■なんでリベラルは表現規制派と言われるのを嫌がるの?
リベラルが特定表現に対して積極的であることはもう言い訳の余地のないレベルで事実だと思うんだよね。
もちろんそうでないリベラル個人も沢山いるのだろうけど、それでもやっぱり主流派のムーブメントが規制的であることは否定できない。
まあ、それ自体は(俺個人としては賛同できないけど人それぞれの考えだから)良いと思うんだ。
ただ、一つ納得がいかないのは、”リベラルを自認しつつ規制を唱える人々”って、なぜかたいてい自分が”表現規制派”であること認めようとしないよね。
「あなたは表現規制派ですね」と言われると、「右翼の方が表現規制を進めようとしている!」とか
「政治や報道の自由を守る活動をしない奴らがエロ規制に文句を言うな!」とか
「女性の意見を圧殺するな!」とか、とにかく論点を逸らしたがる。
敵対陣営が表現問題に対してどういう態度だろうが、あなた(リベラル)が表現規制派であることとは何の関係もないのに、なぜかいきなり他人の話を持ち出す。
表現の自由と競合する人他の権を守るために規制を訴えているというのなら、「私たちは正義のために表現規制派をやっている」と堂々としていれば良いのに、そこを曖昧にごまかしたがる。
規制はしたいのに、表現規制派と呼ばれるのは嫌がっているように見えるんだよ。
これが不思議でならない。
エロだろうがなんだろうが表現である以上、それらを積極規制しようとしている人々は”表現規制派”と呼ぶしかないないんだから、「あなたは表現規制派ですね?」と訊かれたら
「はい、そうですよ」というのが偽りなき返答じゃないの?
その上で「私は正しさのために表現規制派をやっています」と自信をもって言えば良いのに、なんでそうしないの?
https://anond.hatelabo.jp/20211220103010