【画像】江戸時代の食事がおいしそう。現代ジャップの食事より良いだろ [511335184]
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590 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW c7c6-xDyw)[sage] 2021/11/21(日) 13:17:24.46 ID:w2izX/YI0
現代ですら西側なら世田谷辺り 東側なら江戸川の対岸市川辺りの高台は林が多く残ってんのに
200年も前なら鬱蒼とした森だろ 薪が取れない 高価だとか無いから
まず現代の東京さえ知らない田舎モンが江戸の話なんてできる訳がないわな
これだけは本当にまずかった
このスレでレスバはやめようと思ってた俺も勝ち馬に乗るのを我慢できなかった
今なら無かったことにできるけどどうする? >>646
箱膳で沢庵とお茶できれいにするってことらしいが、それは嘘だと思うw >>648
レスバはよう知らんが、それは確かに間違いだわなw
江戸時代とかの農村は今の北朝鮮をイメージすると良い 林が「残ってる」という認識がもうヤバい
いっちょめの1番地で間違えちゃってた
おいしすぎる 孤独のグルメの作者の江戸飯漫画で、食った後は蓑に伏せておくだけだったな
水が自由に使える環境ではやはりなかったのだろう >>643
薪を巡って血みどろの争いをしていたなんて聞いた事ないからな
これも江戸よりはもっと時代が下るが国木田独歩が武蔵野って小説を書いてる
タイトルからして多摩とかあの辺の話か?と思ったら渋谷の先あたりが舞台で自然が一杯林一杯で良い所ってお話
近場でアホほど木が生えてるのにどうやったら薪が高価になるんでしょうねえ >>654
そりゃお前がバカで何も調べてないし知識もないからだ >>654
時代下っとるやんけ
あと入会山の争いを知らないのは無知だぞ >>654
明治も暮れの頃に三多摩に田園と雑木林がありまーすなんてそれがどないしたんやとならない?
江戸時代に鬱蒼とした森があった証明にはならなくない? >>657
江戸ならもっと開発されてねえだろ
本当にどうしようもねえな まぁ燃料が豊富であるなら雑穀がゆいしてもいいし、玄米を焚いてもいい
あえて加熱時間が短くて済む白米にせざるを得ない事情があったってこったわ >>658
渋谷の先ってもう多摩なんだあ
田舎モンでも今はお得意のインターネッツで地図くらいは見られるよね? >>659
こういうの知らんのか
https://i.imgur.com/c5dAInT.jpg
実際に薪を巡って、村の男が構やナタを持ち出す騒ぎになり刃物を奉行所に没収された、とか江戸時代の農村の現実はこんなもんだぞ >>613
余裕
ただし揚げ油の質は悪かったはず
>>629
彦根産牛肉の味噌漬け焼きとか上級用のごちそうだったらしいな >>662
豊多摩郡澁谷村だから渋谷が多摩なんじゃね ひね漬けってあるだろ
それが行き過ぎてカビってるのもある
そのへんの認識を本人に確認しないとこのへんはわからん いや違うか渋谷は豊島郡エリアだな
中野や野方からが多摩か >>629
薬食い、とされていたんだっけな。牛なんかは
仏教の禁忌とも重なり食べられていなかったし、味が強すぎてダメだったかもしれない >>667
チミが書いてたのは三多摩であって豊多摩じゃないよね 三多摩ってどこを差すのかな? 「里山を村の皆で管理していました」という言い方が
美辞麗句として認知されてしまっているのが大きな勘違いなんだよね
今で言えば村民共有のガソリン・灯油タンクみたいなもんなんだから
「あいつは倍よけいにガソリン持ってきやがった!」とか
しじゅうごたごたもめているのが日常
今のように間伐材の需要があまりない時代ですら
村の入会地から間伐材を取るときは面倒なルールがあるのに >>673
右のページにも薪を巡って血みどろの争いがあったとは一つも書いてないな 日常的にゴタゴタがあったのなら田んぼの用水路の争いをなぜか持ち出す必要はないよね
薪を巡っての流血沙汰の記録を出せば済む
日常的にあったんだろ 記録もそれだけ残ってんじゃねえの〜
ガチガチの管理社会だったんだからお上の目も厳しいだろうしなw こういう>>1みたいな豪華な食事は人間をダメにするのじゃ
商人の清貧を尊ぶ心が大事じゃ
豪商の跡取り息子でもご飯に漬物・汁物
これで立派な人格が形成されるのじゃ
...当主は接待で料亭に行くのじゃ >>677
