下町ボブスレー、北京へ助走…2度「落選」の雪辱誓う23社

1〜2号機は日本代表が試用したが、14年ソチ大会までに選手からの多数の要望に応えられないため、採用が見送られた。
18年平昌大会では、映画「クール・ランニング」のモデルとなったジャマイカ代表が採用を決めたが、大会直前、他国製の方が優れているとして契約を破棄した。
2回の不採用とコロナ禍による業績悪化で撤退する工場が相次ぎ、今、製作に携わっているのは、区内を中心に23社にとどまる。協賛金を出す企業も半減し、10社になった。

規模は縮小したが、これまで十数台のそり作りで、ボブスレー競技の知識が増え、技術も磨かれた。
日本代表を指導していたドイツ人技術者のペーター・ヒンツ氏(54)と共同でそりを開発し、昨年からイタリア代表に提供している。

現在、氷に接する刃の厚さや、細かな部品の形状などの要求を受け、改良を続けている。
イタリア代表とやり取りするヒンツ氏は「一つ一つの部品の質が高く、良いそりが仕上がりつつある」と自信を見せる。
来月、欧州で始まるワールドカップで、オーストリア製のそりと併用される予定で、結果が良ければ、採用の可能性が高まる。

https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2022/20211029-OYT1T50413/

情熱は訴訟ではなくソリ開発に注ぐ…下町ボブスレー再始動
https://newswitch.jp/p/14224