中村玉緒さん「飛行機の荷物検査で検査官に『大麻はありまへんで』と言って驚かすのが好きやったが若者に通じなくなったのでやめました」 [612875364]
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7月に82歳になりました。おかげさまで元気に過ごしております。
今でも、昔から大好きなスロットをして、お仕事もやらせていただいて、無理なく気ままに暮らせています。
そんな私を家族やスタッフが気に掛けてくれるので、不安も不便も何もないんです。本当にありがたいことですね。
先日、写真誌に「中村玉緒、パチンコ通い」なんて報じられていましたけど、私としては「それが何か?」という感じ。今日もこれからスロットをしに行くんです。ぐふふふふ。
時間が空いたから行くのと違います。最初からスケジュールに組み込んでるんです。夕方に1時間ほどスロットをして帰ると心がすっきりして、よぉ寝られますから。
私にとってスロットは精神安定剤みたいなものなんですよ。
麻雀も昔から好きで。指先を使うとボケ防止になると言いますしね。私はスロットのレバーは右手で操作する、麻雀牌は左手で取る……つまり全身運動になっているわけで(笑)。これが健康の秘訣だと思っています。
幸いなことに内臓はなんともないんですけど、脚がねぇ。ある時、右脚が痛くて歩けなくなりまして、人工股関節全置換術を受けました。
手術して3年になりますが、今年中にまた検査しに行くんです。だってひとりで出歩けなくなったら困るんですよねぇ。私は家にじっとしていることができまへんねん。
誰だって家にじーっとしてたら、ええこと考えないのと違いますか? 「この先、どうなるのだろう」とハラハラしたり、「あの時、こうすればよかった」と後悔してはため息をついたり。
けど落ち込んだところで何も解決しません。未来のことは誰にもわからない。過去は変えられない。だからクヨクヨ考えない。それが一番なんですよ。
コロナによる自粛中は嫌でも家に引きこもっていたでしょう?
モヤモヤする時は友達と電話で話すこともありました。同世代のお友達では五月みどりさん、水谷八重子さんとか……。
みなさん刺としておられますので、ちょっと声を聞くだけで刺激をいただいて、私もまだまだイケると思えてくる。持つべきものは友達だなとつくづく思うのです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc4a7a75d21980adc4dadbb796be4ba22b1f30cb
今は新しいことにチャレンジするのが楽しくて。今年の2月頃に、まずインスタグラムを始めまして、続いて3月にYouTubeも開設しました。
私がどういう人間で普段どうやって過ごしているのか、若い人にも知ってもらうのが大切だと、事務所のスタッフをはじめ、周囲の人たちに勧められたのがきっかけです。
YouTubeはお金になると聞いて、俄然、やる気になったんですけど、そんなに稼げるものではありませんね。(笑)
それでも続けているのは、みなさまに喜んでいただきたいから。
それで『徹子の部屋』に出演させていただいた時の楽屋での様子や、ソフトバンク戦を観に行った時の様子をアップしました。視聴者の方からのコメントも、スタッフに読んでもらっているんですよ。
YouTubeのチャンネル名は私の座右の銘、「今日のことは今日で忘れる」とつけました。毎日、いろいろなことがありますけど、いいことも悪いことも明日に持ち越さないと決めてますねん。
いいことは驕りにつながるし、悪いことを引きずれば心が晴れませんから。すっきりと生きるためには、自分のことは自分で決めることが大事です。
そのうえで問題が生じても人のせいにしないこと。私、言い訳だけはしたくないんです。
それに、人の悪口は言いたくないし、聞きたくもないんです。誰かの悪口を言ってくる人に対しては、「そうですか」と応対はしますが、心の中では「この人とは距離を置こうかな」と思ってます。そして実際に静々と離れます。
人の批判をしている暇があったら、人を楽しませたいんですわ。たとえばですか?
飛行機に乗る時の荷物検査で「最初に言っておきますけど、大麻は入っておりまへんで」とか言ってみたり。検査官の方が「えっ!」という顔をなさる。
このブラックジョークはいつも大ウケで、昔やったらワーッと笑いが起こるところなんですけど、近頃の若い検査官の方は主人(故・勝新太郎さん)の起こした「あの事件」をご存じないんですね。
不思議そうなお顔をされるばかりで、ちっともウケまへんので、もうネタにするのをやめました。(笑)
以下ソース 旦那どころか娘息子も捕まってる薬物一家をギャグにする肝の太さよ >みなさん刺としておられますので
これなんて読むん >>4
シッとして(≒シャンとして)と言ったのが若い記者には通じなかったんかな 若者にとって中村玉緒はさとう珠緒くらいしか知名度無さそう パチンコ狂だったと思ったがスロットに鞍替えしてたのか
たぶん一撃万枚overとかで味をしめたんだろう ある時、主人が開いたホームパーティーの席で、主人のマネージャーから「勝さんのこと好きですか?」と訊かれて、「好きか嫌いかといえば好きです」と答えたんです。
そうしたところ、またもやマネージャーを通して「勝さんが結婚を前提にお付き合いしたいと言っています」と。とってもシャイで繊細な人でした。
私の父(二代目中村鴈治郎さん)に「娘さんをください」と挨拶する時、緊張から10円禿ができてしまったほど。23歳で結婚してからも、喧嘩をすると自分で謝ることができなくて、でも仲直りしたいとイジイジ。
主人の親友だった石原裕次郎さんから電話がかかってくることもありました。「玉緒ちゃん、許してあげてよ」って。裕次郎さんに言われたらねぇ。
主人はズルいんですけど、憎めない人でね。ある時、夫婦茶碗の私のほうが割れてしまったことがあって。
