だが、ネットフリックス版『カウボーイビバップ』がいかに原作独自のスタイルを理解していたにしても、原作の本質を捉えるには至っていない。過去に失敗した、多くの日本アニメのハリウッド実写版と同じ間違いを犯したのだ。

原作シリーズにおいて渡辺は、大多数のエピソードを一話完結とし、全体を貫く背景は軽く匂わせる程度にとどめ、視聴者の想像を刺激する物語を作り出していた。対してネットフリックス版の製作総指揮であるアンドレ・ネメックは、より古典的なハリウッド流アプローチを採った。

すなわち、宿敵ビシャス(演:アレックス・ハッセル)とスパイクの戦いを、ワンシーズンを通じたプロットに据えたのである。ジェット、フェイ、さらに拾われコーギー犬のアインにまで、手の込んだ個別のストーリーが与えられた。こうした脚色には、原作『カウボーイビバップ』に対する脚本家の愛が現れているが、なんだか同人誌っぽく感じられるところもある。

こうしたわけで、実写版『カウボーイビバップ』は、皮肉にも主人公たちを悪者と戦う漫画のヒーローに矮小化してしまった。

渡辺が生み出した原作キャラクターたちの多くは、彼の愛するアメリカ映画に登場するアクションスターやファム・ファタールへのオマージュだが、同時に彼らは、目的を持たず倫理的にもグレーな放浪者たちだった。

スパイク、ジェット、フェイは、「普通の大人の人生」から逃げ出しながら、孤独で、どちらかといえば代わり映えのしない日常を生きるアンチヒーローだったのだ。

原作を観たことのない人であれば、このリメイク版もそれ単体として満足いく出来に思われるかもしれない。数ある日本アニメのハリウッド実写版のなかで、本作は原作の精神をかなりいい線まで捉えている。

が、そうした達成も結局のところ、ハリウッドが日本のアニメについて今も掴み損ねているものを露呈するだけだ。どんなアニメも、美学だけで形作られるものではない(その点に限って言えば、ネットフリックスはうまく原作を模倣できている)。

そうではなく、並外れて趣のある形式を伴う、情緒的で、ときに思索的なストーリーテリングが、作品を忘れ難いものにするのだ。

ネットフリックス版『カウボーイビバップ』は一見非凡に見えて、実のところありふれたものに感じられてしまう。原作のメロディーを再演してはみたものの、そのリズムを掴むことができなかったのだ。

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