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「嫌われた監督」著者が見る 「落合・新庄」2監督の意外な共通点

「嫌われた監督」は12万部を超え、予想をはるかに超える売れ行きと聞きます。
「私自身、世の中に潜在的にあった落合さんへの関心の高さに驚いています。編集サイドからは、野球ファン以外にも、ビジネスや組織論への関心から手に取ってくださる人も多いと聞いています」
落合さんからの感想は?
「単行本の元になった週刊誌での連載が終わった段階で、『書かせていただきました』とご報告しました。ただ何か、そのことについて感想などおっしゃることはありませんでした。『おお、そうか』とだけ。『おお、そうか』の意味は自分で考えるしかない。そういう呼吸は監督と番記者だった時から変わっていないのかもしれません」
記事後半では、落合元監督と新庄新監督の「因縁」や、プロ野球監督のあり方についても語ります
中日ファンやプロ野球好きには格別に面白いのですが、だからこそ逆に、登場する選手の固有名詞やエピソードをあまり知らない人に、どう受けているのか、とても不思議なのですが。
「私も正直、そこは不思議ではあります。ただ、こういう風に考えています。2004年から在任8年で、リーグ優勝4回、日本一にもなった落合さんは名将と言えますが、誤解を恐れず、孤立もいとわず、ぶれることなく方針を実行した人で、誰にも同意や共感を求めようとはしませんでした。マスコミに丁寧に説明しようともしなかった。だから多くの人間には理解が及ばないし、理解する手立てがない。規定できない人です。正体がわからないから知りたい、という興味、ハードボイルド小説の主人公への関心というようなものは、手に取っていただいた方々にあるのかもしれません」
名将なのに「嫌われた監督」にならざるを得なかった落合さんに比べ、シーズンが始まってもいないのにファンから愛される新庄さんは、対照的な存在なのでしょうか。
「自分だけのルール」による旧弊の打破
「人物像としては対照的に映りますし、実績を残した落合さんと、まだ監督として1試合も戦っていない新庄さんを同じ俎上(そじょう)で考えたことがありませんでした。ただ、最近面白いのは、取材や打ち合わせで出会う人が少なからず、落合さんと新庄さんは似ている面があるのでは、と言うことです。そう言われてみると、私にもわずかながら心当たりがありました。ひょっとしたら、多くの人の目には、2人が旧弊を打破する変革者、枠を壊すリーダーとして、同じような存在に見えているのではないかという気がしたのです」
新庄さんが「変革者」というのはどのあたりでしょうか。
「自分だけのルールがあるように見えるのです。自らを『ビッグボス』と呼ばせ、他と一線を画したファッション、パフォーマンスをするのを見ていると、日本球界における監督像を変えたいという意志を感じます」
落合さん時代の「旧弊打破」というと、鉄拳制裁の排除でしょうか。
「そうですね。落合さんは就任後まず、鉄拳制裁を排除すると宣言しました。コーチが選手に暴力を振るったら辞めさせると誓約書で約束させたのです。それまで長く続いていて、誰も変えられなかった、あるいは変えようと思わなかった慣習を打破しようとしたのです」
「マスコミとの距離の置き方も、慣習を壊しました。中日では親会社のマスコミを中心に、選手の引退後の有力な就職先にもなっており、選手やコーチとマスコミは、切っても切れない関係があります。例えば、当時は予告先発制度がなかったので、先発投手が誰かは重要な情報でした。予想が難しい日にも、親会社系のスポーツ紙には正しい先発情報が載っている。他社の私たちは、それもある種当然のことと受け入れていました。そういう意味では、マスコミ全体が『緩やかな共同体』の中で仕事をしていた、と言えます。落合監督は親会社も含めいっさいこれを拒み、批判されながらも情報管理を徹底しました。勝つために必要と考えたから、孤立しても貫いたのでしょう」
厳しい情報管理は、勝つためには必要なことだったのでしょうか。
「それは考え方によると思います。星野仙一監督は『番記者も戦力だ』という考えで、マスコミを含めみんなで戦っている空気をうまくつくっていました。例えばホテルの喫茶店で毎日、お茶会があり、大勢の記者が星野さんを囲む。席順も決まっていて、当時下っ端だった私は、星野さんと話せるまで何年かかるのか、と思っていました。実際、当時も強かったわけですから、どちらが良い悪いの問題ではなく、強さの種類の違いではないでしょうか」