人に物をあげるという精神症状 | kyupinの日記 気が向けば更新
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このタイトルは漠然としているが、たいして自分にとって見返りもなく、そうする必要もないのに他人に物をあげてしまう人のことを言っている。

かつて僕が学生の頃、トイレに行きオッサンと並んでいた時、突然、「家に来て酒を飲もう」と言われた。そのオッサンは完全に酔っぱらっており、性的好奇心ではなく、おそらく誰彼となくそう言っているのであろう。僕は「このオッサンの奥さんは大変だわ」と思った。酔っ払いにあんなことを言われて、もし真に受けて付いていくような人がいたとしたら、その人も変わっている。

このエピソードもタイトルの精神症状と同じようなものだと思う。

病歴を聴取する時、ある時期にさまざまな人に物や金銭をあげたために、その後、家族が困窮したエピソードを聴くことがある。

その精神所見は時に躁状態と連動しているように見える。これはちょっと形が変わった「浪費」とたいした差がないのである。しかし自分が欲しいものを買いまくるわけではなく、他人に与え続けると言う点が異なっているものの、安易に金品を人にやる行為は誇大的な精神症状から理解できる。

しかし躁状態とはみなせないケースもあると思う。この精神症状は、上のトイレのエピソードと同様、精神症状として境界というか曖昧な面も孕んでいるからである。

ある一定の期間、個人的な収入や資産と釣り合いが取れない金銭的コストをかけて特定の人たちを世話することもそうである。これは慈善事業にも見えるし、社会的に価値が高いこともある。

精神科治療が必要な精神症状は、しばしばその人が望ましいという行動の範囲を逸脱していることが多い。つまりバランスを欠いているのである。

この行為はいかなる精神的背景があるのか不明だが、一部は承認欲求から来る部分もあるであろう。簡単に言えば、他の人に良い人に思われたいからである。

その視点では、平均的なネコおばさんたちは毎日ネコにエサをやっているが、この精神症状とは異なるように見える。その理由は社会的に歓迎されていないからである。(実際、ネコにエサをやらないでくださいと看板がかつてはあった)。

少なくとも、人に物をあげる精神症状は、ちょっと精神症状として取り上げられにくい、ニッチな精神症状だと思う。

もしその精神症状がムード(つまり双極性障害的なもの)に連動しており、ある時期、真反対な状態になる(いわゆる貧困妄想)なら、双極性障害に連動した精神症状とみなせると思う。