1948年8月1日の炎天下、都市対抗は第19回大会を迎えた。東京・後楽園球場には最寄り駅からファンの行列が続き、開会式が始まるころには観客の夏服でスタンドが白一色に染まった。開幕戦のプレーボールが近づくと、軍服に身を包んだ1人の米国人がグラウンドに現れる。「まずマッカーサー元帥の祝辞をお伝えする」と話し始め、高らかに宣言した。

第19回都市対抗野球大会の開会式で始球式に臨んだマーカット少将の写真(中央上)を載せた毎日新聞1948年8月2日付朝刊。記事では、少将のスピーチが「我が野球界に大きな感激を巻き起こした」としている
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第19回都市対抗野球大会の開会式で始球式に臨んだマーカット少将の写真(中央上)を載せた毎日新聞1948年8月2日付朝刊。記事では、少将のスピーチが「我が野球界に大きな感激を巻き起こした」としている
 「米国野球協会は将来、国際大会に日本を参加させることにした。この大会の優勝チームを日本のアマチュア野球代表として正式に承認する」

 思いもよらないスピーチで球場に拍手と歓声をわかせたこの人物は、ウィリアム・マーカット少将。財閥解体などを進めていた連合国軍総司令部(GHQ)の経済科学局長だ。一方で、米国野球協会日本支部長を務める「大の野球好き」という顔も持つ。スピーチ後の始球式では、50代半ばながら大きく振りかぶる躍動的な投球フォームを披露した。

https://mainichi.jp/articles/20211201/k00/00m/050/184000c.amp