遺言状の内容
 この遺言状には長政のみならず、父・官兵衛の驚倒すべき仮定の軍事行動が記されている。

 それは慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、官兵衛と清正が西軍に寝返ったことを想定しての話である。

やや長文であるが、以下に現代語訳して挙げることにしよう。

 官兵衛が大坂方と通じれば、清正は喜んで味方になるはずだ。

 そのほかの九州大名である島津・鍋島・立花らが大坂方なので、九州の大名が結束して官兵衛と清正が西上すれば、中国地方の軍勢も加わって10万騎になる。

 これだけの大軍が家康1人と戦うことは、卵の中に大きな石を投げ入れるようなものだ(相手はすぐに潰れてしまう)。

 もし、家康が三河・遠江へ進軍し、思いがけず我々と一戦を交えても、出陣した西軍の大名は心変わりしないので、関ヶ原合戦のように家康に情けない敗北はしないであろう。

 仮にやり損なったとしても、我々は近江あたりへ引き返して諸所の城を堅固にし、島津を大坂城に籠め、長政と宇喜多が伏見を支えて家康を待てば、関東の勢力は瀬田よりも西へ進軍できないはずである。(中略)

 また、九州から官兵衛と清正が後詰すれば、日本はさておき、たとえ異国の孔明・大公・項羽・韓信が来たとしても、我らの陣に勝利を得ることはできないであろう。

 最近の日本における織田信長・武田信玄・上杉謙信らを家康に加えたとしても、ことごとく彼らが無事に引き返すことできれば十分ではないか。

 そうなれば家康の浮沈は、危ういことになったはずだ。

 官兵衛が清正と手を組んで、西軍に与した場合のシミュレーションを行っている。

 こちらのシミュレーションも、随分と都合が良すぎるし、楽観的であるといわざるを得ない。

 いずれにしても、結果は官兵衛の勝利である。たしかに、こういう展開になってしまうと、官兵衛が勝利を得るのは、自明のこととなろう。

 また、中国や日本の著名な武将と戦っても、絶対に敗北することがないという強い確信が主張されている。

 ここでは、織田信長・武田信玄・上杉謙信といった名将も、まったく相手にならないような書き振りである。

 かなりオーバーな表現であるが、官兵衛は相当な戦上手と述べたかったのである。https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20211208-00271309