【文学】蜘蛛の糸 芥川龍之介「蜘蛛の糸は何故切れたのか?」【代理】 [777068329]
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>>1
動画は面倒だから見ない
文字で書き起こして 20代の頃の作品らしいね
達観してるなあ当時の文豪って >>4
単なるパクリだよ
元ネタはドストエフスキー >>5
それもう相当前の文学研究の話で
今はポール・ケーラス元ネタ説が主流だろ >>14
前から自殺未遂や匂わせを繰り返していて
狂言自殺の失敗説もある(本来なら朝に発見されるはずで助かってたけど色んな偶然が重なって昼前に死体で発見された) 「みのがしてくれよ、な、な?」
→ いいえ
「みのがしてくれよ、な、な?」
→ いいえ
「みのがしてくれよ、な、な?」 蜘蛛の糸は慈悲の心自分だけが助かりたいと他の人間を蹴り落したから切れた
仏の世界に行くには我利を離れた慈悲の心が必要ってことじゃないのか いくら講釈垂れても日本の坊主は肉を食って女を抱いて高級車乗り回すから けっこういい人だと思ってたら『燃やしてやる』とか言い出したから もともとお釈迦様のきまぐれで得たボーナスチャンスだっただけ
救ってみるか→やっぱやめたはひどい 釈迦のヤロー 「チャンス与えてやる」とか言ってたけど、
アイツ絶対最初からカンダタが「降りろ」っていうの
(糸が切れるの)わかってたぞ 蜘蛛一匹助けるくらいの善行はたいていの悪人でもしてるはずなので(たとえば幼い頃兄弟に食べ物を譲ってあげたとか)カンダタだけに糸を垂らすのは不公平では? カンダタが絶対に切れないと信じる事ができず
切れるのではと疑いを持ったので切れてしまった 逆にカンダタが「一緒に来い!釈迦を倒そう!」
っていう階級闘争的な話になったら嫌でしょ? カンタダが生前に蜘蛛を殺さなかったから
蜘蛛の糸で地獄から極楽へのワンチャンを与えた
それで登り始めたが、それを見た他の地獄の連中も登り始めた
「誰が登ってきていいと言った」「重さで蜘蛛の糸切れちまうからテメェら離せ」
的なことをカンタダがやったら自分のところで糸プッツンして
みんな地獄に戻り落ちた
カンタダが蜘蛛を殺さなかったときのような慈悲の心を持ってたら極楽に辿り着けたのにね
って話 これ面白いなあ
俺もお釈迦様の失望が原因だと思ってた
原作の人そこまで考えてないよかもしれんけどこれは説法としてスジが通ってる 蜘蛛はおしりから糸を出していた。
亡者がぶら下がるたび、その刺激か蜘蛛に伝わっていた。
おしりへの刺激が強くなって逝った瞬間、糸は切れた。 過積載にならないようにリスク管理ができてないから。
後続に見つかっても後続が来られないように、蜘蛛の糸は体に結んで巻いて上がるべきなのを判断出来ない愚か者だから落ちた。 職場の工場でも良い奴だと助けてやろうかなって思うけどドクズ見せつけられるとまあいいやこんなやつってなる >>31
面白そうな設定 書いてなろうに投稿してみては 俺も動画は見ないのでスレの趣旨は良く分からんが
ただまあ、カンダタが「この糸は俺のものだ」と言った瞬間対象への執着が起きてるわけだから、彼が解脱無理なのは小乗的には当然
あの話の根本は大乗批判と俺は解釈してる。万人救済とかバカじゃねーのおめーって話 そもそも完全なる創作なのに仏教として語ってしまうのがどうかと思うんだが
なんで釈迦が浄土にいるのかとかがスルーされてるのが謎 >>43
だから大乗が作った「虚構の釈迦」的舞台を用意した上で、わざわざ釈迦に万人救済をやらせた上で失敗させるっていう話なんだよ
大乗がこれに反論しようとすると慈悲が足りない的な話になるんだろうけど「ならば今すぐカンダタに慈悲を授けてみせよ」っていうのがこの話 >>47
なんかシャアみたいな言い分だな釈迦とシャアって似てるもんな >>1
仏教は自己責任。因みに韓国はキリスト教、北朝鮮もキリスト教を基にした思想
◆平野啓一郎 @hiranok 2021年09月11日
先日、某インタヴューで『蜘蛛の糸』の話になって、
あれは、釈迦にしては「条件付き救済」の態度が慈悲からはほど遠く、
『寧ろ芥川が「救われるに値する人だけを救う」という社会(国家)を風刺したのではないか』、と言われ、考えさせられた。
芥川の意図はともかく、今なら確かにそう読めそう。
◆@kane2g765
もともと『仏教は因果応報、個々人がどう生きれば苦しみを脱せるかを説く』『究極の自己責任論』なので、
『それをそのまま国家や社会という世間の法に当てはめたらかなり悲惨なことになる』。
釈迦の慈悲が不足していたからではなく、カンダタ自身のエゴイズムが破滅を招いたというのが『蜘蛛の糸』の物語の核心だ
◆塚田 穂高 @hotaka_tsukada
学生が不意に繰り出す鋭い問いが胸熱で、先日なんか
「ニューエイジ〜新霊性運動の系譜の一つにヒューマンポテンシャル運動があって、『その流れで自己啓発セミナーなどがある』とのことですが、
『道徳科の中でやたら自己や心が問われる』のも関係があるんですか?」と聴かれた。
思わず「うわあ」と声が出たよ。
◆@premabhisheka
『生き難さの原因を自己の内面に求め、社会問題を追及しない方向に誘導する』という意味において、すべて通底しています。 これは完全な私見だけど、釈迦が女や戦闘を捨てずに生きていたらシャア的な革命家になった可能性はあると思う
原始仏典のバラモン批判とか割とアレだし
ただそういう社会攻撃より内世界に興味を持つタイプだったから、積極的引き篭もりを選んで先に「戦闘は無駄」という境地に入ってしまった >>47
ウソつけ
それだと釈迦が毎回1本しか糸垂らせない無能じゃねぇか >>50
シャアはザビ家を滅亡させた事がトラウマのようになってダイクンの思想にすがるしかなかったんだよ
ララァという理想を自分以上のニュータイプであるアムロに殺されたせいでやはりトラウマになってしまったわけ
アムロに固執してるのはダイクンやララァへの固執と同じものでしかないからあんな子供のような事を死がすぐそこまで迫ってる状況で吐露してしまったのさ 地獄に落ちる様な連中が天国に行ったら、そこはもう天国じゃなくて混沌やで。 >>4
ヒロポンキメて創作活動してた時代とは比べちゃいかんと思うわ つげ義春の漫画で小学生が朗読するシーンがある
騙されて汚い貧乏宿泊まらされて不貞腐れ内心田舎もん嘲っておったら隣の部屋から小学生が蜘蛛の糸朗読する声が聞こえてくる
これがなかなかいい 希望を見せて絶望に叩き落とす遊びだよ( ´∀`)
最初からカンダタを救う気なんてなかった( ´∀`)
お釈迦様も暇だからなんとなく地獄の馬鹿っぽいやつ引っ掛けて遊んでただけ( ´∀`) 希望を与えて期待させたところで突き落とすってのは神様の大好物の趣味みたいなもんだからな 自分一人だけ助かろうとする浅ましい心をお釈迦様は嘆かれたのです 糸の自重で切れる様ならそもそも登れてない。
なにかの因果関係があるから、糸が切れる訳なので。
原因は1.過積載により切れた、2.振動により切れた、3.熱や反応により切れた、4.蜘蛛が切った、5.釈迦が切ったのいずれか。 蜘蛛を助けたからっていきなり天国行きの結末はおかしい
せめて人間に転生するチャンスを与えられて悪いことしない一生を送って天国いきましためでたしめでたしならわかるけど 神仏等が人間を試すときのパターン
テストの告知(これからお前をテストする)
ルール説明(これがルールだ)
「蜘蛛の糸」テストの告知なし/ルール説明なし…不合格
「杜子春」テストの告知あり/ルール説明あり(偽)…合格
「ヨブ記」テストの告知なし/ルール説明あり(テスト終了後)…なんか無茶苦茶キレられたけどまあ合格 短編しか書けない事から推察するに作家よりも詩人寄りの才能だった様に思う
実際作中や随筆で残した詩は秀逸だし願わくば詩人としての芥川を見たかった
『また立ちかへる水無月の なげきを誰にかたるべき。 沙羅のみづ枝に花さけぱ、かなしき人の目ぞ見ゆる』
こんなん本職詩人でもなかなか書けんレベル ワールドワイドウェブって言う言葉の前に
今のネットの環境の特徴である
「不特定多数の無数の悪意ある後続者・観察者の前でエゴを吐露して破滅する」
というのを蜘蛛の糸って小道具で表現するのだから
現代に時間旅行してるのでないか カンダタ自身が蜘蛛を助けた程度の慈悲なんてすぐに切れる程度の行いでしかないと気づいてしまったから 釈迦「糸切れた時のこの顔www Lineのアイコンにしよw」 「作ってる人そこまで考えてないよ」は真理だと思うわ 走れメロスの距離もめちゃくちゃなんだっけ
金持ちが道楽で鼻くそほじりながら書いたラノベ これ安倍だったら自分から下の糸切って解決て落ちだろ 御釈迦様は悪人にも常に手を差し伸べていて
にもかかわらず更に悪事を働いても手を引っ込めたりしない
悪人側が手を叩いたのである
いや何をしようとずっと与えられ続けてるなら全く無いのと区別付かなくね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています