「決める男」にひょう変[岸田流政治]<1>
「1年たって駄目なら、その時はすぱっと交代させますから」
首相の岸田文雄(64)は11月上旬、自民党副総裁の麻生太郎(81)に携帯電話でこう伝え、幹事長に就任した外相の茂木敏充(66)の後任に林芳正(60)を充てる人事にこだわりを見せた。
当時、林の外相起用には、岸田の後見役である麻生と安倍晋三(67)の両元首相が難色を示していた。林が日中友好議員連盟会長を務めていたことから、「国際社会に間違ったメッセージを与えかねない」との懸念があったためだ。安倍と林は地元山口で父親の代からのライバル関係でもある。
岸田は、宏池会の先輩で麻生の岳父である元首相・鈴木善幸の例を挙げ、麻生の説得に努めた。鈴木は1981年、派閥から外相に起用した伊東正義を「日米同盟関係」を巡る立場の違いから10か月で交代させた。
麻生は岸田の粘り腰に、「決断できない男が決められるようになった」と周囲に感慨深げに漏らした。
首相就任から2か月が過ぎた岸田は、人事などの重大局面で自らの意思を押し通す場面が目立つ。
衆院選の小選挙区で敗れ、幹事長を辞任した甘利明(72)の後任には茂木の抜てきを実現した。切れ者だけに摩擦を生むこともある茂木について心配する声が上がったが、「他にできる人材はいない」と退けた。
憲法改正を巡っては、11月19日、憲法改正推進本部を「実現本部」に改組し、その10日前に推進本部長に再任したばかりの衛藤征士郎(80)を事実上、更迭した。岸田は、衛藤が改正に向け、超党派議員連盟の結成に独断で動き、公明党などから反発が起きていたことに「何を勝手なことをやっているんだ」と不快感をあらわにしていた。
「慎重居士」と評されてきた岸田。ひょう変を最初に見せたのは、先の衆院選を巡る決断だった。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20211219-OYT1T50286/amp/