約2300人のファンの熱気で、会場は沸いていた。2009年6月13日、広島県立総合体育館。「プロレスリング・ノア」の人気プロレスラーだった三沢光晴さん(当時46歳)と、斎藤彰俊さんが、リング上で渾身の技をぶつけ合った。

試合開始から30分。斎藤さんが「バックドロップ」を放った。どんな技を受けても不死身のように起き上がり、「受け身の天才」と呼ばれた三沢さんが、倒れたまま動かない。

 会場は騒然となり、心臓マッサージが始まる。「三沢さんなら必ず起き上がる」。斎藤さんは祈り続けた。だが、三沢さんが目を覚ますことは、二度となかった。(中部支社 沢村宜樹)

リングで倒れた三沢光晴さん(当時46歳)が運ばれたのは、広島市内の大学病院だった。2009年6月13日の夜。対戦相手のプロレスラー、斎藤彰俊さんも病院に駆けつけた。

 背後から相手の腰を両腕で抱え、後ろへ反り投げる「バックドロップ」。その技を、斎藤さんが三沢さんにかけた。それからわずか1時間余り。三沢さんが亡くなった。午後10時10分。死因は頸髄(けいずい)離断という。病室で三沢さんと対面し、立ち尽くした。

 夜が明け、朝になった。その日も、福岡県で試合が予定されていた。対戦カードは、多くの関係者が苦労して練り上げている。プロとして、「休む」という選択肢はない。

 死んでおわびをするか、引退してリングから去るか、試合に出るか。この三択しかないと、斎藤さんは考えた。

 所属するプロレス団体「プロレスリング・ノア」の指示もあり、病室を出て、宿泊先のホテルに向かった。途中、大きな川にさしかかり、橋のたもとから河原に下りた。

 ここで自分の一生を決めなければ。川のせせらぎを見つめながら、思い定めた。

 憧れ、尊敬していた三沢さんに全身でぶつかった。自ら命を絶ったり、引退したりするのは逃げになる。「自分が消えれば、ファンの怒りや哀(かな)しみの行き場がなくなる。リングに上がって、皆さんの見える所で、全てを受け止めよう」

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