火災発生の日立物流の医薬品倉庫、3日経っても火が消えない [377482965]
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メチャクチャでかいなこれ
こんなかでサバゲーとかゾンビごっこしたら楽しそう ここまで消えないのどうしてなんだろ
やっぱり薬品は引火性高いのが多いからかな 物流倉庫ってくそでかい箱に可燃物がいっぱい詰まってるようなもんだからなあ
火事を起こしちゃ絶対にいけない代物のひとつなのに防火体制が適当すぎる 昔アスクルの倉庫が火事になった時も2週間位鎮火しなかったよね 埼玉のアスクルといい、宮城のプロロジスといい
物流倉庫の火災が最近多くね? >>18
"奴ら"が暗躍してるよな
俺だけは気付いてるのに誰も信じてくれない 借り物の倉庫だから大家にも責任及ぶだろな。シンガポール資本か。 薬品はともかくパッケーシの紙箱段ボールだけでも可燃物だらけだもん つか危険なガスが発生しないのか?
あとジェネリック薬が不足してたけどさらにひっ迫するのか? 1964年7月14日21時55分頃、東京都品川区勝島1-4-18の寶組勝島倉庫で、敷地内に野積みされていたドラム缶入りニトロセルロースが発火、爆発。隣接する103号倉庫のニトロセルロースや105号倉庫のシンナー・ラッカーが次々に爆発・炎上。複数の消防署・出張所の望楼勤務員から「火災発見」の第一報を受けた東京消防庁は、「火災同時第二出場」を指令、その後すぐに「火災第三出場」も指令した。そして22時50分頃には現場に到着した消防隊の「応援要請」の連絡を受け最高ランクの出場態勢である「火災第四出場」をも、初めて指令。これによりポンプ車など138台をはじめ、当時所有していた化学消防車22台全て、それと海側からは消防艇7隻など東京消防庁始まって以来の大規模な消防態勢を投入して消火活動に当たった。
最初の出火から約1時間後の23時頃、12号倉庫に無許可で保管されていたプラスチック硬化剤メチルエチルケトンパーオキサイド(商品名パーメックN)が爆発。隣接する10号倉庫が崩壊し、外壁の下敷きになった品川消防署3名、大井・大森・蒲田・高輪の各消防署員、および消防団員1名の計19名のポンプ隊員が殉職した。道路を挟んだ現場指揮本部も吹き飛び、指揮を執っていた蒲田消防署長の外、指揮隊など100名以上の消防隊員が重軽傷を負った。同倉庫は20棟のうち10棟、7,500平方メートルが全焼し、約3時間半後の翌7月15日1時38分に鎮火した。現場は首都高速羽田線と建設中の東京モノレールに挟まれた一角で、首都高速道路は一時通行止めになった。
事故の背景 編集
保管されていたニトロセルロースは大日本セルロイド製で、1964年東京オリンピックを控えた当時は、塗料の原料としての需要が高まっていた。発生4日前の7月10日に大井消防署が査察に入った際に、危険物貯蔵許可を受けていた103号倉庫と105号倉庫以外の屋外にニトロセルロース(200キログラム入りドラム缶100本)を野積みしていたことから、警告を受けていた。
だが査察後も撤去しないばかりか保管量を増やし、火災当時は1,000本を超えるドラム缶が置かれていた[注 1]。発生数日前にサンプル作成のためにドラム缶の内容物の一部を取り出した際に再密封が不完全で、湿潤させていたアルコールが気化しニトロセルロースが乾燥したことが発火の原因と推定されている。また、12号倉庫には当初モーターオイルを貯蔵しているとされていたが、鎮火後に焼け跡からメチルエチルケトンパーオキサイドの容器の残骸が見つかり、無許可で貯蔵していたことが発覚した。この薬品は衝撃等でも爆発する感度の強いもので、事故後の東京都議会での参考人質疑の際に東京消防庁幹部は爆薬同様であると発言している。
事故発生から6日後の7月20日夕方、同倉庫の守衛長・O(68歳、帝国海軍元少佐)が川崎市の自宅で首に包丁を刺して自殺しているのが発見された。彼は1950年に守衛として入社し、その後守衛長に昇進していた。なお、Oは本件に関し、直接責任を負う立場ではなかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています