農業の視点
 畿内説・九州説・出雲説・・・色々な説がありますが、いずれの説も、これまでは農業の視点が欠落していました。現代のように、日本全国どこでも水田稲作が出来て当たり前と、論者達は、思い込んでいるようです。弥生時代末期の日本列島は、湿地帯・淡水湖・密林地帯がほとんどで、水田稲作が出来る場所は限られていた事を、まずは認識しなければなりません。

 そして、その時代に超大国が出現するには、それに見合うだけの農業生産の必要がある事を、大前提にすべきでしょう。



 畿内説 → 淡水湖や湿地帯だらけで農耕地が少ない。

 九州説 → 筑紫平野は密林地帯で、三日月湖跡しか農耕できない。

 出雲説 → そもそも平地が少ない。



という風に農業生産の視点から見ると、弥生時代末期に超大国になる要素はありません。



 そこで私は、魏志倭人伝から場所を特定するのではなく、弥生時代末期に大国となるための条件を考察しました。 

 大国出現には必然性があります。食料(農業生産)と、働く場所(農耕地)がなければ超大国は生まれません。そんな当たり前なことを調査して行くと、ある場所が弥生時代末期の有力な超大国だった事が分かりました。

 その大国は、偶然にも魏志倭人伝の場所と一致していました。



必然: 農業生産量が大きくなると、大国が出現する。

偶然: その大国は、魏志倭人伝の記述と一致している。



 場所は、近畿でも九州でも出雲でもない、意外な所でした。

弥生時代末期に超大国だったのは、高志(こし)です。高志という呼び方は、飛鳥時代以前の北陸地方の事です。飛鳥時代に、高志を三区分するにあたり、

 高志 → 越 へと変更されました。変更後は、越前・越中・越後となり、奈良時代に越前から能登・加賀が分離されました。

 超大国だった場所は、越前(福井県・石川県)、越中(富山県)、越後(新潟県)の内、越前を中心とする一帯です。
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