この話は、入会山の薪や田畑の肥料としての狩り敷、飼い馬の飼料としての秣、そして薪の供給源である入会地を巡って結果村の男が抗争先の薪十駄と鎌10丁を奪う、二回目はその5倍の規模で繰り広げられて奉行に裁定を乞う争いになった 目黒といえばタケノコだった
そして日本食ホルホルの根は深い
柴田流星「残されたる江戸」1911
さてこの筍めしに就いては、曾つて西欧人を吃驚びっくりせしめた例もある。
かれらは邦人がこの筍を料理して喰うを見、「日本人は竹を喰う」とて内々舌を捲いたとやら、
江戸ッ児には又この西人を驚かしたというそれが、
いとも愉快に胸すくことで、実は内々嬉しくてたまらぬのである。 この資料からわかるのは村民がちょっと力を合わせるだけで田んぼの用水路がすぐできちゃうって事だな
日常的に堀を作ってたからこそあいつは手伝わねえと揉め事もそれだけ起こるし記録も残ってるw
まあそれはいいとして現代のリーマンには考えられないほど水辺や船が身近な物だったっていうのはもう確かで
魚を普通に食べてたのも間違いないな >>678
こういう争いが日常的であったことはない、と思いたいのかも知れないけど、そもそも入会の境界争いやその取り決めがあった時点で当時の農村の生活の実態は知れてくるだろ
入会は一部地方だけのものでもない >>682
用水の開通はそれこそ一大事業でありエポックだからこの資料の話では村はわざわざ「用水路の守護祈願」で一部山林を伊勢神宮に献納している
その林は大神宮林という名前で、俺も子供のころに耳にしたことがある
歴史が下って、伊勢林という地名になった >>663
混ぜ寿司だと、
売り娘があまりの臭さに吐いたゲロを一緒に混ぜたまま売った逸話も残ってる
そんなもんだよ現実は >>629
食べて育ってないジジババ、特にババには獣臭がだめな人結構いる
新鮮でも風味そのものがNG >>688
逆に現代人には当時の野菜なんて少なくとも生では食えたもんじゃないかもな
昭和末期ですら野菜の青臭さは今と全然違ってたし 米も今流通してるのは品種改良重ねて味がよくなったもの 食事のスレなのに、森林資源の話してるなら良い話があるぞ
畿内では砂防・植林を監督する土砂留役人が他の領主の地域の村も担当してたんで
巡回の時には村々で旨い食事と酒を出させて付き添いの下人もおみやげをもらってたそうだ
岸和田藩や高槻藩の役人が特に怪しい そうかもな
野菜とか果物は、あと家畜の肉、養殖魚なんかは今の日本人が食べているものと大分違うわな 当時の徳川の殿様が食ってた米より現代のノーブランド米のがうまいと思う
酒も徳川の殿様が飲んでた奴より紙パック清酒のが >>689
今の農家が作ってる野菜はちょっと前とは全然違うんだよな。
家庭菜園で今の野菜のクオリティが作れると勘違いして
子供に苦い臭い野菜を食わせてる親がいるならやめさせたい
ネオニコ農薬野菜もやめさせたいけど たくわんすぐ腐るのやめてほしい
冷蔵庫でも腐ってるわ >>693
ああでもそこは一概には言えないと思う
酒もその比較だとどうかなw タイムスリップして
ぼく「殿、これが未来より持ってまいりました酒でございます(大五郎)」
徳川吉宗「こ、これは何と美味な!褒美をとらす米10俵だ」
ぼく「さんきゅー殿」
ぼく「うわ、まっず。業務スーパーのアメリカ米カルロース以下じゃんいらね」
これが現実 >>699
君自身の味覚もどうかな
そこまで言うとw >>386
記憶と違って豪勢すぎると思ったがこれだわ、以前見たの >>701
いやこんな豪勢じゃねえよw江戸時代の江戸の庶民でも
農村は更に当然下。そもそも米食べてない 祖母の出す料理の塩辛かったこと
祖父祖母のどちらも高血圧が原因で亡くなった
日本人塩分とりすぎ 繰り返すけど、日常の飯としては>>1は江戸の武士階級でも殿様レベルだぞ
武士でも下の方は米にメザシでもあれば良い方 >>313
奈良のある地域の農民は6回取ってたという記録がある 魚とかの天然物は獲れたりとれなかったり季節もあるし上級じゃないと無理だろうな
庶民はせいぜい田んぼや近くの川でどじょうやなまずくらいなものか
冬とか本当食い物ヤバいな 川魚も江戸時代は鮎とか釣ってなかったかも?そういや 楢山節考の世界とか冬は何食ってたのかマジでわからねぇ
おせん婆さんが川魚の穴場を秘伝にして息子の嫁に伝えてそれで安心して姥捨されたりしてたけど
川魚の干物とかでも数カ月分は取れないだろうしな >>710
アイヌは本州からイノシシ取り寄せて夏の間育てておいて
冬場の食糧がない時期に屠ってたそうだ
米や豆は長期保存できるからええな