私は何でもいいやと適当なお茶碗を使っていたんですけど、主人は「玉緒、夫婦茶碗は片方が欠けたら両方とも買い直さないといけないよ」って。
ロマンチストなんです。私はあれほどまでに純粋な人をほかに知りません。
ケンモメンか? この間スロ打ってるとこ出てたよな
今のパチンコ打たずにスロ打つって相当よな 昔の映画観たら、美人やし声も可愛い声やからな
今みたいなあんな低い声やないw さんまのテレビに良く出てたの
もう10年以上、前じゃないの バジ好きってことはフリーズ祝言ムービーから大爆発したんだろうな
旦那の思い出と重なったんだろうね >>21
どうやら中村は絵柄を狙う「目押し」が苦手で、店内にいる顔見知りの客に声をかけて“代打ち”してもらっていたのである。その後も知人男性の手を借りつつ大当たりを引き、その度に笑い声がホールに響いたのだった。
https://www.news-postseven.com/archives/20170911_611648.html/2
というかずっとバジシリーズ打ってるみたいだな >>35
笑い声がホールに響くってどんだけ静かな店だよw 勝新は好き勝手やって死んで
その膨大な借金返したと思ったら長男死ぬし長女は病気だし
スロットくらい好きにしてほしいわ キャラのせいでアホだと思われてるけど良いとこのお嬢様で賢いんだよな >>40
返したんじゃなくて棒引きしてもらったのでは 880 :ジャンキー:2010/06/28(月) 21:25:44 ID:P3NPWo7J0
在るってのは、私、自分っていう感覚は在るでしょう。
それは絶対的なものでしょう。
「我思う故に我あり」、または、「汝自身を知れ。」です。
全部自分の事です。全部というのは、文字通り、全部が自分です。
物事(時空)が自分と無関係で成立している事はあり得ない。
なのに、あたかも客観視できる宇宙論の氾濫。おかしいと思いませんか?
全部だから、全宇宙が自分。問題は、その全宇宙を感じているのは?自分でしょう。
だから客観的な用語を使うならば、内在宇宙が客観宇宙を創っている。
個別の人が存在すると信じている人向けに話すならば、共同作業で、物質として五感に刺激のある
時空を創造したから、客観宇宙が出来上がっている。共同作品という訳です。
創っているものが、自分であると認めるならば、創られた結果をいじっても、変化させることに
意味があるとは言えないと気づくわけですが、物質(創られた物)から自分が創られたのだ!という
逆転現象としての理解を信じている人(科学信仰)の人達の力では、この宇宙になんら変化を起こす事はできない。
分析して細分化して…、概念化して、物質とかけ離れた観念を形成して、そのバーチャル空間を現実だと
信じるくらいしかできないでしょう。バーチャル空間自体が人工的な空間ですから、限界が在る。
また、腹を割って話す事で済む事を、だらだらと物に置き換えたり、商売にしたり、レジャーにしたり、
書籍にしたり…。まわりくどい。そいつらが言いたい事は、買え!聞け!これいいよね!というような
繋がりです。繋がり自体を求めるならば、人と向かい合うだけで十分、別の内在宇宙の存在を確認できます。
バーチャル空間が新しい現実を創造することは在りません。過去を創造することはできます。
創造側から言わせてもらうならば、バーチャル空間は、直ぐに広がるから重宝します。と言うでしょう。 881 :ジャンキー:2010/06/28(月) 22:05:57 ID:P3NPWo7J0
現実とは、それを言った個人の印象であって人の数だけ現実があるよね。
事実とは、行動の主体が存在し、その主体の行動記録ですね。
裁判や事件の責任の所在、証拠は、常に主体の行動記録を淡々と確認するだけです。
事実に感情はありません。何時何分に何をどのように行った。で終わり。
主観とは何か?といば、主(あるじ)の観察、あるいは印象、感情等の個人の独断です。
じゃあ客観は?ある約束されたモノの見方を主観が想像し、その仮の主観から物事を観察する。
だから仮の視点からみた主観ですからこれまた独断です。
じゃあ主客合一はありえるか?ありえます。再現すればいいんです。やればいいんです。
そもそも観察記録をして何になるんですか?自分の認識に蓄積するか?他者に伝達する為でしょう。
ようは記録の手法のテクノロジーです。自分が出来るならば、それは主客合一状態で、そもそも説明が不用です。
独断の究極は普遍性をおびますが、そもそも説明に使う論理の世界では、二元論ですから、「観」というものが無い。
観というのは、識別方法があって、ある線引きをして区別する手法も在る。
しかし二元論で直感を識別できない。これが二元論の限界です。観自体が直感なのですが、論理の世界は傲慢ですね。
勝敗という区別で二人の人間がジャンケンをした場合、こっちが勝ち、こっちが負けという区別ができます。
喜びという区別で二人の人間がジャンケンをした場合、こっちが喜んだ、こっちが悲しんだという区別ができる。
無差別で見た場合、もっともシンプルな動作の事実は、二人の人間が関係性を保っている。
それを事実記録するならば、動作記録をすればよし。何時何分二人はこのような身体操作を行った等。
オカルト表現としてみえない領域をオーラとして表現するならば、結果的に二つのオーラがエネルギー交換した。
主客で戸惑う段階の人は、インプットを求めているのですから、アウトプットに専念すれば、
結果的に主客合一ですから、これこれは、こうですよ!、別のみかたでは、こうですよ。と
自分が出来る事だから、それをどうやっておこなったか行動記録(思考記録)を説明すればよいだけです。
なんてったって、自分がなんの問題もなくすんなりやってる事を淡々と説明すればいいのですから。 和田アキ子がパチ屋で馴れ馴れしく話しかけてきたウザいババアを適当にあしらっていたら玉緒だった件 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています