ハイスペック女子のため息 season2
なぜリベラルに熱狂できない
山口真由
夫婦別姓――私はそこに昭和の匂いを嗅ぐ。
2021年の衆議院選挙では、新型コロナ対策、経済政策や子育て支援と並んで多様性も論点となった。
そこで各党が第一に掲げるのは「夫婦別姓」。続いて「性的マイノリティ」への差別解消である。
もちろん、夫婦別姓という論点が悪いのではない。むしろ、1980年代から続く論争を現代まで積み残していることが問題なのだ。
とはいえ、私を含めて夫婦別姓という主張に熱狂する30代は少ない。大学の教室で夫婦別姓を語っても、白けたムードが漂うだけだ。
大学生の中のよくできる子たちはレポートに「私はシスでヘテロですが」と書いてくる。
“シス”というのは、例えば、身体的に女性で生まれて、それを変更することなく、いま社会的にも女性と認知されている者を指す。
“ヘテロ”というのは、例えば、女性が異性である男性を恋愛対象としていることだ。
そんなん、あえていうことじゃないじゃんと思われるかもしれないが、“マジョリティ”に対する“マイノリティ”だけを、
“ゲイ”だの“トランスジェンダー”だのと区別するのは、多様性の時代にふさわしくない、“マジョリティ”も“マイノリティ”もない、
私もまさしく多様の中の一様であるという考えを表明するために、この大学生は自分を「シスでヘテロ」とあえて自らの性自認・性指向をカミングアウトしているのだ。
なにをいいたいのかというと、そういう子たちに、LGBTという性的“マイノリティ”に対する差別解消法といっても、まして「夫婦別姓」といったところで、
それ自体が重要であることは変わりないが、自分たちの理解のその先を、来るべき未来を見せてもらってるという感じがしないのだ。
彼らがアップデートされる速度と、政治がバージョンアップする速さとの間のギャップが半端ない。
で、まぁ、正直、旧(ふる)いから、んでもってちょっとダサいから、大学生の多くは政治には熱狂しないのだと、私は理解している。
いかそ
https://www.gentosha.jp/article/19830/