冬場は魚の干物やきのこ類の干したのとかダイコンなんかの野菜の漬物で
春先の七草だの山菜がさぞありがたかっただろうなあ まあ東北だと完全に稗みたいな雑穀中心だったんだろ
稗は米よりも保存がきくし税で取られないから、飢饉に備えて何年も天井に蓄える
古くなったものから食わないといけないからな 俺の実家は冬の寒さ厳しいとこで幼少時の記憶は、冬でもネギやイモはむしろ甘くなってうまくなる感じだね
氷室みたいの作ると、そこでネギなんかは特に自己防衛のために間質成分作って甘くなるというような
冬季はやはりタンパク質が問題か
大豆の普及が生命線かな 基本はこういうメシだよ
日本人は元来草食だから、ジャングルで飢えることは無いし肉とか不要だからね
https://i.imgur.com/zFsoLoV.jpg >>663
この場合は今で言う腐敗じゃなく漬け物として発酵の行き過ぎた古漬け
酸っぱくて臭いけど食うことは出来る >>537
陶器か磁器か知らないけど
焼き物って誰が使うものだったの? 山中は次元が異なる
戦後でも炭焼きの子供が親にかき氷を買ってもらって、「世の中にこんなに美味いものがあるのか😭」と感動した話がある 庶民の器は都市部だとたぶん焼き物の方だったと思うけどな
地方ではいわゆる木地屋の作ったもの。ろくろ回しの陶芸か、文字通りの木地だったかは分かれるだろう
木に漆塗った漆器ではまずない >>112
面白いなw
形式だけ中国を真似しようと思ったが的なやつかな >>718
「わるい」はホントに腐敗してて食中毒になったのかもな >>720
俺は親父が出身地方だけど大学で東京に出て(国士館)だけど「こんなにうまいものがあるか」と思ったのは川崎のタンメン(今でもある白竜)だったらしい
祖父は満州にも行っていた人
農業の技官。南洋にも行っていた。そこで愛人という名のなにかもしていた
だからそれこそ本場のジンギスカン(家で飼っていて屠って食べる)をよくご存知らしいけどな あんたら飯を盛る食器を自分が何と呼んでいるか考えてみなよ
「茶碗」だろ
つまりヤキモノの飯を盛る食器は
もともと別の用途に使われていた食器の転用なんだよ
それまでは飯は木のお椀に盛るもの
>>1のように汁物までヤキモノに入れているのは問題外の大間違い 文型が自分の研究結果(無学笑)を晒すスレはここでつか? 日本人の血を引いてるのにこういう伝統的な和食ってどう見ても不味そうに見える
ご先祖さまも内心美味いと思ってなかったんだろうな 近年いきなり浮上してきた江戸時代最強説みたいなの度が過ぎるだろ 明治アゲもどうかと思うし、江戸はガチで今の北朝鮮に近いやつだよ >>693
そりゃ今となっては愛国や銀坊主でさえ収量も取れずクソ不味い品種扱いなわけだからな 江戸明治の茶碗やお椀は想像以上に小さいぞ
>>1の写真のお膳は、現代の宴会場や旅館のお膳よりずっと小さいぞ >>386
何という塩分の塊
つーか、このラインナップで塩を何処に使うんだよ >>386
食事の量の再現は正しいけど
実際にはご飯をおかわりして食うからな
汁物が陶器に入ってるのも変だし
時代や場所によっては茶碗はもちろん食器全てが
安価な混ぜ物をした漆器だからな >>740
現実は、江戸時代本当の庶民の日常はこれでも贅沢だったですよ
こんな「膳」が並ぶなんてそれこそ農村部では全くないし >>741
ご飯をおかわり、なんて江戸時代の庶民にはない
いたとしても人口の5%もあるかどうか
江戸時代にには江戸の人は脚気を病んでたとかいう話は実際には江戸しぐさレベルのたわごと >>742
江戸ですらお膳が並ぶのはあんまりないよ あんま大きい魚じゃないなら落ち葉に火付けてとかでもぶちこんでると焼けるよ
貝とか芋とかも余裕で焼ける
やったことあるやつなら普通に分かる
当時食ってないとかあり得ないと思うよとれる所だと普通に食ってると思われ >>729
そういうこと書いておいて、
しょっぱなから誤字かますのもなあw >>81
これの元ネタになった文書は当時遊女が待遇の酷さをお上に訴え出るケースが結構あったからその分後世に記録が残ってんだよな
もう耐えきれなくなって不満爆発で放火して大火事になる事もちょいちょいあった
でもすぐに再建されていた 当時の建物はほぼ木造
木材資源に乏しく超高価なら不可能だわな >>747
木はフレームだけで藁と土と紙で壁作ってた時代だからな
今時のツーバイフォーとは全く別物よ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています