10年ほど前、まだ20代前半だった頃、僕はゲイとバイセクシュアル男性向けの風俗店(通称・売り専)で働いていた。
性暴力について語る上で必要な記述ではないので、働くようになった経緯などはここには書かないが、売り専で僕は“被挿入”が可能なキャスト(接客をする人)だった。
ある日、紳士的で優しい雰囲気のお客さんが僕を指名してくれた。
彼は挿入を希望していたので、そのつもりで接客をし、特に不快に感じることもないままプレイを進めていたのだが、途中で、彼がコンドームを外していたことに気がついた。
最初に彼が着けたのは見ていたが、僕が背中を向ける姿勢になった瞬間に外されていたようだった。

呆気に取られている僕を見て、彼はちょっと慌てた様子で「大丈夫だから」と言いながら、プレイを中断した。
そのため、中に出されずに済んだのだが、こちらが同意していない性行為を強いられたことに変わりはない。
釈然としない思いを抱えながらも僕は笑顔を作り、世間話をし、シャワー室で体を流してから見送った。
その間も頭の中では色々な感情が飛び交っていたのだが、それらのどれから対処したらいいのかわからず、ただ淡々とルーティーンをこなすことしかできなかった

猛烈な怒りと後悔の念が押し寄せてきたのは、彼を見送ってしばらくしてからのこと。
コンドームを外すことは店のルールに反するが、そもそも性感染症を防ぐためのコンドームを外すというのは、それ以前の問題だ。
そんな腹立たしいことをされたのに、なぜすぐ怒れなかったのか、という後悔が胸の中で大きくなっていった。

やがてその後悔は、少しずつ自責の念に形を変えていくことになる。
その場ではっきり言うか、そもそも異変にすぐ気づいて止めさせるべきだったのに、結局何もしないで笑顔で見送るなんて! と。
もちろん、それらは後になってから思い至れることなのだが、そうやって自分を責める度、自分自身がすごく傷ついていることを思い知らされるのもみじめで嫌だった。

それから日が経つにつれ、今度は自らに諦めをうながすような心境になっていった。
僕は妊娠の心配もないし、性感染症さえうつされていなければ何も気にすることなんてないじゃん、と。
でも、僕にとってステルシングは、たとえ妊娠の可能性がなく、性感染症にもかかっていなかったとしても、ただそれだけで激しく尊厳が傷つけられる行為だったのである。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/89615