日米開戦の日、「悲惨な敗北」予期していた近衛文麿 終戦工作重ねた末の「A級戦犯」
https://globe.asahi.com/article/14496531

11月下旬、近衛研究も手がけた防衛省防衛研究所の庄司潤一郎研究幹事とともに、JR荻窪駅近くにある荻外荘を訪れた。

近衛は1937年から45年までの間をここで過ごした。日独伊三国同盟締結につながる荻窪会談(1940年7月)や、対米開戦の回避を模索した東条英機陸相らとの荻外荘会談(41年10月)など、日米開戦につながるさまざまな節目の舞台だ。
山本五十六連合艦隊司令長官が40年9月、対米戦の見通しについて「それは是非やれと云はれれば、初め半歳か1年の間は随分暴れて御覧に入れる。然しながら、2年3年となれば、全く確信は持てぬ」と近衛に語った場所でもある。

所有者の杉並区は戦後、豊島区に移築された客間と玄関部分を再び戻す準備を進めている。3年後には全面公開される見通しだ。私たちが訪れたのは居住棟と別棟の部分。当時は池だった南側に面した位置に、「とのさまのへや」と呼ばれた書斎があった。
近衛は1945年12月16日早朝、青酸カリを飲んで自殺した。GHQ(連合国最高司令官総司令部)がA級戦犯として逮捕指令を出した出頭期限の日だった。

近衛は遺書のなかで米国について多くを割いた。そのうえで、「所謂戦争犯罪人として、米国の法廷に於て、裁判を受けることは堪え難い」と明かした。