ソ連崩壊直前のモスクワの実態
筆者が日本人として初めて、ソ連外務省付属モスクワ国際関係大学に留学したのは、1990年9月のことだ。つまり、ソ連崩壊の1年3カ月前。当時のソ連はどんな様子だったのだろうか?

まず、目についたのは、物質的貧しさだった。モスクワは「共産主義の総本山」だが、車の数はとても少なかった。そして、走っているのは、ソ連の国産車ばかり。ソ連車はひどく時代遅れに見えた。

筆者はモスクワ国際関係大学のすぐ隣にある寮に住んでいた。テレビが白黒だったのは、大きな驚きだった。その後、いろいろなロシア人の家庭を訪れたが、洗濯機や掃除機がないところもあった。
日本では当時、当たり前だったビデオデッキやファクスがある家は、全くなかった。

生活で最も厄介だったのは、食料品店前の長い行列だ。大抵は1時間、2時間並ばないと中に入れない。しかも、棚はガラガラで、買える物と言えば、パン、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、パスタ、ハムなど。

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