東北地域から
ユーラシアの各地域に農耕が広がり、元々の日本語を話している人たちも農耕を伴って九州に入ってきたと、今回示された。
国際的で学際的なメンバーがそろっている研究で、言語、考古、遺伝学ともに同じ方向を向く結果になった。
かなりしっかりしたデータが得られていると思う」と話す。  

研究チームのリーダーでマックス・プランク人類史科学研究所のマーティン・ロッベエツ教授(言語学)は「自分の言語や文化のルーツが
現在の国境を越えていることを受け入れるには、ある種のアイデンティティーの方向転換が必要になるかもしれない。
それは必ずしも簡単なステップではない」としながら、「人類史の科学は、すべての言語、文化、および人々の歴史に
長期間の相互作用と混合があったことを示している」と、幅広い視野から研究の現代的意義を語っている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/a0b55fa1e4c553c7c8e2dbd41a86ff667dcd7039