数と独立──棲み分ける批評III
https://news.yahoo.co.jp/articles/fcff9dac574b6e34cc20b0964d20d76657dcffa5?page=4
いまは大学人も活動家も出版人もテレビ人も、等しくSNSの強い影響下にある。それゆえ、正義のために世の中を動かすにしろ、金儲けのために商品を売るにしろ、結局は炎上を適度に避けてバズることが最適解になり、行動原理があまり変わらなくなってしまっている。
この点において、いまやアカデミズムとジャーナリズムの対立は本質的なものではない。
また、ここでは詳述は避けるが、同じようにリベラルと保守の対立も本質でなくなっている。
反政権の左翼だろうが政権支持のネトウヨだろうが、マイノリティの活動家だろうが差別主義者だろうが、高潔な弁護士だろうが卑劣なYouTuberだろうが、みな同じようにSNS上でアテンションをとりあうことになるのがいまの言論界であり、それゆえすべてが「どっちもどっち」に見えるようになってしまっているのだ。
それはおそろしく不毛な環境である。
なぜならば、だれもひとのいうことをまじめに聞いていないし、またそのことをすべてのひとが知っているからである。
論壇はもはやRTや「いいね」を集めるゲームの舞台でしかない。