(つづき)

性暴力や性差別の話になるとバグる男性は多い。我々は男性の言う「ノットオールメン」にうんざりしているのだ。
たとえば、女性が痴漢被害の話をすると「男がみんな痴漢するわけじゃない」と返す男性はげっさ多い。
「そんな男と一緒にされたら迷惑だ」とムッとしたり「自分も責められてるようでつらい」と被害者ぶる男性を見るたび、見えている世界が違うんだな……と絶望する。
これが女同士だったら「(痴漢に遭って)つらかったね」と相手の気持ちに寄り添い「おのれ痴漢め許せねえ!」と加害者に対して怒る。
なぜ多くの男性はそれができないのか?
これが「痴漢に遭った」じゃなく「強盗に襲われた」だったら「そんな男ばかりじゃない」なんて返さないだろう。
性暴力の話になると、なぜ目の前の相手に寄り添わないのか? 黙って相手の話に耳を傾けないのか?
なぜ「俺はそんなことしない」と自己弁護に走るのか? なぜ自分が責められているように感じるのか?
そうした言葉や態度で「そんな話は聞きたくない」と女性の口をふさぐのは、なぜなのか?
それを男性自身に考えてほしいけど、尺もないのでさっさと答えを言うと「男性だから」である。
男性は「性暴力に遭う機会が少ない」「性暴力に怯えて暮らさずにすむ」という特権を持っているからだ。
男がみんな性犯罪をしないことなど百も承知だが、現実に性犯罪をする男は存在する。
性犯罪の加害者の95%以上が男性、被害者の90%以上が女性である。
ほとんどの女性が子どもの頃から性被害に遭っていて、ほとんどの男性は性被害に遭ったことがない。
この圧倒的な非対称性ゆえ、同じ感覚を共有するのは難しくても、想像することはできるだろう。

たとえば日本人の男性が欧米で暮らして、アジア人差別を何度も経験したとする。
その話を白人にした時に「すべての白人が悪いわけではない」と言われたら?
「そんな白人と一緒にされたら迷惑だ」とムッとされたり「責められてるようでつらい」と被害者ぶられたら、どう思う?
「いや被害者はこっちやぞ、まずはこっちの話を聞けよ」と思うだろう。
そこで「白人だってつらいんだ」と言われたら「なぜ張り合おうとする? まずはこっちの話を聞けよ」と思うだろう。
居心地が悪いからって、こっちの口をふさごうとするなよと。
自分はすべての白人が悪いなんて思ってないし、あなたを責めたいわけでもない。
ただ差別に怯えて暮らす現実を知ってほしい。
アジア人というだけで殴られるかもしれない、殺されるかもしれない。誰がまともかなんて見分けがつかないから、こっちは警戒するしかない。
それを「自意識過剰」「気にしすぎ」と責めないでほしい。それでいざ被害に遭ったら「なぜ自衛しなかった」と責めないでほしい。
「アジア人が夜道を歩くから」「派手な恰好をしているから」と被害者のせいにしないでほしい。
人種差別の話になった時に「俺は差別なんてしない」と返すんじゃなく、白人に向かって「差別するのはやめろ」と言ってほしい。
その声はマイノリティの自分が言うよりも届くから。