1984年12月17日、当時の芸能界で大活躍していた英語教師・通訳のパトリック・ノパクン氏から突然、
「今夜、FNS歌謡祭でジャッキー・チェンの通訳をするからFM放送の打ち合わせも兼ねて楽屋まで来てくれ」
とカメラマンである筆者に電話が入った。この年は「夜のヒットスタジオ」で外タレとパトリック氏の撮影をしていたことから特に不思議にも思わず、筆者は日本武道館へと足を運ぶことにした。
通常ジャッキーには専任の広東語通訳がいるのだが、英語も堪能かつ急なご出演ということもあり、パトリック氏が急遽通訳を指名されたと聞いた。
■ジャッキー・チェンが合掌した瞬間……!
日本武道館の楽屋に着くと、そこは中二階の決して広くない会議室のような部屋で窓は無く、もともと霊感の強かった筆者は得も言われぬ気味の悪さを感じていた。
やがて、特別賞の受賞曲『I LOVE YOU, YOU, YOU』の歌唱リハーサルを終えたジャッキーが、パトリック氏の楽屋にやって来た。パトリック氏が当時パーソナリティーを務めていたFM番組で2人の雑談内容を話したいとのことで、筆者は記録のための録音を頼まれた。
ちょうど1カ月前に購入したばかりのミニカセットデッキに新しい電池を入れて持参していたため、早速録音を始めようとした筆者。ところが、どういうわけかそれが全く作動してくれない。
一瞬慌てたが、幸いにも英語のヒアリングはできるので、筆者はすぐに気持ちを切り替えて英語で交わされる2人の会話を手帳にメモすることにした。ジャッキーもカセットデッキの故障を察したのか、ゆっくり喋って下さった。だが、一方のパトリック氏が、ふと英語で呟いた。
「ここに来るときに戦没者墓苑(※)に手をあわせて来なかったからだろ」
※ 千鳥ヶ淵戦没者墓苑。日本武道館の近くにある。日中戦争、太平洋戦争の戦没者30万人を超える身元不明のご遺骨が安置されいる場所。
すると次の途端、笑顔だったジャッキーの顔がみるみる青ざめ、目を閉じて合掌しているではないか。ただならぬ雰囲気に、筆者も考えるより先に両手のひらを合わせてしまった。沈黙が1分くらい続いただろうか、パトリック氏が筆者に向かって言う。
「もう一度カセットの電源、入れてみて」
言われた通りにすると、なんと録音スイッチが押せるではないか! この瞬間に筆者は、パトリック氏とジャッキーの凄まじい霊力を悟り、恐れ慄いたことを記憶している。その後は和気あいあいと話は進み、本番も無事に終了したのだった。
■下を向いた人差し指
本番終了後、筆者はパトリック氏と一緒にジャッキーの楽屋へ向かった。本番衣装のツーショットを撮影するためだったが、しかしこの時、またしても驚くべき事態が我々を襲う。
楽屋に入ったパトリック氏が、ジャッキーと握手した途端に首もとを右手で抑えたまま、しゃがみこんでしまったのだ。すると、ジャッキーは心配そうにパトリック氏の背中をさすりながら筆者に向かって「Something drink…(なにか飲み物を…)」と静かに言った。
しかしこの時、不思議なことにジャッキー・チェンの人差し指が、下を指していたのである。
頭が混乱していたが、今は考えるよりも先に動かなければ……! そう思い、ジャッキーに促されるがまま1階にある自動販売機へと走り、パトリック氏の好物であるドリンク「キララ」(当時、原田知世がCMに出演していた)を買ってくると、すぐに飲ませた。パトリック氏はみるみる落ち着きを取り戻し、
「魔物が来ていたのをジャッキーに護ってもらえた。しかし、僕の好きなドリンクが下の階の自販機にあることまでお見通しだったジャッキーは凄いね」
https://news.biglobe.ne.jp/trend/1209/toc_211209_8919541942.html
と不思議そうに話されていた。エンタテインメントの分野で長年にわたり活躍していたこの2人が、その霊力によってつながっており、かつ2人の霊力が作用しなければありえない出来事ばかりが続く、摩訶不思議な年の瀬の一日であった。