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ドラッカーと密教に学ぶ、「儲け」と「高い精神性」を両立させる方法

「お金の密教」
昨年12月14日公開の「仮想現実に覆われたこの世界で認識を変えれば覇者になれるのか」7ページ目「認識を変えれば世界を支配できる?」で「リアル曼荼羅プロジェクト お金の密教――真言密教でお金儲け」講座について触れた。
この講座の講師は、楽天、サイバーエージェントなど約70社の企業を上場させた凄腕IPOコンサルタントでありながら、真言宗(密教)の僧侶でもある沼田功氏だ。まさに「マネー(お金)の世界」と「密教(精神世界)」のどちらをも熟知する傑出した人物である。
ちなみに、8月1日公開「成功する『ビジネスマン』が心がけている『縦人間と横人間」という観察術」の記事のインスピレーションも沼田氏からいただいた。
しかしながら、「お金」と「宗教(精神)」というものは相反するようにも思える。ある行者は、「一切お金を使わない」ことで「精神の清らかさを維持」していたと主張する。もっとも、お金が必要な時には、弟子が代わりに支払いをしていただけなのだが。
したがって、「真言密教でお金儲け」という言葉に違和感を持つ読者も多いかもしれない。事実私もその一人だ。しかし、沼田氏の講義を聞いて合点がいった部分がある。
講義の中で「十住心論」に触れた部分があったのだが、この10段階のステップを上るための「最初の一歩」として「お金を稼ぐ」という段階が必要不可欠であるということなのである。
沼田氏は、「仏教が生まれたころと違って、現代ではお金無しでは普通の人々は生きていけませんからね」と述べるが全くその通りである。貨幣経済が発達していなかった時代には、お金など持たなくても自給自足(物々交換)で暮らすことができた。むしろ一般庶民はお金や財産など持たないことが普通であったかもしれない。
これは、あくまで私の解釈だが、十住心論においては、第1段階の「異生羝羊心」=「煩悩にまみれた心」から始まる中で「お金にまみれる」体験をまずすべきだということでは無いだろうか?
十住心論最高の10段階である「秘密荘厳心」が「真言密教の境地」であることについては、信徒ではない私からすると我田引水のような気がしないでもない。しかし、いきなり精神的な高みに到達することはできず、「まずは『煩悩』にまみれてから、段階を踏んで精神的高みを目指す」という教えは非常に説得力があると思う。
清貧は正しいか?資本主義で貪欲は善か?
「経済的に満ち足りれば心の余裕もできて、精神的にもステップアップできる」という考え方は間違いでないと思う。
食うや食わずで、すきっ腹を抱えていれば、食べ物のことで頭がいっぱいで、「精神」のことなどどうでもよいと考えるのが普通の人々だ。私ももちろん、その普通の人々の一員である。
しかし、それでは、古代、中世の人々と比べて食料にも物資にも恵まれ、快適な生活をしている現代人の精神性は、古代、中世の人々と比べてより高い位置にあるであろうか?
確かに、古代、中世に比べて「人口当たりの殺人による死亡者」が減少しているのは明らかであり、第1次・第2次世界大戦を経験したにも関わらず、現代は平和である。満ち足りた人々同士の争いは少なくなると言えるであろう。
しかし「精神面でより高いステージ」にあるかどうかは議論の余地があるはずだ。