真珠湾奇襲作戦の成功し、山本は“時代の英雄”となった。日本海軍は真珠湾に続くマレー沖海戦でシンガポール近海から、続くインド洋作戦でインド洋から、イギリス海軍を駆逐した。
さらに珊瑚海海戦では米空母2隻を葬り(実際は1隻だったが、そのように報じられた)、その名声はますます高まった。

連合艦隊司令長官としての山本五十六は、国民的人気を獲得した絶頂期を迎えた。名将・山本論はだいたいこの辺までの“大戦果”をもとに形成されていった。

 しかし、つづくミッドウェー海戦(1942年6月5日)の大敗は、国民にはもちろんのこと首相兼陸軍大臣の東条英機に対してさえも知らされなかった。
真珠湾ほどの大勝ではないにしても、なんだか勝ったような大本営発表があり、完敗したなどとは誰も想像しなかった。

 海軍はミッドウェー海戦の敗北をひたすら秘匿隠蔽し、もちろん、勝利を目指して共に戦っている陸軍にも一切実情を知らせなかったのである。

 太平洋戦争に負けた後も、山本英雄視は揺るがなかったが、冷静な戦史家の間では、山本は果たして言われるほどの名将だったのか、という論評が加えられることがしばしば起こった。
そういう中で、海軍兵学校出身で敗戦時は少尉に過ぎなかった作家・生出寿氏が著わした『凡将・山本五十六』(1983年、現代史出版会)は、関係者の間で驚きの声を以て迎えられたのである。

山本五十六ははたして名将だったのか?  第6回
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/3346/

危惧された真珠湾攻撃を成功させ
時代の英雄となった山本五十六
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/3327/