
日米開戦回避へ 望み託した“大統領親書”
真珠湾に向けて日本の攻撃機が飛び立ったあと。昭和天皇のもとにある書簡が届けられました。送り主は「アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト」
この親書の背後には、日米の開戦を避けようと最後まで動いた日本人の学者の存在がありました。30年も前から日米開戦を予見したこの学者が、最後に望みを託した“大統領親書”とは。(首都圏局記者 山内拓磨)
略
1941年11月、アメリカは日本に対して中国や仏領インドシナからの撤退などを求める「ハル・ノート」を提示します。
開戦回避への道がいよいよ閉ざされつつあるこの時期、朝河が最後の望みを託した打開策がルーズベルト大統領から昭和天皇への親書の発出でした。
親書の発出に向けて朝河が作成した7枚の大統領親書草案。
その控えが福島県に残されています。
大統領から天皇へ親書を出すという動きは、朝河の動きとは別に、日本大使館も探っていましたが、朝河がこの詳細を知ることはありませんでした。
ただ、朝河の草案はアメリカ側が最終的な親書を完成させる上で参考にされたとみられています。
発信された親書をアメリカ駐日大使のグルーが電報の形で受け取ったのは日本時間の7日夜。
その後、グルー大使から東郷外務大臣を経て、天皇の元に届いた時間は、8日の午前3時ごろ。
真珠湾攻撃の直前で、朝河が望みをかけた開戦回避は叶いませんでした。
詳細はソースで
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211220/k10013395471000.html